猪瀬直樹東京都知事らはイギリスを訪問し、1月10日に記者会見を開いて、オリンピックの東京招致をアピールしました。これからこうした招致活動がマスコミを賑わせていくのでしょう。
2020年夏季オリンピックの開催地には日本・東京とスペイン・マドリードとトルコ・イスタンブールが立候補しており、今年9月に正式決定されます。
 
東京の弱点は世論の支持が低いことだと言われます。それはそうでしょう。東京でオリンピックをやる理由がわかりません。東日本大震災からの復興をアピールするためという理由がつけられていますが、東京と震災被害地は違いますし、2020年には世界の人は(おそらく日本人も)震災のことをかなり忘れてしまっているでしょう。
スポーツ関係者や利権の関係者が招致に熱心になるのはわかりますが、日本人の多くが乗り気でないのは当然です。
 
先日の朝日新聞の投書欄に「五輪開催トルコに譲っては」という意見が載っていましたが、私も同感です。
今のトルコはかつての日本と同じような高度成長期にあります。日本人は東京オリンピックを成功させることで自信をつけ、敗戦国を脱して国際社会の一員になったことを自覚しました。トルコがオリンピックを開催すれば、かつての日本人と同じように自信をつけることができるでしょう。
また、これまでオリンピックは一度もイスラム国で開催されたことがなく、初めてのイスラム国開催という点でも画期的ですし、これは多くのイスラム国の人々の自信にもつながるでしょう。
トルコはまだこうした大イベントを開催したことがないのが不安要因だということも言われますが、どんな国も初めてのことをやって経験を積んでいくのです。先のサッカーワールドカップは南アフリカが初めて開催しましたし、次の夏季オリンピックはブラジルが初めて開催します。むしろ何度も開催している国よりも初めての国でやったほうが価値があります。
 
また、トルコは世界でも一、二を争う親日国です。日本とトルコが争って(今のところスペインは三番手と見なされています)、日本が勝ってトルコ人の夢を打ち砕いてしまっては、日本人にとっても寝覚めが悪いのではないでしょうか。
 
 
たとえば尖閣諸島を日本が所有しようが中国が所有しようが、世界にとっては同じことです。損も得もありません。
しかし、オリンピック開催地が日本になった場合とトルコになった場合は、世界にとって同じではありません。どう考えても、トルコで開催したほうが世界にとってはいいことが多いと思われます。
 
日本で開催するとそれなりの経済効果が得られて、開催しないよりはしたほうがいいのかもしれませんが、それはあくまでも日本にとってはの話です。世界にとってはという観点で考えると、別の結論がありえます。
しかし、こうした考えを表明する人はめったにいません。先の投書子は例外的存在です。
 
なぜそうなのかというと、今の政治学というのは、国家を中心に考えるので、国益追求が大前提になっているからです。
個人というのは分割不可能な単位なので、個人を中心に考えるのは当然ありますし、世界を中心に考えるのもあるでしょうが、家族や共同体や民族や宗教文化圏や東洋・西洋などでなく国家中心に考える必然性はありません。
会社員なら会社の利益を前提に考えます。会社員がみな自分の利益を前提にしていたら会社は成り立ちません。町内会でも各家庭が町内会の決まりを守るのは当然のことで、各家庭が自分の利益を主張していたら町内会の秩序は保たれません。
しかし、国際社会では各国家が国益を主張し、そのため国際社会の秩序はつねに危険にさらされています。
 
世の中でもっともだめな学問は倫理学だというのが私の考えですが、倫理学の次にだめな学問は教育学で、その次にだめな学問は政治学です。
政治学を頭の中から排除すれば、各国が互いに国益を主張し合って争っている現状のバカバカしさがわかるはずです。
 
そして、国益中心の発想から脱すれば、世界にとってよいのはなにかという発想が自然に出てきます。
日本が「世界のためを考えて日本はオリンピック開催をトルコに譲ることにした」と発表して立候補を辞退したら、これはこれで画期的なことです。