大阪市立桜宮高校のバスケットボール部キャプテンの男子生徒が自殺したことで体罰についての議論が盛んになったと思ったら、議論が妙な方向に行ってしまいました。
そのひとつの元凶は、橋下徹大阪市長です。橋下市長は桜宮高校の体育系学科の募集中止を打ち出し、そのために体罰よりも募集中止の是非についての議論のほうが前面に出てしまったのです。
 
言うまでもなく橋下市長のするべきことは、体罰禁止を徹底することです。そこにピンポイント攻撃すればいいのに、クラスター爆弾をぶちこんでしまったようなもので、周辺によけいな被害が出てしまいました。
もともと橋下市長は体罰肯定論者でした。急に体罰否定論に宗旨替えしたのは、今はそのほうが世間の受けがいいと思ったからでしょう。体罰反対の信念がないので、的を外してしまうわけです。
 
たとえば橋下市長はツイッターでこのように書いています。
 
桜宮高校で起きた事案は、世間で言われる体罰事案ではありません。暴力事案です。
 
つまり橋下市長は、「世間で言われる体罰事案」と「暴力事案」は別だと考えているわけです。「暴力事案」は許されないが、「体罰事案」は許されないわけではないということでしょう。こういう中途半端な態度では体罰禁止に的を絞れないのも当然です(私は世間に合わせて「体罰」という言葉を使っていますが、「体罰」と「暴力」はまったく同じだと思っています)
また、橋下市長は「校長と教員の総入れ替えは最低条件」「桜宮高校の伝統を断ち切る」と言っています。
「校長と教員の総入れ替え」は、問題の解決ではなく、問題の抹消ないしは隠蔽です。体罰教師がほかの学校へ転勤になれば、そこでまた体罰をするかもしれません。また、新たに赴任してくる教師が体罰教師かもしれません。
「校長と教員の総入れ替え」をすれば確かに「伝統を断ち切る」ことはできますが、それではすべての伝統を断ち切ることになってしまいます。生徒が反発するのは当然です。体罰の伝統だけ断ち切ればいいのです。
 
私の考える解決とはこのようなことです。
体罰教師が生徒の前で「今までの私のやり方は間違っていた。すまなかった」と謝罪し、生徒たちが「私たちも先生の間違ったやり方を受け入れてしまっていた。私たちも反省する」と表明する。こうしたやり取りによって体罰をなくせば、このことは後輩たちにも引き継がれ、新しい伝統となるでしょう。これが「伝統を断ち切る」ということです。
そのためには部員と顧問が直接に話し合い、また全校集会などの形でも話し合いを繰り返す必要があるでしょう。
こうしたことがあれば、何年かのちに赴任してきた教師が体罰をしたときに、生徒は「それはわが校の伝統に反する」と言って反対することができるわけです。
 
橋下市長は私と考え方も立場も違います。橋下市長がするべきことは、生徒が体罰を受けた場合は校長に訴え出るべきで、校長も必ずそれに対応するべきというルールを確立し、体罰教師に対する罰則もあらかじめ決めておくことです。これだけでもかなり体罰をなくすことができるでしょう(これはもちろん桜宮高校だけでなくすべての学校に適用されるルールです)
 
 
ところで、今は体罰反対の論調が世の中を支配していますが、これは1人の高校生が自殺したということがあるからです。今、体罰賛成論を主張すると、死者や遺族の気持ちを引き合いに出してバッシングされることがわかっているので、体罰賛成論者は黙っているか本音と違うことを言っているのです。
体罰賛成論というのは社会に広範囲に存在していて、体罰も学校やその他の組織で広範囲に行われています。問題は桜宮高校だけのことではありません。
 
石原慎太郎日本維新の会共同代表はスパルタ教育の本を著し、戸塚ヨットスクールの支援者で、もちろん体罰賛成論者です。
日本維新の会は体罰に関してどのような見解を持っているのでしょうか。
橋下市長は、こちらのほうでこそ「総入れ替え」か「伝統を断ち切る」ことをして、日本維新の会としての体罰に関する見解を明確にするべきです。