人間はつねに総合的判断で行動しているので、自殺した場合もその原因が複合的なものであるのは当然です。しかし、人間は白か黒かという単純化を好みますから、マスコミの報道もどうしても原因をひとつに単純化してしまいます。
たとえば、2011年10月に大津市で中2男子生徒が飛び降り自殺したのはイジメが原因であるということで大騒ぎになりました。このとき私はこのブログで、自殺の原因は家庭環境のほうがより大きいのではないかということを主張しました。
それについて大津市が設置した第三者調査委員会は1月31日、最終報告書を越直美市長に提出しました。その報道から一部を引用します。
報告書は男子生徒(報告書ではA)の自殺の原因について「重篤ないじめ行為は、Aに屈辱感、絶望感と無力感をもたらし、希死念慮を抱かせた」「いじめの世界から抜け出せないことを悟り、生への思いを断念せざるを得なかった」と指摘。「Aに加えられたいじめが自死につながる直接的要因になったと考える」と結論づけ、「Aの性格等や家庭の問題は、Aの自死の要因とは認められなかった」としました。
この報告書は、自殺の原因を単一としているようです。イジメが最大の原因で、家庭の問題はそれより小さかったとするならまだしも、家庭の問題は自殺の要因ではなかったという結論は、人間についてまったく無理解であるといわざるをえません。
なぜこんなことになったかというと、やはりこの出来事があまりにも世の中に騒がれすぎて、世の中の考えに反することは書けなかったということがあるのでしょう。それから、第三者委員会の人選の過程で、自殺した少年の家庭の問題に言及していた心理学者の野田正人立命館大教授が“情報漏洩”を理由に辞退に追い込まれたということも大きかったでしょう。これで家庭の問題に触れてはいけないという流れがつくられました。
とはいえ、こういう結論が出た以上、私がこれ以上言っても意味がありません。ただ、自殺の原因が単一だとする報告書のおかしさだけは指摘しておきたいと思います。
さて、大阪市立桜宮高校での体罰が原因とされる自殺についても、自殺の原因は単一ではないでしょう。当然、家庭の問題についても考えなければなりませんが、私は今回はあえてそのことについてはまったく触れていません。それはイジメと体罰がまったく違う問題だからです。
イジメというのは、子ども同士の関係で起こり、加害者はいつ被害者になるかわからないし、被害者はいつ加害者になるかわからないというのが実態です。それを加害者側に「悪」のレッテルを張って対処しようというやり方に根本的な間違いがあり、この間違いを中和するためにも家庭の問題を持ち出すことには意味があると思えました(「悪」のレッテルを張りたいなら、イジメが起こるような学校環境にこそ張るべきです)。
体罰というのは、おとなと子どもという強者と弱者の関係で起こるものですから、イジメとはまったく違います。体罰はむしろ諸悪の根源みたいなものです。もし世の中から体罰をなくすことができれば、それだけで世の中はうんとよくなります。
ですから私は、体罰の問題に集中するためにも、今回はほかの問題は持ち出すべきでないと考えているわけです。
体罰というのはひじょうに根深い問題です。表面的には体罰反対を叫んでいても、心中は違う人もいっぱいいます。
橋下徹大阪市長もその一人です。橋下市長は体罰そのものよりも桜宮高校の伝統や体罰の被害者あり方を批判しています。
また、自民党の橋本聖子議員は、柔道女子日本代表での暴力問題を告発した選手15人の実名は公表されるべきだとの認識を示したとの報道がありました(橋本議員はそのような発言はしていないと主張)。
隠れ体罰肯定派の人は、言動のはしばしにそれが出てしまうようです。
そして、毎日新聞の牧太郎専門編集委員はコラムで、自殺の原因は単一ではないと書きました。これは私の主張と似ているので気になりました。
牧太郎の大きな声では言えないが…:自殺には「謎」が残る
毎日新聞 2013年02月05日 東京夕刊
悪口になるのか、褒め言葉になるのか、ともかく、毎日新聞社の大先輩の「遺書」について書きたい。
1919(大正8)年3月、海軍機関学校の教職を辞して、大阪毎日新聞社に入社した作家・芥川龍之介。新聞への寄稿が仕事で、出社の義務はなかったから「広告塔」的な存在だった。
1927年7月24日、大量の睡眠薬を飲んで自殺した。が、この大先輩の「遺書」には不満が残った。
遺書は6通。「妻への遺書」はあまりにも事務的だ。
一、生かす工夫絶対に無用。二、絶命後小穴君(親友の画家)に知らすべし。絶命前には小穴君を苦しめ并(あわ)せて世間を騒がす惧(おそ)れあり。三、絶命すまで来客には「暑さあたり」と披露すべし。(中略)六、この遺書は直ちに焼棄せよ。
妻に対する「感謝」も「恨み」もない。“命令調”である。
「わが子等(ら)に」には「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」とか「汝(なんじ)等の父は汝等を愛す」というカッコつけたクダリはあるが、その他の遺書にも、僕が期待した「自殺の深遠なる動機」は見つからない。
ベストセラー作家はなぜ、死を選んだのか? 知りたいのだが……ただ一カ所、長文の「遺書」の冒頭に「僕等人間は一事件の為(ため)に容易に自殺などするものではない」というクダリがあった。
さすがである。大記者・芥川龍之介を結局、褒めることになるが……人間が自らの死を選ぶ「動機」は一つではない!とスクープ?している。
自殺事件が起きると、昨今のメディアは「〓〓が原因!」と書きたがる。世間も「〓〓で死んだのね」と納得したい。でも「自殺の動機」を特定するのは簡単ではない。本人だって分からない。
例の大阪・桜宮高校のバスケットボール部員の自殺も、果たして「体罰」だけが原因だったのか?
己の高校生時代を思い出してみると(自殺まで思いつめたことはないけれど)出生の秘密を知り、親に対する嫌悪、担当教諭の“不正”への怒り、一向に上がらない学業成績、それに受験、性的コンプレックス……悩みはたくさんあった。
「体罰が原因で一人の生徒が自殺した。体罰が常態化した体育科の入試を中止せよ!」と革新的市長が声を大にするが……自殺には社会的背景に、個人の資質、個人の事情が入り交じる。自殺はいつも「謎」だ。(専門編集委員)
確かに牧太郎編集委員の言うように、自殺の原因は簡単には決めつけられません。
ただ、なんのために今ここでそれを指摘するのかということがあります。
おそらく牧太郎編集委員は、橋下市長のやり方を批判するために「自殺原因は単一でない」説を持ち出したのでしょう。しかし、そのやり方では結果的に体罰の問題から目を反らすことになってしまいます。
体罰と比べると橋下市長の存在など小さな問題です。橋下市長を批判するより体罰を批判したほうがよほど世の中のためになるはずです。
体罰批判は誰でもできる平和運動であると私は思っています。
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