今日で大震災からちょうど2年です。
思い返せば、あの日から1年ぐらいは私も平常心ではなかったと思います。ネガティブなことばかり考えて、毎日の生活を楽しむゆとりがありませんでした。しかし、2年たった今は、ほとんど以前と変わらない暮らしができています。
とはいえ、被災地の人々はまだたいへんな状況ですから、自分だけ生活を楽しんでいるのも薄情なことです。
もっとも、薄情といえば、日本全体がそうかもしれません。世の中は「安倍バブル」に浮かれ、原発事故の悲惨さも忘れたかのように原発推進に戻ってしまいました。
 
2年たって「元の木阿弥」という言葉そのままになっています。
 
総選挙で自公政権に戻ってしまったのが「元の木阿弥」です。政権交代はしかたなかったにしても、自公が強くなりすぎ、かつ民主党が負けすぎて、次の選挙で政権交代の起こる可能性がほとんどなくなってしまいました。政権交代の危機感のない政治がだめになるのはわかりきったことです。
 
なぜ民主党がこれほどまでに支持を失ったかについては、右翼勢力と既得権益勢力の大きな力が働いていたといわざるをえないでしょう。
たとえば、民主党政権下では、尖閣諸島沖で中国漁船と海保の巡視艇が衝突したときのビデオを公開しないのはけしからんと非難の大合唱が起き、ビデオを流出させた海保職員が英雄扱いされるほどでした。中国と対立しているときに政府批判をするというのは愛国者としてあるまじき行為ですが、日本の愛国者というのはその程度のレベルです。
で、安倍政権下になると、中国の海洋監視船などが連日尖閣諸島周辺を航行し、また中国政府は尖閣対応を強化するために「国家海洋委員会」を新設するなどしていますが、日本のマスコミはいたって冷静な報道で、民主党政権下とは大違いです。
もっとも、安倍政権は中国軍による射撃管制用レーダー照射を公表し、中国に一泡吹かせて、日本国民も溜飲を下げたということもあると思われます。しかし、中国はこれ以降、安倍政権との敵対姿勢を強めています。中国との関係はこれから問題になるでしょう。
 
管政権の原発事故対応もずいぶんと批判されましたが、もし自公政権下で原発事故が起こっていたとすれば、もっとひどいことになっていたでしょう。管首相は東電と原子力安全保安院がどうしようもない無能組織であることをすぐに見抜いて対応しただけましです(東電でも吉田所長以下の現場はよくやったと思いますが)
 
ともかく総選挙で安倍政権が成立し、原発再稼働の方向になりました。しかし、その論理はいい加減です。
たとえば、現在日本で唯一稼働している大飯原発ですが、活断層の上にあるという説と、それは活断層ではなく「地滑り」だという説の両方があるので、科学的には結論が出せないという状況にあります(「地滑り」説の専門家は原子力ムラのために主張しているだけのような気がしますが)
しかし、両論があるからといって稼働を続けているのはへんです。ある食品に発がん性があるという説とないという説の両論がある場合、科学的に結論が出ていないからといってその食品を食べ続ける人はいないでしょう。安全性に疑問がある以上、稼働停止するのが当然ですが、当然のことが行われていません。
原子力ムラの利権恐るべしです。
 
原発を再稼働するべきか否かは、安全性、コスト、核廃棄物処理、電力事情、地球温暖化などあらゆる要素を勘案して総合的に判断しなければなりませんから、私がここで中途半端なことを書いても意味がないでしょう。ですから、ひとつのことだけ指摘しておきます。
 
今、原発再稼働を主張する人たちはみな、「再稼働が現実的だ、現実主義的な判断だ」と主張します。
しかし、原子力発電というのは昔、現実主義的ではなく理想主義的なものでした。原子力発電は「第三の火」と言われ、これによって人類は無尽蔵のエネルギーを手に入れて、限りなく進歩していけるバラ色の技術だったのです。
しかし、今では原発を指して人類の理想だとか理想主義的だとかいう人はいません。原発推進派ですら、原発は現実主義的だといいます。
ということは、原発はなければそれに越したことはないという認識のはずです。
つまり原発の評価は誰の認識においても、すでに地に落ちているのです。
 
原発を再稼働させたい人は、目先の利益だけを考えているに違いありません。
 
原発事故という過酷な現実を経験しても何も学ばない人たちがいっぱいいることにはあきれてしまいます。