最近テレビを見ていて、東京海上日動のCMが気になります。父親が高校生の娘を毎日軽トラックで学校へ送っていき、卒業式の日に娘が「父さん、今日までありがとう」と言うCMです。
 
通常の60秒バージョン
 
娘の視点からの特別バージョン
 
なにが気になるかというと、この父と娘にほとんど会話がないのです。
 
「学校どうだ」
「普通」
 
「今度の試合出れそうか」
「知らない」
 
こんな調子です。
それでいて最後は、
「でも、それはかけがえのない時間だった」
ということになります。
 
ほとんど会話が成立していないのに、それが「かけがえのない時間」か、と突っ込みたくなります。
 
もっとも、たいていの家庭の父親と子ども(中高生ぐらい)の会話はそんなものかもしれません。
私の場合も、父親から「最近、学校はどうだ」と聞かれると、決まって「別に」と答えていました。
「勉強してるか」
「別に」
「そのテレビおもしろいか」
「別に」
こんな調子です。
 
当時はなぜ自分が「別に」しか言わないのかわかりませんでしたが、今思うと、父親と普通に会話していくと、決まって説教されたりバカにされたりという展開になるので、それを避けるために「別に」と言っていたのでしょう。
「別に」なら会話が発展しません。
東京海上日動のCMで娘が「普通」と言っているのも同じでしょう。
 
前回の「『ヨイトマケの唄』から遠く離れて」という記事で、「ヨイトマケの唄」には働く母の姿は描かれているが、母と子の触れ合いは描かれていないということを指摘しましたが、親と子の望ましい関係というのは美輪明宏さんにも描けなかったのでしょう。
 
なぜ描けないかというと、親と子の会話はほとんどの場合、親からの命令、指示、説教、警告、批判、解釈、分析、激励、助言になってしまうからです。
こうした会話は一方的で、子どもは不愉快になってしまうので、会話が続きません。
命令や説教や批判がよくないのはわかりやすいでしょうが、激励や助言もいけないというのはわかりにくいかもしれません。私はこれを親業(おやぎょう)訓練の本から学びました。
 
(親業訓練における話し方についてはたとえば次のサイトなどを参考にしてください)
聞き方と話し方 トマス・ゴードン博士の親業訓練講座(P.E.T.
 
今ではまともな親子の会話がどんなものであるかをわかっている人がほとんどいないので、そうした会話が描かれることもありません。
 
住宅のCMなどには仲のよさそうな親子が描かれますが、イメージだけで、「親子の仲のよい会話」というのはほとんどないのではないでしょうか。
 
皮肉なのはソフトバンクのCMです。白戸家の人々を描くCMが大人気で、長く続いていますが、お父さんが犬です。
「家政婦のミタ」や「マルモのおきて」などの人気ドラマも、欠損家庭を舞台にしています。
 
例外なのはアニメの「サザエさん」です。これは理想的な家庭を描いたものといえるでしょう。
「サザエさん」の主人公はサザエ、カツオ、ワカメの3人兄弟で、波平とフネの両親は教育やしつけという意識がほとんどないので、おとなであるサザエさんはもちろんですが、子どもであるカツオとワカメものびのびとやりたいことをしています。
 
そのため、テレビを見る子どもは「サザエさん」を単純に楽しんでいるでしょうが、おとなは「サザエさん」について複雑な思いがあるに違いありません。
つまり、理想の家庭というのは自分にはなかったということを意識せざるをえないのです。
 
「サザエさん症候群」という言葉があります。日曜日の夕方に放映される「サザエさん」を見ると、翌日からまた仕事をしなければならないという現実に直面して憂鬱になることをいいます。「ブルーマンデー症候群」の別名とされます。
しかし、「笑点」もその少し前に放映され、「サザエさん」以上に多くの人が視聴していますが、「笑点症候群」という言葉はありません。また、「大河ドラマ」や「日曜洋画劇場」(これは最近終了しましたが)も日曜の定番の番組ですが、これを見て憂鬱になるという話は聞きません。
 
ということは、「サザエさん」を見て憂鬱になるのは、翌日の仕事のことを思うからではなく、「サザエさん」そのものに憂鬱になる原因があるというべきでしょう。
「サザエさん」を見ていると、自分が育った家庭や今営んでいる家庭は「理想の家庭」から遠く離れているということを認識せざるをえず、それで憂鬱になるのです。
 
その点、東京海上日動のCMは、「理想の家庭」から遠く離れた家庭を「理想の家庭」であるとごまかしています。
「サザエさん」を見て憂鬱になった人は、このCMを見るといいかもしれません。所詮はごまかしですが。