最近、自民党の改憲案における人権感覚がおかしいのではないかとか、安倍首相が高名な憲法学者の芦部信喜氏の名前を知らずに改憲を論じているのはどうなのかといったことが話題になっています。
自民党に限らず右翼の人権感覚がおかしいのは今に限ったことではありません。「人権よりも国権」というのが右翼思想の本質だからです。
また、権力者や既得権益者にとっては、一般国民の人権などないほうが都合がよいわけです。とくに自民党は長年権力の座にあって、権力者的思考法がしみついていますから、人権感覚がおかしいのも当然でしょう。
 
そこで、自民党の「憲法改革草案」がどんなものかと思って調べてみると、草案の中の「前文」を読んであきれてしまいました。人権問題はほかの人に任せて、私はこの「前文」を取り上げてみたいと思います。
 
文章を批判するとき、よく「悪文」という言葉が用いられますが、悪文には個性や特徴があり、しばしば思いあまって悪文になっているとしたものです。この「前文」には特徴もないし思いもありません。「駄文」という言葉が適切でしょう。
 
自民党の「日本国憲法改正草案」
(前文)
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
 
 
これは草案だから、これから推敲するのだというかもしれませんが、推敲でよくなるレベルではありません。「仏つくって魂入れず」といいますが、魂がないのです(仏もない?)
 
想像するに、自民党の部会で議論したことを寄せ集めて、党の職員が文章にまとめたというところでしょう。
 
たとえば冒頭、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」とありますが、これを読んだ人はなんの感想も持てないでしょう。どんな国でも、ある長さの歴史があり、固有の文化を持っていますから、文章そのものに意味がありません。
それに続いて「国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」とありますが、これも天皇()の特徴やよさを述べていません。しかも、多分にトートロジーのきらいがあります。
 
この段落は本来、日本のすばらしさを謳い上げて、日本人が自国に誇りを持てるような文章になっていなければいけません。たとえば、「日本は中国や欧米の文化を取り入れつつ、和を尊重し、自然と調和する独自の文化をつくりあげた」みたいなことです。哲学者の梅原猛氏ぐらいの方に書いていただかないといけません。
天皇制にしても、神話の時代から一貫して続いている、今や世界でも希なものだと自慢しなければいけません(南北朝の問題があるので「制度として一貫している」などとレトリックに工夫して)
 
「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており」というのも、事実をそのまま述べているだけで、「それがどうした」と言いたくなります。また、「世界の平和と繁栄に貢献する」というのも、ありえない表現です。「世界の平和と繁栄に貢献する決意である」とか「世界の平和と繁栄に貢献することを誓う」などとなっていなければなりません。
 
また、「平和主義」を言った次の段落で「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とあるところが、この「前文」というか改憲草案のキモでしょう。平和主義と武力保持を両立させるレトリックが必要ですが、ここにはなんの工夫もありません。
たとえば、「我が国は世界の恒久平和を希求するものであるが、国際社会の現状はいまだその理想から遠く、やむなく我が国は云々」みたいなくだりが必要でしょう。
 
それから、この「前文」にはなぜ以前の「前文」を全面的に書き換えたのかを説明ないし示唆するものがありません。これではどう連続しているのか(連続していないのか)がわかりません。
「我が国は敗戦と占領によって奪われた国家の誇りを取り戻すために」などの表現が必要でしょう。
 
要するにこの「前文」は、なんの思いもこもっていない、箸にも棒にもかからない駄文です。
なぜそんな駄文になってしまったのでしょう。それは本音を書いていないからです。
「わが国はほかの国とはぜんぜん違う優れた国だ」
「他国にあなどられないために堂々と武力を持ちたい」
「占領時代に植え付けられた自虐的心性を一掃したい」
こういった本音を隠しているので、うわべをとりつくろっただけの文章になってしまうのです。
また、いろんな考え方の人に配慮したために、当たり障りのない文章になってしまったのでしょう。いろんな人に配慮して案をまとめるというのは自民党の得意芸ですが、それでは訴求力のある文章にはなりませんし、憲法前文にふさわしい格調も出てきません。
憲法を変えるよりも、自民党のそういう政治体質を変えるほうが先決でしょう。
 
参考のために現在の憲法前文も張っておきます。
改めて読んでみると、たとえば「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」というくだりなどに、世界に向けてこの憲法を発信していこうという気迫がみなぎっています。
ふたつの前文を読み比べてみると、戦後六十余年が経過して、日本人の精神はここまで弛緩してしまったのかということがよくわかります。
 
 
日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。