日本が人権後進国であることは世界的に有名であるようです。
国連拷問禁止委員会で日本政府代表が「シャラップ!」と叫んだというニュースがありました。
国連拷問禁止委員会といえば、橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要」発言が問題になっているとき、「日本の政治家や地方の高官が事実を否定し、被害者を傷つけている」とする勧告を出したところです。今回も慰安婦問題が取り上げられ、それに対して日本政府代表がブチ切れたのかと思ったら、それとは別の問題でした。
 
日本の大使が「シャラップ!」=国連拷問禁止委で暴言
  ジュネーブで5月に開かれた国連拷問禁止委員会で、日本政府代表として出席した上田秀明人権人道担当大使が「シャラップ(黙れ)!」と発言、各国の出席者をあぜんとさせた映像がインターネットの動画サイトに投稿されている。アフリカの島国モーリシャスの代表の批判に大使が反論した際、会場から苦笑が漏れ、怒りのあまりの暴言だった。
 日弁連代表団の一員として会場にいた小池振一郎弁護士によると、モーリシャス代表は、取り調べ時に弁護士の立ち会いを認めない日本の司法制度を「中世のものだ」と批判。これに対し大使が「この(刑事司法)分野で日本は最も先進的な国の一つだ」と反論したところ、笑い声が起きた。
 「シャラップ」は、公式の場にふさわしくない粗暴な表現。騒ぎを受けた11日の衆院法務委員会で、民主党の階猛氏が質問したのに対し、阿部俊子外務政務官は「発言に関しては必ずしも適切ではないと考えている。大使には口頭で注意した。大使も反省の意を表している」と答弁した。
 拷問禁止委員会は、1984年の国連総会で採択された拷問禁止条約に基づき開かれている。日本は99年に条約に加入。各国に対する審査が数年おきに行われ、2007年に続き2度目となる日本に対する審査が5月21、22の両日開かれた。上田大使の発言は22日に行われた。 (時事)(2013/06/14-19:31
 
日本の司法官僚が日本を人権後進国にしているのだということが、このニュースを見るとよくわかります。
 
自民党と官僚は長年にわたって権力の座にあぐらをかき、そのため国民の人権を統治のじゃまと見なすようになったというのが私の考えです。それは自民党の憲法改正草案を見てもわかります。自民党と官僚のために日本は人権後進国になってしまいました。
 
しかし、人権軽視主義者の頭の中をのぞいて見ると、もうひとつの要素が見えるはずです。
それは「戦争」です。
 
橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要」発言は、女性の人権を軽視した発言ですが、見方を変えれば戦争を重視した発言です。
つまり、戦時下では兵隊の士気を高めることがなにより重要であって、そのためには女性の性を利用することも許されると考えているのでしょう。
人権と戦争を天秤にかければ、戦争のほうが重い。それは決して人権を軽視しているわけではなく、戦争が重すぎるのだ、という理屈です。
 
こういう考え方は幅広く見られます。
たとえば今、元CIA職員のエドワード・スノーデン氏がアメリカ国家安全保障局による個人情報収集を暴露して問題になっています。これは明らかに人権侵害であると思われますが、やっているほうは「テロとの戦争」を遂行している以上やむをえないという考えでしょう。
キューバにあるアメリカのグァンタナモ刑務所では拷問など人権を無視した取り調べが行われていますが、これも「テロとの戦争」ということで正当化されてしまっています。
 
自民党の憲法改正草案には、現行憲法では「公共の福祉」となっているところが「公益及び公の秩序」と書き換えられています。なぜこの書き換えをするのかというと、戦争をするときには「公の秩序」を維持することがたいせつだという考えがあるからでしょう。
 
橋下氏に限らず右翼やタカ派は、戦争のためには人権無視もやむをえないと考えています。
つまり「戦争対人権」という図式を描きます。
しかし、これは「戦争イコール人権無視」という図式でとらえたほうがわかりやすいでしょう。
戦争に限らず暴力、レイプ、体罰などはすべて人権無視の行為です。
橋下氏や石原慎太郎氏はもともと体罰肯定論者です。そして(戦時下の)レイプも肯定します。戦争も肯定します。
彼らは「戦争という非常時のためにやむなく人権を無視する」というかもしれませんが、正しくは「日ごろ人権を無視するから戦争が起こる」のです。
 
アメリカが勝手に個人情報を収集したりグァンタナモ刑務所で拷問をしたりするからテロが起こるのです。
 
人権はすべての根底にあるものです。
ですから、「戦争対人権」という図式は戦争を持ち上げすぎています。
人権無視から暴力、体罰、レイプ、戦争が生まれるというふうにとらえるのが正確です。