自民党の憲法改正草案には「家族は、互いに助け合わなければならない」というくだりがあり、これは憲法に道徳を持ち込むものだとして批判の声が上がっています。
ここでは2人の意見を紹介しておきます。
 
96条改正は「憲法破壊」 小林節氏、自民草案も批判
9条改正が持論の憲法学者、小林節慶応大教授が17日、都内の日本記者クラブで講演し、改憲の発議要件を緩和する96条改正は「憲法の破壊だ」と断じた。自民党の改正草案についても「法で道徳を強制し、安易な海外派兵の道も提案している」と厳しく批判した。
 
 小林教授は「憲法は国家権力を縛るものであって(改正に高いハードルを課す)『硬性』となるのは当然」と主張。
 
 自民案には「家族は互いに助け合わなければならない」との条文があるが、小林教授は「『家族は仲良くしなさい』と命じる法律をつくれるようになってしまう。法は道徳に踏み込むべきではない」と訴えた。
 
 
自民改憲草案に河野氏異論=道徳持ち込むべきでない-衆院憲法審
 13日の衆院憲法審査会で、自民党の河野太郎氏が同党憲法改正草案に対し異論を唱えた。草案が「家族は互いに助け合わなければならない」と明記していることについて、河野氏は「道徳を憲法の中に持ち込むべきではない」と指摘した。
 河野氏は「家族が助け合うのは、そうあるべきだろう」とした上で、「道徳は個人に任せられるものだ」と述べ、憲法で条文化することには反対の立場を示した。 
 河野氏の主張に対し、同じ自民党の衛藤征士郎氏は「ちょっと違うのではないか」と批判したが、共産党の笠井亮氏は「非常に共感する。自民党内にもいろいろな意見があると思った」と語り、河野氏を援護した。(2013/06/13-17:05
 
 
一般国民も憲法に道徳を持ち込むことには批判的であるようです。「Yahoo!みんなの政治」では、次のアンケートを実施中で、現時点の結果はこうなっています。
 
自民党の改憲草案の第24条には、「家族は、互いに助け合わなければならない」と記されています。最高法規に道徳を書きこむことに賛否がありますが、「家族の助け合い」を憲法に書きこむべき?
 
書きこんだ方がいい   14% 
書きこまない方がいい   84% 
その他   1% 
 
 
つまり、憲法に「家族の助け合い」などの道徳を持ち込むことには圧倒的に反対の声が多いということです。
 
一方、安倍政権は「道徳の教科化」も推進しています。これについての「Yahoo!ニュース」のアンケートはこうなっています。
 
政府の教育再生実行会議が「他者への理解や思いやり、規範意識」などを育むために「道徳」の教科化を提言、文部科学省が教科化する時期の前倒しを検討しているそう。あなたは「道徳」の教科化に賛成? 反対?
 
賛成 68.3% 71,515
反対 25.9% 27,111
どちらとも言えない/わからない 5.8% 6,144
 
こちらは多くの国民が賛成しています。また、明確に反対の意見を主張する有識者もあまりいないようです。
 
つまり、多くの国民は「憲法に道徳を持ち込むことには反対だが、教育に道徳を持ち込むことには賛成である」ということになります。
一般社会のことと、家庭の中や学校の中のことは別だ、という考え方なのでしょう。
しかし、これは明らかにダブルスタンダードです。
こういうダブルスタンダードでいるから、自民党が憲法の中に道徳を持ち込んできても、明快な反対理由を示すことができないのです。
 
その点、私は一般社会はもちろん、家庭内にも学校内にも道徳を持ち込むことに反対しているので、一貫しています。
なぜほかの人が私のように明快な立場に立たないのか不思議です。
 
ダブルスタンダードの人は要するに、「自分が道徳を説教されるのはいやだが、子どもに説教するのはいい」という考えなのですが、これは明らかに自分勝手なおとなの考えです。
 
 
道徳は無用の存在であるどころか、世の中に害をもたらす存在だ、というと驚かれるでしょうか。
しかし、それは簡単にわかることです。
 
テレビ朝日で放送されていた「ショナイの話」というトーク番組に元阪神タイガースの通訳という人が出たことがあります。その人によると、新入団の外人選手が日本野球に適応できるか否か、すぐに判定できる場合があるそうです。
外人選手が来日すると、通訳は空港に迎えに行きます。そして、空港からタクシーに乗ると、初来日の外人選手は日本の道路が左側通行であることにたいてい驚くそうです。中にはパニック状態になる選手もいるといいます。
そのとき、「different way」という言葉を使う選手は、日本野球に適応して活躍することが多いが、「wrong way」という言葉を使う選手は、日本野球になじめず、活躍できないことが多いというのです。
というのは、「different」というのは単に「違う」という意味ですが、「wrong」は「間違っている」「正しくない」という意味ですから、アメリカのやり方が正しくて、日本のやり方は正しくないと思っているわけです。
もちろん、日本のやり方が正しくないと思っている選手は、なかなか日本の野球のやり方に適応できず、活躍もできません。
 
wrong」は「bad」ほどではありませんが、道徳的な意味があります。ものごとを道徳的にとらえるとだめになるという例です。
 
世の中にはいろいろな決まりごとがありますが、これは交通ルールのようなものだと考えればいいのです。あいさつや礼儀作法もそうです。これを道徳だと考えると不幸になります。
 
家庭の中でも同じです。
結婚というのは、まったく別の環境で育った男女がいっしょに暮らすことです。それぞれの家のやり方というのがありますし、地域による違いというのもありますから、最初は相手のやり方にとまどうことがいっぱいあるはずです。そのとき、「相手のやり方は間違っている。自分が正しい」と思うと、喧嘩になります(喧嘩にならない場合は相手が譲ったわけですから、相手に不満が残ります)
そうした道徳的思考を排して、単に「different」だと認識すれば、喧嘩にはならないはずです。
 
ですから、私は前から「家庭に道徳を持ち込むな」といっています。
 
子どもと接するときも同じです。親が道徳的な目で子どもを見ると、親も子どもも不幸になってしまいます。これは具体的な例で示してみましょう。「発言小町」という掲示板からの引用です。
 
もうすぐ3歳女児のいじわる  おむすび  2013228 22:59
 はじめまして。
今回我が家の娘のことでご相談させて頂きます。
 
娘はもうすぐ3歳になり、下の子は今お腹の中にいます(安定期)。
平日週2~5日で、同じ年齢の子供つながりの友達とお弁当を持って公園やら児童館やらに遊びに行ってます。
2歳になったくらいから、人に対してわざとツンツンすることが時々あり、
「○○ちゃん(ばあちゃん、じいちゃんなど色々)のこと好かんっ。」などと憎まれ口を叩くようになりました。
それと同時に、自分がしたことに対しての相手の反応を観察するようになったのか、
色んなことをしたり言ったりするようになりました。
その一つがいじわるです。
 
明らかに自分より小さい、もしくは自分が勝てそうな相手にやっています。
こっそりと、大人にばれないように、通せんぼをしてみたり持っているものを取ってみたり…
表情を見ていると悪いことをしている自覚はありそうです。
でもやるのです。
 
私は見つけ次第すぐに叱りに行きます。
理由を聞いてみたりもします。
何かの腹いせに(私がかまってくれないとか)やっているのかもと思い、
厳しく言い聞かせるだけでなく抱っこで説明してみたり、
その日の朝にできたことをもう1回褒めてあなたはやればできる子だと言ってみたりします。
でも多くを語りませんし、話をはぐらかすことも多いです。
たまにのって張り切ってくれるんですが、私の手前、喜ばせようとしている感じでもあります。
 
生まれてくる下の子に意地悪することに関しては私が目を光らせるのみですが、
この春幼稚園に入り、親の目が届かなくなるのでかなり心配になってきました。
私の接し方が間違っていたのか、悶々と考える日々です。
やはり私が満たしてやれてないのでしょうか。
 
これは親も子も不幸です。なぜ不幸になっているかというと、親が「道徳の目」で子どもを見ているからです。
「親バカの目」で子どもを見ていれば、親も子も幸せになれるのですが。
 
 
ともかく、自民党は憲法にも学校にも道徳を持ち込もうとしています。
自民党の憲法改正草案は、“説教オヤジの憲法”です。
 
誰でも自民党のオヤジから道徳を説教されたくないはずです。
しかし、自分が人に道徳を説教していては矛盾です。
「自民党のふり見て我がふり直せ」というところです。