女性の教育の重要性を訴えたためにタリバンに銃撃されて世界的に有名になったパキスタンの少女マララ・ユスフザイさんが7月12日、国連本部で演説をしました。7月12日はマララさんの16歳の誕生日で、国連はマララさんをたたえてこの日を「マララ・デー」と名づけたということです。
 
テレビのニュースでマララさんが演説する様子を見ましたが、演説の内容は別にしても、堂々たる態度と歯切れのいい英語で演説する姿にびっくりしました。とても16歳のものとは思えません
もちろん演説の内容もすばらしいものです。演説の全文はこちらで読めます。
 
マララさんタリバン銃撃乗り越え国連演説全文「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる」
 
日本では国際社会に通用する人材、つまり国際人を育てなければいけないといわれていますが、マララさんはまさに国際人の手本のような人です。マララさんについて知れば、どうすれば国際人を養成することができるかわかるのではないでしょうか。
 
マララさんはタリバンに銃撃されて重傷を負ったことで世界的に有名になりましたが、それ以前から目立った活躍をする人でした。先の演説全文を紹介した記事から引用します。
 
 
マララ・ユスフザイさんは1997712日、北部山岳地帯のスワート地区(マラカンド県)に生まれた。父親のジアウディンさんは私立学校を経営する教育者で、マララさんもこの学校に通い、医者を目指していた。
 
同地はイスラム保守勢力が強く、07年には反政府勢力パキスタン・タリバーン運動(TPP)が政府から統治権を奪い、09年まで実効支配している。イスラム過激派 のTPPは女性の教育・就労権を認めず、この間、200以上の女子学校を爆破したという。
 
091月、当時11歳だったマララさんは、英BBC放送のウルドゥー語ブログに、こうしたタリバーンの強権支配と女性の人権抑圧を告発する「パキスタン女子学生の日記」を投稿。恐怖に脅えながらも、屈しない姿勢が多くの人々の共感を呼び、とりわけ教育の機会を奪われた女性たちの希望の象徴となった。
 
同年、米ニューヨーク・タイムズも、タリバーン支配下でのマララさんの日常や訴えを映像に収めた短編ドキュメンタリーを制作している。11年には、パキスタン政府から第1回「国家平和賞」(18歳未満が対象)が与えられ、「国際子ども平和賞」(キッズライツ財団選定)にもノミネートされた。
 
 
父親が学校経営者だということですから、マララさんも生まれつき知的能力が高かったと想像されます。さらに、父親は多くの女子学校が爆破される中で学校経営をしていたのですから、それは命懸けのことだったでしょう。マララさんは父親を見て、その生き方を学んだはずです。
そして、11歳のときからブログが注目され、ニューヨーク・タイムスにとりあげられ、パキスタン政府から賞をもらうなど、すでに“国際人”になっていたのです。
まさに「ローマは一日にして成らず」です。国連であれだけの演説ができる“国際人”になったのには、それなりの経緯があったのです。
 
15歳のときにタリバンに銃撃されて重傷を負ったことでさらに世界中から注目されます。ウィキペディアの「マララ・ユスフザイ」の項目によると、潘基文国連事務総長やヒラリー・クリントン米国務長官や世界各国から銃撃を非難する声が上がったということです。また、マララさんの傷はきわめて重く、命が危ぶまれたことから、世界中から医療を初めとする支援の手が差し伸べられました。
 
マララさんが国連で堂々と演説できたのは、世界からの支援に対して応えなければならないという思いがあったからでもあるでしょう。
 
このように考えると、マララさんはあまりにも特別で、参考にならないと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。むしろ、誰でもがマララさんになれるチャンスがあるということがわかります。
 
ある程度の生まれつきの知的能力は必要だと思われますが、あとはすべて環境がマララさんをつくったのです。信念のある親の生き方、おそらくは知的な家庭環境、学校、そして、ニューヨーク・タイムス、パキスタン政府、世界中の支援者などとの関わりを通じてマララさんは信念と自信を獲得し、世界に発信できる人間になっていったのでしょう。
マララさんほどではなくても、外国人と交流する経験を積み重ねていけば、誰でもある程度“国際人”になれるということです。
 
ですから、日本で“国際人”を養成しようと思ったら、若者が外国人と触れ合う機会を持てるようにし、また海外留学などに行きやすくすればいいのです。また、おとなたちが“国際人”としての手本となればいいのです。
これは当たり前のことですが、現実には無意味なことが多く行われています。たとえば、自分はまったく“国際人”でないおとなが若者に向かって「国際人になりなさい」とか「英語の勉強をしなさい」とかいっているのです。
 
また、朝日新聞の「天声人語」はマララさんについてこのように書いています。
 
 若くして歴史に残る存在となってしまったことの重さはいかばかりかと思う。しかし、この少女ならその重さを正面から受け止め、力に変えていくのではないか、とも思わされる。国連での演説はそれほど感銘深いものだった。
 
 
この書き方は、「この少女」(マララさん)を特別の存在と見なしています。特別な存在であるマララさんなら重い経験を受け止められるというのです。
しかし、実際は逆ではないでしょうか。マララさんは重い経験をしたから特別な存在になれたのです。
 
人間は基本的にみな同じです。
これは前回の記事「吉田昌郎元所長は英雄か」でも書いたことです。
吉田元所長は普通の人間です。たまたま責任者として事故処理の最前線にいたために英雄的な行動をしただけです。
 
私の考えでは、誰でもマララさんのような“国際人”になれるし、誰でも吉田元所長のように英雄的にふるまうことができます(能力による違いはありますが)
 
マララさんは演説でガンジーにも言及しています。
ガンジーは「一人に可能なことは万人に可能である」といっています。
もちろんこれはガンジーのような国家の指導者になれるという意味ではなく(それには能力が必要です)、ガンジーのように非暴力の哲学で行動することができるという意味です。
 
私はマララさんのように国連で堂々と演説することもできないし、英語もできないし、あんな立派な内容のことも話せませんが、それは私がマララさんとはまったく別の人生を歩んできたからです。
このように考えると、自己肯定感を持てますし、マララさんにも共感することができて、いいことずくめです。