新大久保で在特会などが反韓デモや“お散歩”などをやって、「韓国人を殺せ」などと叫んでいるのに対抗して、「レイシストをしばき隊」なる団体が登場し、「お前らこそ死ね」などと叫び返しています。私は表面的にしか知りませんが、「ヘイトスピーチをもってヘイトスピーチを制する」というやり方は間違っているだろうなと思っていました。
 
そうしたところ、8月10日の朝日新聞に「レイシストをしばき隊」主宰の野間易通氏のインタビューが載っていました。
 
(インタビュー)ヘイトスピーチをたたく 「レイシストをしばき隊」野間易通さん
 
これを読むと、やはり根本的に間違っているとは思いましたが、ある程度理解できることもあります。というか、ここにある問題は、世の中に起きているほとんどすべての問題と共通していると思うのです。
その部分を引用します。
 
――デモに抗議するにしても、他にやりようはないのですか?
 「カウンター行動は、これまで上品な左派リベラルの人も試みてきました。ところが悲しいことに、『私たちはこのような排外主義を決して許すことはできません』といった理路整然とした口調では、たとえ正論でも人の心に響かない」
 「公道で『朝鮮人は殺せ』『たたき出せ』と叫び続ける人々を目の前にして、冷静でいる方がおかしい。むしろ『何言っているんだ、バカヤロー』と叫ぶのが正常な反応ではないか。レイシストに直接怒りをぶつけたい、という思いの人々が新大久保に集まっています」
 
確かにこれまで左派の人たちは、決まりきった形でしか主張してきませんでした。たとえば、「平和はたいせつだ」とか「憲法9条を守れ」とかです。しかし、こうした形の主張は、とりわけネット内ではひじょうに不利です。
つまり「平和」とか「憲法9条」というような守るべき価値観を表明すると、あとは反対派から攻撃されるだけになります。
「攻撃は最大の防御」という言葉があるように、戦いにおいては基本的に、守るよりも攻めるほうが有利です。とりわけ論争においてはそうですし、ネット内の論争においてはさらにそうです(私もこのブログにおいて、「平和はたいせつだ」とか「憲法9条を守れ」といったことを主張するのではなく、もっぱら戦争勢力の考え方を批判したり、改憲案を批判したりするようにしています)
 
2ちゃんねるでも昔は、平和主義や護憲主義の立場で論争をする人たちがいましたが、圧倒的に不利な体勢になって、消滅してしまいました。その代わりに今では、右翼的な主張をする人たちを「ネトウヨ」と罵倒する人たちが台頭しています。
つまり右翼的立場からヘイトスピーチをする人たちと、そういう人たちを「ネトウヨ」と決めつけてヘイトスピーチする人たちと、二極分化しているわけです。
 
そして、2ちゃんねる内で二極分化しているのと同じことがリアルの世界で起こって、在特会と「レイシストをしばき隊」が出てきたというわけです。
 
 
それから、野間易通氏のインタビューで気になったのが、氏が「正義」という言葉を使っているところです。
 
――デモ隊もしばき隊も「どっちもどっちだな」という印象を受けます。
 「彼らも僕らも普通の市民。日本社会の多数派、マジョリティーです。それが罵倒し合う光景だけ見れば、確かに『どっちもどっち』です。だが、そこで見落とされているのは、彼らが社会の少数派、マイノリティーを攻撃しており、僕らがそれに反対しているということ。民族差別を楽しむ人と、それに怒っている人のどちらに正義があるか。それは明らかでしょう」
――しばき隊は「正義の味方」ですか。
 「しばき隊の素行もデモ隊に劣らず悪く、決して『善』ではない。レイシストとの対決は『悪対悪』とさえ言えますが、それでも『正義』は疑いの余地なく僕らの側にある」
 
人権派が「正義」という言葉を使うことはめったにないと思います。というのは、「正義」はむしろ人権を抑圧する道具に使われることがあるからです(たとえば死刑制度を考えてみればわかると思います)
 
そうすると、野間易通氏の思想の根底にあるのはなにかということになります。
「ミイラとりがミイラになる」という言葉があるように、「レイシスト狩りがレイシストになる」ということになっているのではないでしょうか。
 
野間易通氏は「しばき隊も在特会も『両方とも消えればいい』とか言う人がよくいるが、実はその通り」とも語っていますが、実際にそううまくいくでしょうか。
最近、「やられたらやり返す。倍返しだ」という言葉がはやっていますが、もし実際にそんなことをしたら倍々ゲームで戦いは拡大していきます。
 
ヘイトスピーチをなくす道は、「正義」だの「報復」だのという概念を超えたところにあるはずです。