安倍首相が首相公邸に引っ越さないのは公邸に幽霊が出るからだという話があります。政治の世界には珍しいおもしろネタです。8月14日の朝日新聞に、お盆だからか、夏枯れのせいか、公邸の幽霊話についての記事がありました。
首相公邸、幽霊出るの? 首相「怖いから一緒に…」
【山下龍一】お盆前の東京・永田町で、首相公邸に幽霊のうわさが流れている。安倍晋三首相が公邸に移らない理由に挙げたためだ。政治家同士の「会談」なら珍しくないが、公邸の幽霊話も真夏の「怪談」のように浮かんでは消えている。
先月30日夜、首相が自民党幹部を公邸に招いた食事会。「首相が公邸に入らないことを心配している人がいる」と語りかけた脇雅史参院幹事長に、首相はこう応じた。
「怖いから一緒に住みましょうよ。幽霊がいるから嫌なんですよ」
同席者が「他の首相もお化けが出るといっていた」と混ぜっ返し、掘りごたつのある和室はしばし幽霊談議に花が咲いた。
いまの公邸は1929年に首相の仕事場である官邸として建てられ、小泉政権の2005年から居住する公邸となった。だが、安倍首相は知人らを食事に招くものの、就任7カ月が過ぎても入居していない。15分ほど離れた自宅から官邸に通い続ける理由としてささやかれているのが、幽霊のうわさだ。
官邸時代には犬養毅首相が暗殺された5・15事件や、2・26事件の舞台になった。官邸を襲撃した青年将校らが玄関でたき火をした跡や弾痕が残っているとされる。ライト風とされる様式を基調とし、建築文化的評価も高い。ただ、重厚なだけに昼間も薄暗く、静かだ。今月3日に見学した小学6年生の男児は「夜になると幽霊が出そう。薄暗くて不気味だった」と話した。
実際、羽田孜元首相の綏子夫人は対談で、隣接していた旧公邸に「庭に軍服を着た人たちがたくさんいるというんです」と暴露。現公邸についても野田佳彦前首相は「幽霊が出るらしいよ」と漏らした。5月には野党議員が「引っ越さないのは幽霊のためか」とただした。
これに対し、安倍内閣は「承知していない」とする政府答弁書を閣議決定。首相自身は6月に出演したテレビ番組で、幽霊のうわさを「都市伝説だ」と一蹴した。
一方、公邸の使い勝手の悪さを指摘する声もある。首相は周囲に「広くて落ち着かない」と漏らす。官邸スタッフの評判も「壁が白っぽく、無理やりパーティションで仕切った感じだ」と芳しくない。政府高官は「万一の場合はヘリで移動できる。公邸に住まなくても問題ない」と話している。
安倍首相はプライベートな場では幽霊話をしても、テレビ番組など公の場では否定しています。幽霊がいるなどと公言すると、バカにされることがわかっているからでしょう。
では、「英霊はいると思いますか」と質問すると、どう答えるのでしょうか。
誰かぜひ質問してほしいものです。
政治家は生きている人間を幸せにすることをもっぱら考えるべきです。幽霊にしろ英霊にしろ、あるかないかわからないものを政治の世界に持ち込んでもろくなことはありません。宗教家やオカルト研究者に任せるべきです。
もっとも、私たちが超自然的なものをまったく否定して生きているかというと、そうではありません。お墓参りをしたり、肉親の遺品に特別な感情を持ったりするのは、なにか霊のようなものの存在を前提としています。
というか、身近な人が死んだときに、なかなか思いを断ち切ることができないので、そうした感情を霊によってつじつまを合わせているとでもいったほうがいいでしょうか。
去年の全国戦没者追悼式での横路孝弘衆議院議長のあいさつも「戦没者のみたまの安からんことを心よりお祈りして、追悼の言葉といたします」と締めくくられています。
「みたま(御霊)」という言葉は宗教的といえば宗教的です。しかし、特定の宗教や宗派と結びついてはいません。
「英霊」はそうではありません。靖国神社(と護国神社)の専有物です。
乃木神社には乃木希典と妻が祀られていますが、乃木神社のホームページを見ると、「御夫妻の御霊をお祀りし」と書いてあって、「英霊」という言葉は使われていません。
ところが、安倍首相は「英霊」という言葉の意味がぜんぜんわかっていないようです。「週刊新潮」における櫻井よしこ氏のインタビューでこんなふうに語っています。
やはりお国のために一生懸命働き、尊い命を失った英霊たちに国のトップが崇敬の念を表明するのは当然のことで、どの国のリーダーもそうしています。
「英霊」に崇敬の念を表明するのを「どの国のリーダーも」しているというのは、むちゃくちゃな言い方です。靖国神社を冒涜しているともいえます。
「英霊」という言葉を使ったり、靖国神社に参拝したりするのは、あくまでも靖国信仰に結びついています。戦死者を追悼するなら、千鳥が淵に参拝してもいいですし、8月15日の全国戦没者追悼式に出席することでも十分ですし、そもそも家で一人でもできます。
もっとも、安倍首相がしたいのは、追悼することでも慰霊することでもなくて、戦死者の霊を持ち上げるパフォーマンスをすることなのでしょう(幽霊を信じていないのですから英霊も信じていないはずです)。
もちろんそれは、今後あるかもしれない戦争において、わが軍兵士が少しでも死を恐れずに戦えるようにしたいからです。
軍の最高指揮官としては見上げた心がけですが、そういう世俗的、利己的な意図で靖国参拝をしていることがわかると、みんな白けてしまいます。
今年の8月15日は、安倍首相は靖国参拝をしませんでしたが、この機会に「英霊」と「兵士の命」についての認識を深めてほしいものです。
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