「集合知」という言葉がありますが、ネット内の議論を見ていると「集合バカ」という言葉のほうがぴったりくることが多いようです。
どうしてネットにはバカが多いのかということが知りたくて、「ネットのバカ」(中川淳一郎著)という本を読んでみましたが、ここにはいろいろなバカのことは書かれていますが、なぜそのようにバカになるのかという分析は書かれていません。どうやら著者は、ネットのバカはリアルのバカと同じというふうにとらえているようです。
そこで、私なりにネットのバカを分析してみたいと思います。
 
私の見るところ、リアルよりもネットのほうがよりバカ度がアップしています。
たとえば、橋下徹大阪市長の「慰安婦制度は必要」発言のとき、一般社会の世論は圧倒的に批判的で、日本維新の会も明らかにそれが原因で票をへらしましたが、ネット内では橋下発言を擁護する意見がかなりありました。
麻生太郎財務相の「ナチスの手口に学べ」発言のときも、本人はすでに発言を撤回して謝罪しているのに、麻生財務相の“真意”を勝手に想像して擁護する意見がかなりありました。
 
こうした傾向は、「集団極性化」という概念で説明できるということを前に書いたことがあります。
「集団極性化」というのは、同じ傾向の人が集団になって議論すると、より極端な結論に導かれやすいということをいう心理学用語です。
 
インターネットは世界に通じているとはいいながら、大多数の日本人は日本語のサイトばかり見ていますから、国内のインターネット上の議論というのは、もっぱら日本人同士がやっているわけです。そのため、他国のことよりも自国の利益追求の方向にどんどん傾き、さらにはタカ派的主張に傾いていきます(私はこれを「愛国バイアス」と呼んでいます)。こうしてネット内には右翼的主張がはびこることになります。
 
慰安婦問題も、ネット右翼が完全に議論を間違った方向に持っていっています。橋下市長はそれを真に受けて、国際的に恥をかいてしまいました。
 
 
では、最近騒がれている、コンビニや外食チェーンでバイトがおバカな写真をアップして炎上するという事件はどう説明できるでしょうか。
 
この事件については、私はおバカ写真をアップするバイトはそれほど問題と思いません。若者は昔からこうしたおバカをやっていたものですし、おバカをすることによって経験値を上げるというプラス効果もあります。
問題はむしろ、それを炎上させるほうにあります。こちらのほうこそ真のおバカです。
たぶん一般社会の人たちは、これらのバイトをそれほど非難しないと思います。
 
ステーキハウスのブロンコビリー足立梅島店は、バイト店員が冷蔵庫に入る写真をアップしたことによって閉店が決まり、本社はバイト店員に対して損害賠償請求を検討しているという報道がありました。しかし、バイト店員が冷蔵庫に入ったことは、そのあとを雑巾で拭いておけばすむ話です。もし閉店の決定がやむをえないものだとすれば、損害賠償請求は、ネットで騒いで炎上させた者たちに対してするほうが筋が通っています(現実には不可能でしょうが)
 
ネットには、このようにくだらないことで騒ぐ人たちがたくさんいます。
たとえば、イタリア・フィレンツェの大聖堂に女子短大生が落書きをしたために大バッシングが起き、短大生がイタリアまで謝罪しに行って涙を流すということがありましたが、実際のところは、この大聖堂には落書きがいっぱいあり、謝罪されたイタリア側が驚いてしまいました。
また、若い女性タレントがテレビで万引きしたことを告白し、何度も万引きしたためにその店がつぶれてしまったといったために、その女性タレントが大バッシングを受けてタレント活動休止に追い込まれるということもありました。
 
個人がネット上で大バッシングされるということの最初は、イラクで日本人3人が人質になった事件だったかもしれません。これは政治問題がからんでくるので少し事情が違いますが、バッシングされる基本的な構造は同じだと思います。
 
このようなバッシングや炎上事件に共通しているのは、バッシングされるほうは“リア充”だということです。
おバカ写真をアップするバイトは、とにかくバイトをしているということで社会的に活動していますし、さらに、おバカ写真を喜んで見てくれるに違いない友だちがいます。これだけでリア充だといってもいいでしょう。
イタリア旅行をしたり、イラクにボランティアに行ったりするのも、それだけでリア充といってもいいでしょう。タレント活動をしているのももちろんそうです。
 
これに対して、ネットで非難の書き込みをしている人たちは、圧倒的確率で“非リア充”だといってもいいでしょう。
そもそも現実社会に生きがいがある人は、ネットにそれほど熱心に書き込みをしません。リアルで満たされないものをネットで得ようとする人たちが熱心に書き込みをするのです。そういう人たちは数はそれほど多くなくても、書き込みの頻度が高いのでネット内の論調を左右する力を持っています。
 
そうした非リア充にとって、リア充はリア充だというだけで攻撃対象になります。そのためバイト炎上事件が多発するのです。
 
つまりこれは、リア充に対する非リア充の反撃というふうに理解できます。
 
 
それから、これは不良同士の抗争というふうにとらえることもできます。
 
家庭や学校に適応できない子どもは、盛り場などで仲間とつるみ、不良になります。これを私は「行動化する不良」と呼んでいます。暴走族などもそうです。
 
一方、家庭や学校に適応できないため、不登校になり、引きこもりになる子どもがいます。これを私は「引きこもり系の不良」と呼んでいます。
実際には引きこもりにならず、学校に行き、就職していても、社会に適応するのに精一杯で、一歩間違うと引きこもってしまいそうな人間もやはり「引きこもり系の不良」です。
 
こうした「引きこもり系の不良」はネットで熱心に書き込みをし、しょっちゅう互いにののしり合っています。これは「行動化する不良」がよく喧嘩するのと同じです。
 
「行動化する不良」と「引きこもり系の不良」はテリトリーが違うので通常は接点がありません。しかし、ネット上におバカな写真をアップしたりすると、それが接点となって「引きこもり系の不良」が「行動化する不良」を一方的に攻撃することになります。
 
これまで「行動化する不良」は認識されてきましたが、「引きこもり系の不良」はほとんど認識されてきませんでした。そのため不良といえば「行動化する不良」のことでした。
しかし、ネットが普及するとともに「引きこもり系の不良」の存在がだんだんと認識されてきました。一部には「ネット右翼」という名前がつけられましたが、おバカ写真をアップするバイトを攻撃するのは右翼と関係ありませんから、これはやはり「引きこもり系の不良」というべきでしょう。
 
非リア充や「引きこもり系の不良」が攻撃的な書き込みをし、しかもその数が多いために、ネットは「集合知」よりも「集合バカ」が目立つ場になったのだと思います。