前の東京オリンピックがあったのは私が中学2年生のときですが、子ども心にもおかしいと思ったのが聖火リレーというやつです。
「聖火」といっても、火に違いのあるわけがありません。聖火リレーの途中でトーチの火が消えた場合、マッチやライターで火をつけ直したらなにがいけないのか。同じ火ではないかと思いまし。
とはいえ、そんなことは誰だってわかっているわけです。わかっていながらやっているのだから、こんなことはおかしいと主張するのもおとなげないということになります。
それでも、なにかもやもやとした気分が残るのも事実です。
 
そうしたところ、聖火リレーが初めて行われたのは1936年のベルリンオリンピックだということを知りました。つまりこれは、麻生太郎財務相の言葉を借りれば「ナチスの手口」なのです。ナチスのオカルト趣味に由来するということがわかって、納得がいきました。
近代オリンピックといいながら、近代的合理主義とは相容れないオカルト趣味がまぎれ込んでいたのです。
 
京都の八坂神社では、大晦日から元旦にかけて、神前の火を参拝者が火縄につけて持ち帰り、その火で雑煮をつくる「おけら参り」という風習があります。これなどまさに「聖火」ですが、あくまで宗教的なことです。
宗教と関係ないはずのオリンピックに「聖火」が存在するというのは、やはり妙なことだといえます。
オリンピックは世界的な行事なのですから、政教分離にならって、“スポ教分離”が行われていいはずです。
 
とはいえ、聖火リレーはオリンピックを盛り上げるのにはなかなか有効なイベントだといえます。
最近は国体でも聖火リレーが行われています。
といっても、国体の場合は「聖火」とはいわず「炬火」(きょか)といいます。
オリンピックの聖火はギリシャのオリンポス山で採火されますが、国体の炬火は適当な場所で採火されるようです。
ちなみに今年の国体は東京都で9月28日から行われますが、炬火の採火イベントは各区市町村で行われ、それぞれの火を炬火リレーで集めて、その火で開会式において炬火台に点火することになります。
どうやって採火するかというと、木の摩擦熱を利用するまいぎり(舞錐)方式で行われるということです。
 
ところで、最近のオリンピックの聖火リレーは世界的規模で行われていましたが、2008年の北京オリンピックのときは、中国のチベット弾圧に抗議する運動で聖火リレーが妨害され、そのためIOCは世界規模の聖火リレーは廃止し、主催国内のみで行うことを決定しました。
ですから、次の東京オリンピックでの聖火リレーは国内だけとなるわけです。
 
しかし、オリンピック憲章で「オリンピック聖火とは、IOCの権限の下にオリンピアで点火された火をいう」と規定されているので、おそらくIOCの役員が火のついたランプかローソクをかかえて、飛行機に乗って運んでくるのでしょう。なんだかバカバカしいことです。
 
なぜギリシャのオリンポスで採火しないといけないのでしょうか。
 
ヨーロッパにはギリシャ文明至上主義みたいなものがあります。それがヨーロッパ文明至上主義につながり、植民地主義、アメリカの黒人奴隷制などにつながっていったのです。近代オリンピックもその流れをくんでいます。
 
また、国際オリンピック委員会(IOC)の委員の配分はヨーロッパに偏っています。
ウィキペディアの「国際オリンピック委員会委員一覧」によると、次のようになっています。
 
20126月現在、IOC委員の数は111名。
ヨーロッパ(EOC) - 47
アジア(OCA) - 24
パンアメリカン(PASO) - 20
アフリカ(ANOCA) - 15
オセアニア(ONOC) - 5
 
人口比率を考えると、アジアの委員の数は圧倒的に少ないですし、経済力を考えるとアジアとパンアメリカンの委員の数が少ないことになります。
“スポーツ力”とか“スポーツ水準”によって委員が配分されているのだという説があるかもしれませんが、ロンドンオリンピックのメダル獲得数はアメリカが1位、中国が2位です。
つまり、どう考えてもIOC委員の配分はヨーロッパに偏りすぎています。
 
確かに近代オリンピックは古代ギリシャに起源があるとされ、もともとヨーロッパ的なものですが、今では全世界的なイベントになったのですから、ヨーロッパ偏重は改めなければなりません。
ただ、委員の配分というのは既得権益ですから、そう簡単に変えられないでしょう。そこで、日本はとりあえず聖火の採火場所はギリシャのオリンポスではなく主催国内で行うべきだと主張すればいいのではないでしょうか。
日本の場合、国体の方式を見習って、富士山頂とか高天原とか原爆ドームとか知床とか、いろんなところで聖火の採火式を行い、それを聖火リレーして、それぞれの火をひとつにまとめて開会式で点火するというやり方が盛り上がると思います。
 
採火をギリシャのオリンポスでやらないということについては、ヨーロッパなどの委員が反対するでしょう。そのときにはオリンポスでの採火は「ナチスの手口」だと主張すると、言い分が通りやすくなるのではないでしょうか。
 
また、東京オリンピックの2年前に韓国の平昌で冬季オリンピックが行われるので、韓国と日本が共闘してオリンピックのヨーロッパ偏重を是正していくのがいいでしょう。共通の目標があると、日韓友好も進めやすくなります。
開会式の入場行進でギリシャが先頭に立つという習わしも、欧米人以外には無意味なことですから、やめてもらいたいものです。
 
日本が韓国や中国とうまくやっていけないのは、実は日本が欧米に対してものが言えないからです。日本が欧米に対して植民地主義を反省しろと言えるようになれば、自然と日本は韓国や中国とうまくやっていけるようになります。
とりあえずオリンピックの聖火を取り上げて、欧米に対してものを言う練習を始めるのがいいのではないでしょうか。