「アベデュケーション」という言葉があるそうです。安倍内閣の経済政策がアベノミクスですから、アベデュケーションは安倍内閣の教育政策です。
 
安倍首相の師匠筋である森喜朗氏は文教族のドンでしたから、安倍首相もその流れをくんでいます。安倍首相の尊敬する人物は吉田松陰だそうです。
 
「愛国心はならず者の最後の逃げ場」という言葉がありますが、「教育はならず者の最後の逃げ場」という言葉もあっていいはずです。教育は、弱い立場の子どもが相手なのでやりたいようにできますし、その結果が出るのは何年もあとですし、仮に悪い結果が出ても「20歳すぎれば本人の責任」といって言い逃れすればいいのです。
 
橋下徹大阪市長も安倍首相に劣らず教育政策に熱心です。国と違って地方自治体ですから、政策の実現スピードが違い、校長公募制度はすでに動き出しています。しかし、これがひどいことになっています。
 
 
大阪市公募校長制度見直し急務 セクハラやパワハラ…「11分の6」の衝撃 
 
 大阪市の橋下徹市長が導入した公募制度で就任した民間出身の校長や区長による騒動が止まらない。とりわけ4月に着任した校長は11人のうち6人が不祥事やトラブルなどを起こしており、「11分の6」の衝撃は市議会の猛反発を招いている。前向きな取り組みを進めながらも手続きミスで問題化する事例もあり、今後も民間人校長を採用する市教委では採用基準や研修方法などの見直しが急務となっている。教育現場に新しい価値観を吹き込むことが期待される公募制度だが、市教委や校長の手探りが続きそうだ。
 
批判浴びる「欠陥」
 
 「校長は11人中、6人。教育崩壊以外の何物でもない」。20日午前、市議会の公明、自民、民主系3会派の幹事長らが橋下氏を訪れ、厳格な処分や採用方法に問題がないか点検を促す申し入れ書を渡した。
 
 校長職として3年の任期で採用され、他の職務に就けないという制度上の「欠陥」についても批判があった。橋下氏は「不適格なら分限対象。指導研修をして、適格性を見極める」と分限免職の可能性に言及。同席した市教委の永井哲郎教育長も「雇用のあり方を議論していく」と述べ、火消しを図った。
 
 校長11人は書類選考や2度の面接を経て、928人の中から選ばれた。3カ月間ほどの研修では法令や服務規程を勉強。3つの学校を訪れ、校長に付き添って実務を学んだ。
 市教委幹部は「いい研修ができたと思っていた」と振り返るが、1人がわずか約3カ月で早期退職し、2人がセクハラ行為などで懲戒処分や厳重注意を受けた。そして今月19日、追い打ちをかけるようにパワハラの疑いなど新たに3人のトラブルが発覚した。
 
「効果」は早期開示
 
 市教委によると、校長3人がそれぞれ(1)口論となった教頭に謝罪を求めて教頭が土下座した(2)女性教職員6人に「なんで結婚しないのか」などと質問した(3)出張や時間休の手続きをとらずに数時間外出して中抜けした-とされる。
 
 (1)の校長は産経新聞の取材に「『土下座しろ』とは言っていないが、土下座するような関係は適切ではない」と反省の言葉を述べた。(2)の校長は「着任直後、家族構成などを確認した際に結婚の有無は聞いたが、『なぜしないのか』などは絶対に言っていない」と反論。一方、(3)の校長は放課後に児童の学習指導を行う学生ボランティアの確保に動くなどしていたといい、「時間休などの手続きを熟知していなかったことはミスだが、仕事の関係で出かけた」と強調した。
 
 公募への批判が強まる中、市教委は来年の35人着任に向け準備を進める。20日には第2次選考で71人が残ったことを発表した。市教委幹部は「セクハラなどが続いたことで『外部人材は校長としての覚悟がない』と思われている。次の採用では研修の内容を大きく変えないといけない」と厳しい表情で語る。
 
橋下氏は「民間から公務員の世界にきて、はじめから公務員と同じ振る舞いをするのは無理。失敗もあると思うが、プラスの効果がある」と擁護するが、太田肇・同志社大教授(組織論)は「畑違いの人材を教師という玄人集団のトップに立てるのは無理がある」と批判する。
 
 一方、人材コンサルタントの常見陽平氏は「トラブルの原因を早く総括した上で、『効果』を強調するなら具体的に示したほうがいい」と提言している。
 
 
校長公募制がうまくいかない理由のひとつは、もともとろくな人材が応募してこないことであると思います。
校長といえば社会的なステータスがかなり高いですし、「先生」と呼ばれたい人もいます。
また、校長には特別な技能は必要ありません。どんな人でも自分の学校での体験から、それなりの“教育論”を語ることができます。自分の“教育論”を実践したいという動機で応募してくる人もいるでしょう。
そして、自分の“教育論”を実践した結果については責任を問われることはありません。
これが民間企業の支社長なら、営業成績が必ず数字で出てきますが、学校教育にそういうものはないからです。
そのため、無責任で、校長という地位だけほしい人間が集まってきたのではないかと想像されるのです。
 
そして、校長公募制がうまくいかないもうひとつの理由は、選考する側に選考する能力がないことです。
 
校長にふさわしい人間とはどのような人間であるか、おそらくなんの基準もなしに選考しているのでしょう。
とはいえ、それは仕方ない面もあります。
英語の教師を採用するなら、英語力と英語を教えるスキルを評価すればいいわけですが、校長にはそのような明快な選考基準はないはずです。となると、その「人物」を見て評価するということになります。
しかし、人間が人間を評価するというのは、根本的にむりです。
 
私は前回の「大学入試に『人物重視』」という記事で、教育再生実行会議が国公立大学の2次試験をペーパー試験から面接などによる「人物重視」に変える方針だということを取り上げて、批判しました。
面接で「人物」見て選考すると、どんな結果になるかということは、大阪市の校長公募制を見れば明らかでしょう。
 
ちなみに安倍首相が尊敬する吉田松陰は、若いころに脱藩して処分され、さらには外国に密航しようとして幕府によって投獄され、長州藩に送られて幽閉生活を強いられているときに松下村塾を開きます。こういう経歴の人物が大阪市の校長職に応募してきたら、書類選考で落とされるでしょう。
 
私は吉田松陰には詳しくありませんが、今ウィキペディアの「吉田松陰」の項目を見ていると、『松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる』という記述がありました。
弟子といっしょに意見を交わすということは、弟子を自分と対等の人間として尊重しているということでしょう。
 
アベデュケーションや大阪市の校長公募制などは、上から目線の傲慢な発想に基づくもので、そんな教育改革がうまくいくはずがありません。