最高裁がある法律を違憲と判断したら、立法府はただちにその法律を改正または廃止しなければなりません。これは三権分立の原則からして当然のことですが、自民党はその原則が通用しない政党です。
 
 
最高裁違憲判断でも…婚外子差別の法改正に慎重論 自民法務部会
201310240500
 自民党法務部会は23日、最高裁の判断を受け、結婚していない男女間に生まれた「婚外子」の遺産相続分を、結婚した男女間の子と同等にするための民法改正案について議論した。保守系議員から「家族制度が崩れる」などと異論が相次いだ。政府は今国会への民法改正案提出をめざすが、党内のとりまとめは難航しそうだ。
 
 
 最高裁は9月、親が結婚しているかどうかで子の遺産の取り分を区別した民法の規定を違憲とする判断を示した。これを受け、政府は取り分に格差を設けた規定を削除する法整備を急いでいる。この日の部会には約40人の議員が出席した。法務省が、外国でも差別撤廃が実現していることなどを説明し、理解を求めた。
 
 ところが、伝統的な家族観を持つ保守系の議員らは、婚外子への格差をなくせば、法律で認める結婚制度が軽視されかねない、と指摘。事実婚などが増え、伝統的な「夫婦」や「家族」が崩壊する、との懸念を示し、慎重論が相次いだ。西川京子文科副大臣は「民法で婚姻制度を規定している。(法改正したら)民法の中で自己矛盾する」と述べた。
 
 「憲法がムチャクチャだからこういう判断が出る」(西田昌司参院議員)、「なぜ最高裁が言ったら変えなければいけないのか」(小島敏文衆院議員)との意見まで出た。自民党では、24日に民法改正に反対する有志による勉強会発足も決まった。
 
 「最高裁判断は尊重すべきだ」との声も複数出たが、大塚拓法務部会長は会合後「法案了承の見通しは分からない」と話した。
 
 一方公明党や、民主党など多くの野党は改正に前向きだ。
 
 
自民党には独特の家族観があり、それは三権分立よりも優先されるようです。
 
かつて日本では、親殺しを通常の殺人罪よりも重罰にする「尊属殺人罪」がありましたが、1973年に最高裁がこれを違憲と決定しました。しかし、与党であった自民党は改正の先送りを続けて、結局、22年後の1995年に刑法の条文を文語体から口語体に改めるという刑法大改正の際にようやく尊属殺人罪が削除されました。
 
「尊属」という言葉は「卑属」という言葉と対になっています。男女関係は「男尊女卑」、親子関係は「尊属・卑属」というわけで、儒教思想からきています。
 
少し昔のことですが、自民党の議員たちは「尊属・卑属」という考え方を守ることは、最高裁の判決に従うことよりも重要と考えていたようです。
今は、婚外子の相続差別を守ることは最高裁判決より重要と考えているようです。
 
また、夫婦別姓についても、1996年に法制審議会が選択的夫婦別姓制度を答申しましたが、これも主に自民党の反対のせいでいまだに実現していません。
 
家族制度というのは「国のかたち」の根幹をなすものです。そういう意味で保守系議員がここに執着するのもわかります。
アメリカでは保守系議員は「同性婚反対」「中絶反対」を強硬に主張し、これはアメリカの政治における大きな争点になっています。
 
自民党は日本国憲法改正草案においても家族に関する条文をつけ足して、議論を呼んでいます。
 
〈自民党の日本国憲法改正草案〉
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
 
この改憲草案の条文については、「国家は国民の私生活に介入するべきでない」とか「国民を道徳で縛るべきではない」という批判があります。
 
しかし、これらの批判は、憲法にこうしたことを書くべきではないという批判で、書かれた内容を批判するものではありません。そこが批判としては弱いところです。
 
自民党がこうした条文をつけ足したのは、おそらく教育勅語を真似たのでしょう。教育勅語には、「爾臣民、父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信ジ」という部分があります。
また、この部分を取り上げて、教育勅語にもよいところがあると主張する人がいます。
 
「夫婦相和シ」とか「家族は、互いに助け合わなければならない」というのは当然のことであり、それに反対する人はおかしいのではないか、というのが自民党の主張ではないでしょうか。
そして、そう主張されたとき、まともに反論できる人がいるでしょうか。
 
もちろん私は反論できます。
その反論を書いてみましょう。
 
家族における問題として、ドメスティックバイオレンスがあります。夫が妻に暴力をふるっているとき、あるいは親が子を虐待しているときには、暴力をふるっている側をまず止めなければなりませんし、場合によっては逮捕しなければなりません。暴力をふるわれている側はまず保護されなければなりません。
 
もしDVの現場に直面したとき、「お互いに仲良くしなさい」と言い聞かせるだけですましたら、それは暴力をふるっているほうを許したことになります。
自民党改憲案の「家族は、互いに助け合わなければならない」というのはそれと同じことです。
 
あるいは離婚する夫婦の場合も、「家族は、互いに助け合わなければならない」という憲法があったら離婚しなかったなどということがあるはずありません。
離婚調停するときに、調停委員が「家族は、互いに助け合わなければならない」などと説教していたら、調停が進みません。
 
つまり家族の中には、DV、仮面夫婦、子どもの非行などの問題があり、いわばよい家族もあれば悪い家族もあるのです。そこに「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」という憲法をつくると、悪い家族までも尊重されることになってしまいます。憲法に「企業は尊重される」と書き込んで、ブラック企業までも尊重するのと同じです。
 
家族の問題に向き合わず、むしろそれを隠蔽してしまうのが自民党の改憲草案です。
なぜそういう改憲草案をつくったかというと、自民党の議員たちは、家族の中で優位に立って、わがままにふるまうことができているからです。
 
家族の中には性差別があります。
それに加えて、私は「子ども差別」という概念も加えるべきだと主張しています。
家族の中にも、支配と抑圧と差別があるのが現実です。
 
家族は「国のかたち」の根幹をなすものです。
よい国をつくろうとすれば、家族の問題を直視し、改革することから始めなければなりません。
しかし、自民党は家族の問題を解決したくない政党だと思われます。