謝罪会見をしたのに、みのもんた氏への批判はかえって強まっているようです。
しかし、その批判は的外れなものばかりのように思えます。
 
たとえば週刊文春は、みのもんた氏が次男のために南青山の一等地に2億円の豪邸を建てているということで批判しています。しかし、これは批判されることでしょうか。
みのもんた氏自身は鎌倉の豪邸に住んでいて、これが17億円だと報道されています。だとすれば、次男に2億円の家を援助するのは普通のことに思えます。というか、なんの援助もせず、次男が自分の収入だけで普通の家に住んでいれば、みのもんた氏は薄情と批判されかねません。
もっとも、「子孫に美田を残さず」という考え方からすれば、みのもんた氏のやり方はよくないことになりますが、「子孫に美田を残さず」という考え方が絶対正しいわけでもありません。自分に多額の収入があれば一族に恩恵を与えるやり方のほうが普通です。
 
結局、週刊文春の批判は、金持ちに対するやっかみでしかないと思われます。
 
みのもんた氏はキャスターとして他人の不祥事はきびしく批判してきたのだから、自分の不祥事で批判されるのは当然だという主張もあります。あるいは、自分のことは棚に上げて他人を批判してきたのはけしからんという主張も似たようなものでしょう。
これは筋の通った批判のように見えますが、こうした批判は本来、次男の不祥事がなくても成立するものです。
人間は誰でも叩けばホコリが出るものです。ですから、キリストが「汝らのうち罪なき者、石持てこの女を打て」と言ったとき、その場にいたパリサイ人は誰も石を投げなかったのです。
ところが、現代の日本では、みのもんた氏も一般の人もみんなが石を持って投げつけています。みのもんた氏の場合は、たまたま次男の不祥事が発覚したにすぎません。
みのもんた氏が番組をやめたあと、後任のキャスターがみのもんた氏と同じようにきびしく人を批判したとしたら、今みのもんた氏を批判している人はどうするのでしょうか。きっと後任のキャスターといっしょになって石を投げつけるのでしょう。今みのもんた氏に石を投げつけているように。
 
みのもんた氏はセクハラについても批判されています。セクハラが事実だとすれば、これは確かに重大な問題です。
ただ、今の時点では、セクハラの被害者が訴え出ていません。もちろん局アナと大物芸能人という関係で訴え出ることができないのだということは十分に考えられます。しかし、被害者の訴えがないというのはセクハラ成立の最大の要件が欠けているわけですから、あくまで“セクハラ疑惑”にとどまります。
 
このように考えると、みのもんた氏への批判は的外れか決め手を欠いたものばかりのようです。
 
とはいえ、みのもんた氏が“無実”であるというわけではありません。確実に“有罪”であると思われることがひとつあります。
それは、次男に対する体罰です。みのもんた氏は会見の中で、「私は殴るタイプなんです」と言っています。「殴ったのはいくつくらいまで?」という質問に対して、「中学の二年くらいまで殴ってました」と答えています。
これは「任意の自白」ですから、“有罪”と見なしていいはずです。セクハラが“疑惑”にとどまるのとは違います。
 
中学の二年まで殴っていたということは、次男の体が大きくなって一方的に殴れなくなったからやめたということでしょう。反省してやめたというのではなさそうです。
 
大阪市立桜宮高校で体罰を受けた生徒が自殺して以来、マスコミはスポーツ界の体罰についてはきびしい姿勢で追及しています。
みのもんた氏の場合は、家庭内の体罰です。いや、「体罰」といわずに「暴力」といったほうがいいでしょう。ドメスティックバイオレンスです。マスコミはドメスティックバイオレンスは追及しないのでしょうか。
 
みのもんた氏は「私は殴るタイプなんです」と、タイプという言葉を使っています。つまり、子どもを殴ったことを個人的行為ととらえるのではなく、暗に自分と同じタイプの人間がいるだろうと言っているわけです。そして、当然マスコミの中にも同じタイプがいるので、マスコミはこの問題を追及しないのでしょう。
 
みのもんた氏が番組を降板したのは、直接には次男の不祥事が原因です。とすると、次男に対して暴力をふるっていたことはいちばんに取り上げるべき問題のはずです。
また、番組キャスターがDVをしていたということももちろん大きな問題です。これでは学校運動部の体罰問題の追及もできませんし、幼児虐待の問題などの追及もできないはずです。
さらにいうと、石原慎太郎氏や橋下徹氏などタカ派政治家は体罰肯定論者である傾向があって、DVは政治的立場とも関連しています。DVの過去のある人間を政治的発言のできるポストにつけてきたテレビ局も批判されるべきです。
 
ともかく、みのもんた氏のDVを批判せず、的外れの批判ばかりしているマスコミは倫理観がマヒしているといわざるをえません。