高畑勲監督のアニメ「かぐや姫の物語」を試写会で観ました。
 
宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観たあとなので、どうしても比較してしまいます。
こちらのほうがわかりやすく、素直に感動できます。というか、空を飛ぶことが好きで戦争の道具をつくってしまった男の物語にはどうしても素直には感動できないというべきでしょうか。
 
しかし、「かぐや姫の物語」がわかりやすいかというと、そうではありません。ストーリーは「竹取物語」と基本的な部分は同じですが、考えてみればもとの「竹取物語」がなんとも不思議な物語ですから、「かぐや姫の物語」もすっきりとは割り切れません。
というか、いろんなとらえ方が可能で、人によって解釈も違ってきそうです。
 
水彩画のような絵は美しく、観ていて飽きるということがありません。
とはいえ、2時間17分は少し長く、もう少し短くできる余地があったと思います。
 
最初、かぐや姫は竹取の翁と媼のもとで、自然豊かな田舎で育ちます。シカ、イノシシ、キジ、カエル、バッタなどの生き物に囲まれ、近所にはいっしょに遊ぶ子どもたちがいますし、木のお椀などをつくる木地師の一家もいます。定住しない木地師は被差別民だったという話もありますが、この田舎には差別というものがありません。
やがてかぐや姫は成長し、都に住むことになります。都は田舎とはうって変わって、貴賎と貧富が最大の原理である社会です。
つまり自然とともに生きる生活と、文明化され貴賎と貧富に支配される生活とが対比されます。自然の描写に力が入っていることから、高畑監督の狙いもここにあるではないかと想像されます。
 
そして、もちろんのこと男と女の物語でもあります。
かぐや姫は高貴な男たちの求愛を、無理難題をいってはねつけます。かぐや姫は「男を徹底的に拒む女」なので、フェミニストから高く評価されたりします。
ちなみにかぐや姫の声優をやった朝倉あきさんは、インタビューで「いちばん好きなセリフはなんですか」と聞かれて、「『私は誰のものにもならない!』です」と答えていました。
原作では拒んだ挙句に月の世界に帰っていくのですが、「かぐや姫の物語」では幼なじみとの恋が描かれます。色恋がまったくないのでは今の観客は納得しないので、これは当然の改変でしょう。
しかし、この恋の比重はそれほど重くありません。
 
それよりも重いのは、かぐや姫と育ての親との関係です。
竹取の翁と媼はかぐや姫を赤ん坊のときから育て(かぐや姫は成長が早く、1年で初潮を迎えます)、翁はかぐや姫に、高貴な人間になるような教育を授け、結婚相手を探して玉の輿に乗せようとします。しかし、かぐや姫は教育されることは好きではないし、結婚もしたくありません。ただ、媼はかぐや姫の理解者で、都の屋敷の一角に、田舎と同じような暮らしのできるところをつくります(マリー・アントワネットがヴェルサイユ宮殿の一角に田舎そのままの庭をつくったことが思い出されます)
 
教育や結婚を巡る親子の葛藤はあっても、翁と媼にとってかぐや姫を赤ん坊から育てたことは喜びであり、かぐや姫にとっても幸せな記憶です。
そして、この幸せは田舎暮らしと結びついています。
田舎では、子どもは野山で自由に遊んでいます。いくら騒いでも誰にも叱られません。
今の時代、親は子どもが騒ぐと、静かにしなさい、行儀よくしなさいと叱ります。そうすることでよい人間にしようと思っているのですが、実際のところはイジメをする人間やヘイトスピーチをする人間になるのがオチです。
 
親子関係でむずかしいのは、親離れ子離れですが、かぐや姫の場合は、月からの迎えがくるので必然的に親離れ子離れができてしまいます。翁と媼も、なにしろ竹の中から授かった赤ん坊ですから、そうした別れは予感していたと思われます。これはむしろいい形の親離れ子離れであるかもしれません。
 
そもそもなぜかぐや姫は月から地上にやってきたのかという疑問がありますが、それについては結末で説明らしいものがあります。また、「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーの説明にもなっているのかもしれませんが、私はあまり腑に落ちませんでした。ネタバレになるので具体的には書けません。
 
月の世界は超越的な世界です。地上は、愛することや別れることのある人間(生き物)の世界です。これもまた対比になっています。
 
自然と文明、男と女、親と子、天上と地上という重層的な構造の物語ですが、高畑監督の意図は、たとえば赤ん坊であるかぐや姫がカエルの動きをまねてハイハイをし、立ち上がるというシーンを見ても明白です。
 
ただ、へんに冷静な気分で見てしまったなあという思いがあります。
その理由を考えると、普通観客は主人公に感情移入して映画を観るものですが、かぐや姫はその存在そのものが謎で、なにを考えているのかよくわからないので、なかなかかぐや姫に感情移入できないということがあると思われます。
そのため物語に深く入っていけないのです。
ただ、それによって物語全体を鳥瞰することになり、人間についていろいろ考えてしまうという効果もあります。
 
宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、宮崎監督の主人公に対する思い入れが深く、そのため矛盾もありますが、いろいろ考えさせられる作品です。
高畑勲監督の「かぐや姫の物語」は、高畑監督の思い入れは特定の人物ではなく物語全体にあると思われ、そのためにいろいろ考えさせられます。
いろいろな意味で対照的な作品です。