安倍首相は保守主義者ということになっています。
といっても、今は保守主義者だらけです。右翼は右翼を名乗るのがカッコ悪いので自分は保守主義者だといいますし、中島岳志北海道大学公共政策大学院准教授など、どう見ても左翼ではないかと思える人まで、保守主義者を名乗っています。
 
保守主義とはなにかというと、むずかしくいえばいくらでもむずかしくなりますが、いちばん単純にいうと、古い制度を守ろうとする思想です。
 
そうすると、古い制度とはなにかという問題が出てきます。
フランス革命のときは旧体制を守ろうとするのが保守主義で、社会主義思想が出てきたときは資本主義体制を守ろうとするのが保守主義です。
しかし、今の日本においては、いろいろな立場の保守主義があります。
それについて考えるのにいい手がかりが朝日新聞の「天声人語」にありました。
 
(天声人語)明治日本がどう見える?
20131140500
明治の初期のころの庶民はたいそう機嫌がよかったらしい。いつもにこにこして、晴れ晴れしかった。大森貝塚の発見で知られる米国の博物学者エドワード・モース(1838~1925)が『日本その日その日』に書き残している▼3回にわたり滞日した。日本は子どもたちの天国だと、モースは繰り返し強調する。大切に注意深く扱われ、多くの自由を与えられつつ、自由を乱用はしない。その笑顔からして、彼らは〈朝から晩まで幸福であるらしい〉とまで書く▼偏見に曇った眼鏡よりは共感に満ちたバラ色の眼鏡を。そう信じたモースの記述はくすぐったい感じもするが、失われた時代の貴重な証言だ。彼は膨大な収集品も残した。火鉢や箱枕から店の看板や大工道具まで、暮らしの中の身近な品々である▼それらが里帰りしている。両国の江戸東京博物館で開かれている「明治のこころ」展である。品物だけではない。当時の日本の姿をいきいきと捉えたスケッチやガラス原板写真も数多い。いまだ文明開化の波の及ばぬ市井の日常がよみがえる▼赤ん坊をおぶった子らがにらめっこをする一枚に頬が緩む。障子紙をぼろぼろにしたイタズラ小僧たちも笑いを誘う。小林淳一(じゅんいち)副館長に聞くと、やはり子どもをめぐる展示に力を入れたという。いじめや虐待が絶えない今の世相が念頭にあった▼明治日本がただの異空間と映るか、それとも懐かしさやつながりを感じるか。見る側の機嫌のよしあしを占ってくれそうな試みである。
 
 
モースに限らず、幕末から明治初期に日本を訪れた欧米人は、とりわけ日本の子どもがたいせつにされていることに驚いたようです。また、子どもだけでなく、おとなの庶民も幸せだったようです。
 
こうしたことは次の本にも詳しく書かれています。
 
「逝きし世の面影」(渡辺京二著)平凡社ライブラリー
 
明治初期の庶民が幸せだったということは、明治維新以降、人々はどんどん不幸になっていったということになります。
明治維新以前の日本と明治維新以降の日本では、別の国といえるほどに違ってしまいました。
ですから、保守主義といっても、明治維新以前の日本に立脚するものと、明治維新以降の日本に立脚するものとではまったく違うことになります。
 
それから、明治維新以降の日本といっても、たとえば司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いたころの日本と、昭和の軍国主義化した日本とも大きく違ってしまいましたから、ここでも保守主義はふたつに分かれることになります。
 
安倍首相を初めとする多くの保守主義者は、軍国主義の日本に立脚しています。ですから、従軍慰安婦問題はなんとかなかったことにしたいし、侵略も言葉の定義が云々ということでごまかしてしまいたいわけです。

 
同じ保守主義者といっても、軍国主義日本に立脚している人と、軍国主義以前に立脚して、自由民権運動や大正デモクラシーなども視野に収めている人とではまったく違います。
 
そして、さらに違うのが明治維新以前の日本に立脚している人です。
「天声人語」にあるように、江戸時代の名残りのある明治初期の人々はいつも機嫌よくニコニコしていたようです。しかし、明治も中期以降になると、たとえば夏目漱石のように、みんな不機嫌になってしまいます。
となると、明治維新以前の日本に立脚するという立場があるのは当然です。むしろこれがほんとうの保守主義というべきでしょう。
 
しかし、そういう人はほとんどいないのが実情です。
多くの人は、明治時代の日本を伝統的な日本と思って、それ以前の日本を頭の中からまったく排除しています。
 
たとえば先日、アメリカのキャロライン・ケネディ駐日大使が信任状奉呈式のために馬車で皇居に入ったということがニュースになりました。馬車を使ったということが伝統的なやり方のように報道されましたが、明治以前の日本には馬車というものが存在しないので、あれは西洋式のやり方です。
日本の伝統的なやり方をするなら、牛車でやらないといけません。日本の皇室ないしは宮内庁は日本の伝統をないがしろにしています。
馬車に乗っているところなど外国のマスコミにとってはまったく珍しくありませんが、ケネディ大使が牛車に乗っているシーンなら、いかにも日本的だということで外国からも注目されたことでしょう。
 
これから日本が国際社会で存在感を持つためにも、日本人はなにが日本の伝統かということを正しく把握しないといけません。
 
それにしても、幕末から明治初期の日本人が機嫌がよくニコニコしていたということは、近代とか進歩というものについて根本的な見直しが必要になり、これを考えると否応なしに思想が深化していきます。
私などこれをつきつめて、文明の発祥のところまで行き着きました。
 
もっとも、「天声人語」は、「見る側の機嫌のよしあしを占ってくれそうな」ことと締めくくっています。「思想」ではなく「機嫌」の問題にしていることが巧みで、「天声人語」が万人受けするコツはこれかと思いました。