自民党の石破茂幹事長が特定秘密保護法案反対の大音量のデモをブログで「テロと変わらない」と批判しました。これに批判が殺到すると、石破幹事長はブログで「お詫びと訂正」を発表し、テロに関する記述を取り消しました。しかし、その後の記者会見での発言を見ると、ほんとうに反省しているか疑問です。
 
普通の人は、こうした愚かな発言を見ると、批判して、抹殺したいと思います。これは、きたないゴミは早く捨ててしまいたいと思うのと同じです。しかし、今はリサイクルの時代です。きたないゴミでも、それについてよく知れば、再利用の方法もわかりますし、発生を防ぐ方法がわかることもあります。石破発言についても、よく知れば、われわれにとって役立つものになるかもしれません。
 
とりあえず「石破茂オフィシャルブログ」の記事で、テロ批判の部分と、そのお詫びの部分を張っておきます。
 
20131129 ()
今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
 
 
201312 2 ()
お詫びと訂正
 
 石破 茂 です。
  
  整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。
  一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。
  「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。
 
 自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。
 
 
石破幹事長が撤回したのは、テロに関する部分だけで、デモ批判の部分は撤回していないようです。それは、12月2日午後の記者会見でもわかります。
 
石破氏再びデモ批判 「民主主義と異なる」
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 自民党の石破茂幹事長は二日付の「おわびと訂正」と題したブログで、特定秘密保護法案や原発再稼働に反対する国会周辺などでのデモを「テロ」と例えたことについて、表現を撤回し「党の責任者として、行き届かなかった点があったことをおわび申し上げる」と陳謝した。
 
 十一月二十九日付の「テロと本質的には変わらない」との表現は取りやめた代わりに、「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と重ねて指摘。デモを批判する姿勢は変えなかった。
 
 石破氏は二日午後に国会内で記者会見し、当初のブログ内容について陳謝。その上で、「整然と行われるデモや集会は民主主義にとって当然必要だと思うが、一般市民に畏怖の念、恐怖の念を与えることは、どんな主義主張であれ、やっていいとは思わない」と重ねて批判した。
(後略)
 
 
石破幹事長は特定秘密保護法案賛成の立場ですから、反対派のデモの主張を批判するのは当たり前のことですが、石破幹事長はデモのやり方を批判しています。これはデモの否定ひいては民主主義の否定と解釈されても仕方ありません。どうやら石破幹事長の脳内で混線が起きているようです。
 
すべての始まりは、石破幹事長の脳内に生じた「恐怖」です。
石破幹事長は大音量のデモに対して「恐怖」を感じたのです。
そして、石破幹事長は「恐怖」イコール「テロ」と考えました。「テロ」はもともと恐怖ないしは恐怖政治という意味で、恐怖で人を支配しようということですから、この発想はそれほど間違っていません。
ですから、石破幹事長はこのようなデモはテロと本質的に変わらないといったのです。
 
石破幹事長は2日の記者会見でも「畏怖の念、恐怖の念」という言葉を使っていますから、デモに対して恐怖を感じたのは間違いないでしょう。
 
石破幹事長が体験した議員会館の外のデモがどの程度の大音量であったのかわかりませんが、大音量のデモに恐怖を感じたというのが不思議です。
普通の人は、大音量のデモに対して、「迷惑」だとか「不快」だとか思うことはあっても、「恐怖」を感じることはないはずです。
東京都心では日常的に右翼の街宣車がそれこそ大音量で主張をがなり立てたり音楽を流したりしながら走り回っていますが、誰もいちいち「恐怖」を感じたりしません。
 
不意に大音量、たとえば爆発音とか物が壊れる音が鳴り響いたら、誰でも恐怖を感じるでしょうが、それはなんらかの危機を暗示するので当然です。しかし、デモ隊の発する音に恐怖する理由はありません。
 
石破幹事長はデモ隊が議員会館に乱入してくるとでも思ったのでしょうか。
あるいは軍事オタクだけに音波兵器でも連想したのでしょうか。
 
結局のところ、石破幹事長はデモ隊の「大音量」に恐怖したのではなく、デモ隊の「主張」に恐怖したのではないかと思われます。
つまり、石破幹事長は特定秘密保護法案を推進する立場にいながら、実は特定秘密保護法案の正しさに自信がなく、反対派の「主張」を聞くと、「良心の呵責」を感じてしまうのです。その「良心の呵責」を石破幹事長は「恐怖」と思ったのです。
 
もし石破幹事長が特定秘密保護法案の正しさに自信を持っていて、かつ“愛国政治家”だったら、デモ隊が声高に反対を叫べば叫ぶほど「一千万人といえども我行かん」という心境になったはずです。
 
「良心の呵責」というのは、特別な精神の働きではなく、人間であれば誰にでも備わっているものです。
人間は自分が正しいと思えば力が湧いてきますし、正しくないと思えば自信のなさそうな態度になります。
石破幹事長や森雅子特定秘密保護法案担当大臣の言動を見ていればわかりますし、安倍首相の言動にも自信はうかがえません。
 
デモ隊の音声に「恐怖」する石破幹事長を見るだけで、特定秘密保護法案がどんな法案かわかります。