今年を振り返ると、大阪市立桜宮高校バスケットボール部キャプテンが顧問教師に体罰を受けたあと自殺したことがきっかけで、学校運動部とスポーツ界における体罰問題がクローズアップされたことが印象に残ります。
従来、体罰については賛否両論があり、どちらかというと体罰賛成論のほうが優勢だったと思います。しかし、初めに自殺者ありきということが議論を方向づけたようで、それまでテレビでも体罰賛成論をぶっていた橋下徹大阪市長も反対派に豹変し、体罰反対の世論が形成されました。
 
しかし、盛り上がりが急だっただけに、一過性のもので終わる恐れもあります。
もともと体罰是か非かは倫理学上の問題で、人間性善説と人間性悪説のどちらが正しいのかと同様に、いくら議論しても結論が出ない性格のものです。そうすると、次第におとなにとって都合のよい結論へと導かれる傾向があります。
 
そうしたところに、「ハフィントン・ポスト」に注目するべき記事を見つけました。これはちゃんとした学術的な研究結果ですから、一般のマスコミでも取り上げてもよさそうですが、どうやら「ハフィントン・ポスト」以外では取り上げられていないようです。
 
 
「幼少期の体罰」は将来の問題行動につながる:実証研究
悪いことをした子供に、平手打ちやお尻を叩くなどの体罰をすると、その子供がのちに問題行動を始めるリスクが高まる、という研究結果が発表された。
 
研究者らは、米国に住む1933組の親のしつけの習慣を、その子供たちが幼少期後半になったときの行動と比較して分析した。
 
この研究では、母親の57%と父親の40%が3歳の子供を叩いたことがあり、52%の母親と33%の父親が5歳の子供を叩いたことがあると回答した。
 
5歳の子供に対する母親の体罰は、たとえ回数が少なかったとしても、その子供が9歳になったときに問題行動(外在化行動:攻撃的な言葉使いや行動)を起こす頻度の高さに関係していた。体罰のおかげで、幼少期前半の子供の行動が管理できていたにもかかわらずだ。
 
5歳の子供を父親が頻繁に叩いていた場合は、その子供が9歳になったときに受けた語彙能力テストの点数の低さに関係していた。
 
論文の主著者で、コロンビア大学大学院社会福祉学研究科のマイケル・J・マッケンジー准教授はこのように解説する。「体罰をすれば、体罰には効果があるという手応えをすぐに得られる。だが、教育の目標は、子供が将来、自らをコントロールできるようにすることだ。その点において、体罰には効果がない」
 
児童虐待を防止するための団体NSPCCのフィリップ・ノイーズは、次のように語る。「証拠が示している通り、叩くことは効果的な罰し方ではなく、このような形でつらい過去を経験した子供たちにとっては特に、悪い前例を作ることになる。体罰は、暴力を振るうことが答えなのだと子供たちに教え、子供とその保護者の信頼関係を損なうのだ」
 
現在、米国では親による体罰は基本的に合法であり、どの程度の体罰が制限されるかは州によって異なっている。だが、ドイツやスペインなど欧州の20カ国では、親による体罰を禁じている。
 
英国では、親が子供を叩くことは違法ではないが、「妥当な体罰」の規則が2004年に定められており、どのような身体的な罰も、子供の肌に跡を残すようなものであってはならないとされている。
 
今回の研究は、「脆弱な家庭と子供の幸福についての研究」と題された、米国の中規模から大規模な20の都市に住む子供たちを対象にした長期的な出生コホート研究に基づいている。この研究では、子供が3歳と5歳の時点における保護者からの体罰に関する報告内容が、子供が9歳のときの外在化行動および語彙理解力と併せて評価された。
 
[The Huffington Post UK(English) 日本語版:佐藤卓、合原弘子/ガリレオ]
 
 
これはまさに実証研究によって体罰是か非かについて結論を出しているので、画期的だと思いました。
これまでは、体罰をするおとなは「これは子どもの将来のためだ」といい、子どものときに体罰をされたおとなは「体罰のおかげでまともな人間になれた」といい、本人がそういっているということで、なかなか否定できませんでした。
 
しかし、これは客観的な研究です。体罰を受けた子どもの主観は関係ありません。
初めて体罰否定論の正しさが客観的に証明されたことになるのではないでしょうか。
 
教育の世界でこうした実証的な研究が行われるようになると、たとえば道徳教育の効果なども客観的に評価できるようになるはずで、教育の世界は大きく変わるのではないでしょうか。
 
もっとも、よく考えると、そう単純なものではないかもしれません。
 
たとえば、この研究では「問題行動(外在化行動:攻撃的な言葉使いや行動)」というものを否定的にとらえています。しかし、「攻撃的な言葉使いや行動」を肯定的にとらえる価値観もあるはずです。それを「男らしい」と評価したり、兵隊になる適性があると評価したりすると、体罰肯定論につながってしまいます。
 
また、この記事に対するコメントの中にこのようなものがありました。
 
 
「統計では因果関係までは説明できない」
という初歩中の初歩で、この記事は裏が取れていない。
 
つまり、この統計にカウントされている被体罰児童が
「もともと悪い子だったから体罰をされた」
のか、
 「体罰をされたから悪い子に育ったのか」
の判別はデータからはできないということだ。
 
 
このコメントは「もともと悪い子」がいるという考えに立っています。当然、「もともとよい子」もいるという考えでしょう。
「もともと悪い子」に体罰をすると「よい子」になると考えているのか、このコメントをした人に聞いてみたい気がしますが、倫理学上の問題ではこの程度のいい加減さはありふれたことです。
道徳教育を強化するべきだと考えている人たちもどういう子ども観を持っているのか聞いてみたいものです。
 
 
ともかく、倫理学や教育学の世界はでたらめがまかり通っています。
しかし、こうしたでたらめは実証的、科学的な研究によって次第に払拭されていくはずです。今回の記事のような研究が進んでいくことを期待したいものです。