映画「永遠の0」を観ました。
監督は山崎貴、出演は岡田准一、三浦春馬、井上真央などですが、それよりも気になるのは、原作者が百田尚樹氏だということです。百田尚樹氏は安倍首相のお友だちで、安倍首相はこの映画を観たあと、「感動しました」と語りました。
 
最近、「右傾エンターテインメント」という言葉があって、「永遠の0」はその代表的な作品とされます。
 
同じくゼロ戦を扱ったアニメ「風立ちぬ」をつくった宮崎駿監督は、「嘘八百」「神話の捏造」といった言葉で、名指しこそしないものの「永遠の0」を酷評しました。
 
とはいえ、映画は大ヒットしていますし、ヤフー映画のユーザーレビューを見ても「泣いた」という声がいっぱいです。
安っぽい「右傾エンタメ」なのか、泣ける感動作なのか、自分で確かめてみました。
 
あらすじはこんな感じです。
司法浪人が長く続き人生の進路を見失っていた佐伯健太郎(三浦春馬)は、姉に頼まれたこともあって、特攻隊員として死んだ祖父宮部久蔵(岡田准一)のことを調べ始める。するとかつての戦友たちは、宮部のことを臆病者、卑怯者、命を惜しむ男と酷評する。宮部は天才的に優秀なパイロットだったが、敵との空中戦になると、自分だけ安全なところに逃げていたというのだ。しかし、さらに調べると、宮部が命を惜しんだのは、妻子のために生きて帰りたかったのだということがわかる。しかし、そうすると、なぜ最後に特攻に志願したのか……。
 
これは謎を追求するミステリー仕立てになっているのですが、実は最後まで見てもよくわかりませんでした。しかし、原作のほうはちゃんと書いてあるので、これは映画が下手くそなのでしょう。
 
実は私は「永遠の0」の文庫本を持っています。知人と待ち合わせして会ったとき、彼はちょうど読み終えたところだからとその文庫本をくれたのです。それは明らかに、お勧めの本だから読めよという意味なので、私は読み始めましたが、2030ページで挫折しました。文章が肌に合わなかったのです。
私に合わないからだめな小説だとはいえません。感動したという人が多いのですから、きっとよい小説なのでしょう。
 
ですから、ここで書くのはあくまで映画評で、原作への評価とは別だと思ってください。
ほんとうなら私が原作を読んで、両方を評価するといいのですが、長い小説なので、そういうことに時間をさいていられません。
 
「1分でわかるネタバレ」というサイトがあって、小説「永遠の0」のあらすじが紹介されていました。それによると、戦争末期、教官としてパイロットを育てていた宮部は、自分の教え子たちが次々と特攻で死んでいくのを見て、自分だけ生き残ることが耐えられず、特攻に志願したというのです。
 
これは一応納得のいく理由です。映画でもそういうふうに描けばよかったのにと思います。
 
宮部は特攻に志願するのですが、それでも家族のことを思う彼はあることを……というのがミステリーの核心の部分になります。
 
映画は現在と過去のシーンが交錯して進んでいきます。ゼロ戦や空中戦のCGはよくできています。空母もリアルです。過去の日本映画に出てくる軍艦はみな円谷プロ風の特撮ですし、実際の軍艦の映像は粗くて暗いフィルムしかありませんから、リアルな日本の空母を見るのは初めての体験です。
 
とはいえ、これは戦争映画ではないかもしれません。あくまで宮部久蔵という1人の男の生き方を描いた映画で、戦争はむしろその背景です。
空中戦を描いた映画はこれまでいっぱいあって、やるかやられるかという緊迫感があるものですが、この映画の空中戦のシーンはまるでゲームのようで、緊迫感がありません。また、彼ら兵士がなにを食べ、どんなところで寝ていたかという日常生活の様子や過酷な訓練なども描かれません。
ですから、戦争の上澄みだけを描いたような映画です。
 
また、ゼロ戦愛みたいなものも感じられません。
山崎貴監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」などを撮った人で、戦争やゼロ戦にあまり思い入れはないのでしょうか。
 
で、果たして泣けたかというと、私はまったく泣けませんでした。
主人公が最後に特攻で死ぬのですから、ある程度泣くことを覚悟していたので、むしろ意外です。
 
なぜ泣けないかというと、あまりにもリアリティがないからです。
宮部は家族のために“命を惜しむ男”です。これが妻子を残して赤紙で召集された男ならわかります。しかし、宮部は職業軍人です。15歳で入隊したようですから、いわゆる予科練です。入隊したときは、国に命を捧げる覚悟だったはずです。
入隊してから結婚して子どもが生まれ、そのことによって変わったということなのでしょうが、そんなに豹変するものでしょうか。妻子がいない時点でも両親はいたはずです。
 
それに、空中戦のときに自分だけ安全なところに逃げているというのも、現実にありそうもありません。同僚たちはそのことを察知しているのですから、上官に知られて問題になりそうなものです。
 
それに、宮部は仲間や部下の命もたいせつにする男です。しかし、空中戦で自分が離脱すれば、それだけ仲間を危険にさらすことになり、これも矛盾しています(原作ではうまく説明されているのかもしれませんが)
 
それに、先に書いたように、宮部が最後に特攻を志願した理由が映画でははっきりしないので、それも感動できない一因です。
 
宮部は家族のためとはいえ、仲間は死んでも自分だけが生き残ろうとする“超個人主義”の男です。これは現代の価値観からしてもリアリティがありません。
 
この映画は戦争を肯定したものではありませんし、特攻作戦にも批判的です。しかし、宮部の死は肯定的に描かれます。
それは、宮部がある方法で、自分の死を「意味ある死」にしたからです。
最後のほうに「私たちはその死をむだにしてはならない。物語を続けるべきだ」というセリフが出てきますが、これは宮部の死についてのみいえるセリフです。
 
大戦における310万人とされる日本人の死は、ほとんどがジャングルでの餓死や都市での焼死などの「無意味な死」です。
「意味ある死」などフィクションの中でしか存在しないといってもいいでしょう。
 
これはフィクションなのですから、それでいいですし、それに感動する人がいてもいいでしょう。
 
しかし、この映画は、そういうフィクションの中でしかありえない「意味ある死」と現在の平和における「享楽的な生」を対比して描いています。
そして、彼らの死があるから今の平和があるのだといわんばかりですし、現在の享楽的な若者を批判的に描いています。
 
フィクションを基準に現実を批判するのは反則手でしょう。
 
そういうことを映画を観ながら感じてしまったので、まったく泣けなかったのです。
 
この映画には「天皇陛下」という言葉が一度も出てきません(終戦の玉音放送は少し流れますが)
当時の軍人は、「天皇陛下の赤子として天皇陛下のために死ぬ」という価値観に制圧されていました。「家族のため」ということは口にすることもできません。
天皇制国家が集団狂気に陥った果てに生まれたのが特攻作戦です。
特攻作戦の中でのありえないひとつの死を描いたのがこの映画です。
安倍首相はいったいなにに感動したのでしょうか。