「理想だらけの戦時下日本」(井上寿一著)という本を読みました。戦時中の「国民精神総動員運動」について書かれた本です。
 
「国民精神総動員運動」とは、盧溝橋事件で日中戦争が始まった1937年に第一次近衛内閣が始めた官製運動で、1940年に大政翼賛会に吸収されるまで続きました。
たとえば、「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「石油の一滴、血の一滴」などのスローガンも「国民精神総動員運動」から生まれたものです。
 
著者の井上寿一氏は日本政治外交史が専門ですが、201212月の総選挙で自民党が大勝したときから、あるいはその前に橋下徹大阪市長などが公立学校で国歌斉唱・日の丸掲揚を強制する動きをしていたときから、現在の国民心理が当時のものに似ていると感じていたそうです。
私の場合は、安倍内閣が昨年12月に閣議決定した「国家安全保障戦略」に“愛国心”を盛り込んだのを見て、「国民精神総動員運動」のことを思い出しましたが、井上氏ははるかに慧眼だったわけです。
 
書かれているのは昔のことですが、現在行われていることとの関連を考えながら読むと、おもしろく読めます。
 
たとえば今、「ボランティアの義務化」ということがいわれます。これは第一次安倍政権のときに打ち出され、すでに東京都の公立高校では年間35時間の「奉仕」が必修化されています。
「ボランティアの義務化」は言葉としても矛盾していますが、「国民精神総動員運動」では青少年を動員して勤労奉仕をさせているので、これと同じものだと思えば納得できます(この勤労奉仕は教育目的のものですが、これがのちの学徒勤労動員につながります)
 
「国民精神総動員運動」は「祝祭日には必ず国旗を掲げましょう」という国旗掲揚運動も展開します。それまでも祝祭日には国旗掲揚が決まりでしたが、掲揚率は低いものでした。そこで、たとえば東京都では青年団などからなる「督促隊」を組織し、祝祭日に国旗を掲揚していない家庭に注意を促すということをします。
公式の行事においては必ず国旗掲揚、国歌斉唱、宮城遥拝が行われます。
 
「日の丸弁当」も「国民精神総動員運動」から生まれたものです。贅沢を戒め戦場の兵士の労苦をしのぶとともに、10銭の昼食代を5銭に節約して、その5銭を戦地に送るというものでしたが、当然のことながら、児童にこんな栄養のないものを食べさせるのは間違っているという批判がありました。それでも子どもは日の丸弁当を持たされたので、要するに体よりも精神が重要視されたということでしょう。
 
「国民精神総動員運動」の一環として体育大会なども行われます。これは普通のスポーツとは異なり、文部次官がいうには「身体の修練」とともに、「挙国一致、堅忍持久、進取必勝、困苦欠乏に耐えるの精神を練磨する」ものです。
国民精神総動員運動中央連盟はとくに剣道に力を入れます。「剣こそは日本建国精神の象徴であり、惟神大道の表現である」からです。
 
2012年から中学で武道の必修化が行われるようになりましたが、これも「国民精神総動員運動」を真似たものだと思うと納得できます。
 
「隣組」も「国民精神総動員運動」とともに始まったものです。以前からあった「国防婦人会」「愛国婦人会」などとともに、こうした組織を通しておとなたちも勤労奉仕などに狩り出されます。
また、毎月1日は「興亜奉公日」と決められ、全国民を対象に早起遥拝、始業前の朝礼、黙祷、勤労奉仕などが勧められます。
 
もちろんほとんどの国民はこうしたことをうんざりした気分で受け止めていました。
それでも行われていたのは、日本が戦時下であり、「戦地の兵隊さんの苦労を思え」といわれると誰も反論できなかったからでしょう。
 
 
安倍内閣が行っていること、これから行おうとしていることの多くに、明らかに「国民精神総動員運動」の影響が認められます。
しかし、安倍内閣のできることには限りがあります。奉仕の必修化、武道の必修化、国旗掲揚・国歌斉唱の義務化などはすべて学校において行われていることです。おとなは対象になっていません。
たとえば、一般家庭での祝祭日における国旗掲揚を義務化して、掲揚していない家庭は「督促隊」から注意されるというようなことになれば、国民は圧倒的に反対するに決まっているので、そんなことはできないわけです。
その結果、一般社会はそれほど変わらないのに、学校教育だけがどんどん戦前化していくということになっています(特定秘密保護法は一般社会を対象にしたものなので、大反対が起きましたが)
 
安倍内閣に限らず、自民党政権はずっと学校教育の戦前化を目指してきました。道徳教育の強化は「修身」の復活です。
おとなたちは自分に累が及ぶことでないので、あまり強硬には反対しませんでした。
その結果、戦前化した学校からは、上からいわれたことをやるだけの人間が育って、沈滞した社会になってしまったのです。
 
日本復活の鍵は、戦前化した学校を時代に合ったものに変えることではないかと、「理想だらけの戦時下日本」を読んで思いました。