日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」が施設の子どもへの偏見や差別を生むとして抗議の声が上がり、放送を中止するべきか否かが議論になっています。
 
このドラマは脚本監修が野島伸司、脚本が松田沙也です。私が野島伸司という名前で思い出すのは「家なき子」です。大ヒットドラマだったので、私は数回見たことがありますが、そのとき、現代にこんなことはありえないと思いました。安達祐実さん演じる小学生の主人公は、公園だか空き地だかに置かれた土管の中で寝泊りをしているのですが、戦前や終戦直後ならありえても、今の時代なら福祉の網に引っかかるはずです。
今回は児童養護施設を舞台にしたドラマだというので、また福祉制度について時代錯誤の設定になっているのではないかと想像しました。
 
しかし、ドラマを見ないことにはなにもいえません。そうしたところ、火曜日深夜に第1話の再放送があったので録画し、水曜日に放映された第2話と続けて見ることができました。
というわけで、このドラマが放送中止しなければならないほど問題があるのかどうか、自分なりに判断したことを書いてみます。
 
ことの発端は、熊本市の慈恵病院が開いた記者会見でした。
 
 
ドラマ「赤ちゃんポスト」でBPOに申し立て
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日本テレビ系列で放送されているドラマの中で、いわゆる「赤ちゃんポスト」に預けられていた子どもを「ポスト」と呼ぶなどの内容が、児童養護施設で暮らす子どもたちを傷つけるおそれがあるとして、熊本市の病院がBPO=放送倫理・番組向上機構に、こうした表現をやめるよう求める審議の申し立てを行いました。
 
日本テレビ系列で放送されている「明日、ママがいない」というドラマでは、主人公の女の子が、いわゆる「赤ちゃんポスト」に預けられていたことを理由に、「ポスト」というあだ名で呼ばれています。
熊本市で「赤ちゃんポスト」を運用する慈恵病院は、こうした内容やドラマでの施設の職員の対応が、児童養護施設の子どもや職員などを傷つけるおそれがあるとして、BPO=放送倫理・番組向上機構の放送人権委員会に、こうした表現をやめるよう求める審議の申し立てを行いました。
慈恵病院の蓮田健産婦人科部長は記者会見し、「ドラマの内容はフィクションであったとしても子どもを傷つける可能性があり、改めてほしい」と述べました。
一方、日本テレビは、「当社としてコメントする段階ではないと考えております」とするコメントを出しました。
 
 
第1話の前半に、グループホーム「コガモの家」というのが出てきます。ここが物語の舞台ですが、昔風の孤児院のイメージというのでしょうか。モグリというか、無認可の施設の雰囲気が漂っています。
 
しかし、ウィキペディアの「児童養護施設」の項目を見ると、こういう記述がありました。
 
グループホーム(地域小規模児童養護施設)
2000年から制度化されたもので、原則として定員6名である。本体の児童養護施設とは別の場所に、既存の住宅等を活用して行う。大舎制の施設では得ることの出来ない生活技術を身につけることができ、また家庭的な雰囲気における生活体験や地域社会との密接な関わりなど豊かな生活体験を営むことができる。2009年度は全国で190箇所(1施設で複数設置を含む)
 
ですから、グループホーム「コガモの家」の設定はそんなにおかしくないようです。
 
ただ、施設長(三上博史)が杖をついて足を引きずって歩く不気味な雰囲気の男で、いきなり子どもの頭をバシッとたたいたり、「お前たちはペットショップの犬と同じだ」などと暴言を吐いたりします。また、子どもに水の入ったバケツを持って立たせるという体罰もします。このあたりが施設関係者の神経を逆なでしたものと思われます。
 
しかし、こういうことはあってはいけないことですが、現実にあることは十分に考えられます。かつて船橋市の児童養護施設「恩寵園」でひどい虐待が行われ、社会問題になったことがあります。立派な施設ばかりとは限りません。
 
「ポスト」というあだ名の子が芦田愛菜ちゃんです。天才的な演技で、びっくりします。
私は「ポスト」というあだ名をつけられてイジメられる役回りかと想像していたら、ぜんぜん違いました。芦田愛菜ちゃんは赤ちゃんポストに捨てられていた子ですが、そのとき1枚の紙切れが入っていて、そこに名前が書いてありました。しかし、愛菜ちゃんは「私は名前を捨てた。親からもらった名前はもういらない」といいます。
つまり「ポスト」というあだ名は、人につけられたものではなく、みずから名乗っているか、少なくとも自分で受け入れているのです。
 
それに、愛菜ちゃんは孤児たちのリーダー的存在ですし、きわめてタフです。つまり、まったくイジメられる存在ではありません。
 
愛菜ちゃんは新しく施設に入ってきた子に、こんな印象的なセリフをいいます。
「1月18日、あんたがママに捨てられた日だ。違う。今日、あんたが親を捨てた日にするんだ」
 
芦田愛菜ちゃんという人気子役が赤ちゃんポストに捨てられた子どもを演じるというのは、むしろ赤ちゃんポストへの偏見をなくすのに大きな力となると思います。
 
私の見るところ、このドラマは少しリアリティが欠けますが、孤児のことを子ども目線で描いている点で高く評価できます。
 
ところが、子どもを子ども目線で描くということが、多くの大人の神経を逆なでします。
 
 
【明日、ママがいない】全国の児童養護施設と里親会が日テレに抗議「人間は犬ではない」
日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」の内容が「子供の人権侵害だ」として、全国児童養護施設協議会が121日、脚本の変更などを求めて、121日に都内で会見を開いた。前日に日本テレビに抗議文を提出したという。同協議会には、国内の約600の児童養護施設が加盟している。
 
同会の藤野興一会長は「子供の人権を守る砦としたいと思っているときに、真っ向から水をかけるドラマ」と話して放送内容の修正を求めた。同じく抗議した全国里親会・星野崇会長も同席し「人間は犬ではありません」と訴えた。「明日、ママがいない」については熊本市の慈恵病院が16日に放送中止を求めている。ニコニコ生放送によると、2人の会見での発言要旨は以下の通り。
 
■自殺するものが出たらどうしてくれるんだ!
(全国児童養護施設協議会・藤野興一会長)
児童擁護施設の子供たちは今、虐待を受けていたり、さまざまな事情を抱えています。「本当によくぞ、ここまでたどり着いたなあ」という3万人の子供たちが生活しております。そういう中で、このドラマがいかにフィクションであるとはいえ「お前らペットだ」とか「犬だってお手くらいするわな、泣いてみい」とか、物扱いをされている強烈な場面がある。施設長や職員が、暴力や暴言で子供たちの恐怖心を煽るシーンがあります。僕の施設の子供たちも、高校生は見ていたみたいで、腹が立つと言っていました。女の子は「見るのがしんどい」と言ってました。
 
大人はともかく当事者の子供は、本当にこたえますよ。「自殺するものが出たらどうしてくれるんだ!」という思いをしております。私たちはドラマの舞台と思われる地域小規模児童養護施設……。これは定員を6名として、地域でより家庭に近い生活をするということで、一生懸命、そういうものを増やそうとしております。
 
確かに施設は、制度的にも立ち後れて、取り残されています。非常にしんどい状況にあります。そんな中で、子供たちも職員も必死で生きている。非常に大きな影響力がある芦田愛菜さんを主演とするドラマに対して、マスコミ関係の皆さんに是非、本当の施設の姿を知っていただいきたい。
 
今、まさに政府がやっと四十数年ぶりに動こうとしているときです。そのときに、この舞台となっている小規模児童擁護施設。これを「子供の人権を守る砦」としたいと思っているときに、真っ向から水をかけるドラマだと思っています。正しい姿を。マスコミの方々には特に子ども達への理解を賜って、子供たちの正しい姿を伝えていただき、マスコミの社会的正義を貫いていただきたいと思っております。
 
■「里親として表を歩けなくなりそうだ」という声もある
(全国里親会・星野崇会長)
「明日、ママがいない」については里親仲間でも話題になっています。今の日本の児童福祉制度が、里親ももちろん一生懸命努力しているところなんですね。いろいろな問題点があります。場合によっては法改正なども求める活動をしておりますが、このドラマはそういう私たちの努力に水を差すものと考えざるを得ません。
 
人間は犬ではありません。小動物と一緒くたにするということを、子供に教えちゃいけないんですね。ところが、このドラマは率先して、それを行っている。私ははっきり言って、主演した芦田愛菜ちゃんが、かわいそうですね。彼女は9歳半にして、こういう思想を植え付けられてしまっているんですね。これがどんどん広まってしまうと、メディアそのものが人間の尊厳を無視するようになる。激しい憤りを感じております。
 
差別的な発言があまりにも多すぎる。「これでもか」「これでもか」と出てきますが、今でさえ施設の職員や里親は周りの偏見に耐えて生きているわけですね。しばしば、それがトラブルになることもありますが、今回のドラマが放送されたことで差別的な発言が一層広がるんじゃないかと懸念しています。
 
子供にとっては大問題です。すでに子供も大人も傷ついております。放映によって、「こういうのをやってくれ」という里親仲間にはあります。しかし、「やめてくれ」という声が多い。「里親として表を歩けなくなりそうだ」という声まであります。小さい子供がドラマを見た場合には、恐ろしい結果になる場合はある。要保護児童たちは親元から離れたということで、相当大きな傷がついているんですね。そうした傷を思い出して、フラッシュバックを起こす可能性が十分にあるんです。そこまで日本テレビはちゃんと十分に準備しているんでしょうね?ということを言いたいです。
 
基本的には放映中止にしていただきたいんですが、放映中止にするといろいろ問題も起きるかもしれません。少なくとも言葉の使い方に関しては、差別的な発言や暴言をやめてほしい。もう一度、脚本家も交えて検討し直してほしいと思います。
 
過去に実際にあだ名が元で子供が自殺をはかった事例がありますので、それと同じようなことが起きる恐れがあります。「それが起こってからでは遅いんですよ」と日本テレビには言いたいです。
 
 
こうした施設側や里親側の声を、私はまったく評価することができません。
施設の子どもの声も紹介されていますが、これは結局おとなのフィルターを通したものです。
「自殺するものが出たらどうしてくれるんだ!」「それ(自殺)が起こってからでは遅いんですよ」という言い方も脅迫めいています。
 
この人たちは、子どもが傷つくのが心配だといいながら、実際のところは自分たちの世間的イメージが傷つくことを心配しているのではないかと疑われます。この人たちの言葉と比べると、三上博史の施設長の言葉のほうが心地よいぐらいです。
第2話を見ると、この施設長はそんなに悪い人ではないようです。となると、彼はわざと偽悪的な言葉を吐いているのかもしれません。そして、その偽悪的な言葉は、世の中の偽善に亀裂を生じさせ、真実を見させる役割を果たしています。
そうしたこともこのドラマに対する反発を生み出しているのかもしれません。
 
施設の人たちは確かに一生懸命やっているでしょう。しかし、それはあくまで主観です。よくやっているか否かは施設の子どもが評価することです。
 
昔の孤児院は、親と死別した子どもが多かったのですが、今の施設は、親から虐待されたり、家庭が崩壊したりした子がほとんどです。あらかじめ傷ついた子どもを世話する職員はたいへんです。血のつながった親でさえ子どもを愛せないケースがふえているのに、血のつながっていない、ひねくれた子を十分に愛することのできる職員がどれだけいるでしょう。
 
つまり施設側の対応が不十分なことはわかりきっています。別にそれを非難するつもりはありません。
しかし、どのように不十分であるかということを明らかにすることは、改善するための第一歩です。
施設側は一生懸命やっているなどというきれいごとで実態を隠蔽してはいけません。
 
今まで、児童養護施設の内実を知る人はどれくらいいたでしょうか。
そういう意味では、「明日、ママがいない」は、ドラマとしておもしろいかどうかは別にして、日本の福祉の水準を向上させるのに役立つことは間違いありません。