日本テレビはドラマ「明日、ママがいない」について、ドラマの内容に抗議していた全国児童養護施設協議会に対して、後半のドラマ内容を改善すると伝えました。改善の内容は2月4日までに文書で回答するということです。
“改善”というのは、毒にも薬にもならない方向に変えるに決まっています。それでは確実に感動がそがれてしまいます。
 
こんなことでドラマが変えられてしまうとすれば、今後ドラマに限らず映画、小説なども自由につくれないということになりかねません。日本テレビの対応は残念ですし、全国児童養護施設協議会に同調して日本テレビを批判している人たちも残念です。
 
親に捨てられたり虐待されたりした子どもたちが、児童養護施設を舞台に、互いに助け合って、幸せになるために奮闘するというドラマが「明日、ママがいない」です。施設の子どもが主人公のドラマを施設のおとなたちがつぶそうとしているのが今回の騒動の本質です。
 
施設がその施設の子どもの味方かというと、そうとは限らないというのが現実です。これは学校がそこの生徒の味方とは限らないのといっしょです。
イジメ事件や体罰事件が起こるたびに、学校(教師)や教育委員会が隠蔽や責任逃れをしてきたことは誰もが知っているはずです。児童養護施設は例外だと思っている人がいれば、それはよほどおめでたい人です。
 
施設の側に立つか、施設の子どもの側に立つか、それによって判断はまったく変わってきます。
そして、マスコミは明らかに施設の側に立っています。
もちろん例外もあります。たまたま今日届いた「選択」1月号の「マスコミ業界ばなし」は、慈恵病院がBPOの放送人権委員会に審査を求めたことについて、フィクションであるドラマが審査に持ち込まれることは異例だと指摘したあと、こう書いています。
 
一方でこんな声もある。「養護施設の職員による児童への虐待や性暴力は枚挙に暇がない。現実はドラマよりも奇なり、だ」(教育関係者)。「施設をタブーにすることで、自分たちへの今後の批判を封じる狙いもみえる」(施設元理事長)。さらには「朝日や毎日は、この件が表現の自由に対する重大な挑戦だという認識がないのか」(新聞OB)との疑問も。人権栄えて国滅ぶ。新聞が、暗い時代へ逆戻りさせようとしている。
 
この文章が問題の構図を的確に捉えています。
ただ、「人権栄えて国滅ぶ」というくだりは違うと思います。逆に人権に対する無知が問題を引き起こしているというべきです。
 
日本も批准している子どもの権利条約は、子どもを「権利の主体」ととらえるもので、「子どもの意見表明権」も規定しています。
ところが、慈恵病院、全国児童養護施設協議会、全国里親会は「子どもの意見表明権」をまったく無視して、自分たちが子どもの代弁者として行動しています。
たとえば全国児童養護施設協議会の次のマスコミ発表は、まったく子どもを無視したものです。
 
「明日ママ」つらい思い15件、日テレ、協議会と面会へ
 児童養護施設を舞台にした日本テレビ系ドラマ「明日、ママがいない」をめぐり、全国児童養護施設協議会は29日、「同級生から(主人公のあだ名で、赤ちゃんポストを意味する)ポストと呼ばれるなど、ドラマのために子どもがつらい思いをした事例が15件ある」と公表した。
 
 協議会は同日、ドラマの内容改善を求める2度目の抗議文を日テレに送付。同局は「30日に番組責任者が直接お目にかかり、誠意を持ってお話をさせていただく」などとコメントを発表した。
 
 協議会は初回放送後の17日から、全国の施設長ら役員67人に対し、ドラマの影響や子どもたちの感想を報告するよう求めている。27日までに109件が寄せられ、このうち施設の女の子が同級生に「ポスト」と何度も呼ばれたケースや、同級生の男子グループから「おまえもどこかにもらわれるんだろ」などとからかわれたケースなど、子どもがつらい思いをした事例が15件あったという。
 
 残り94件は、「気にならない」「あり得ない設定」「面白いけど、ちょっと嫌な気持ちがした」といった感想や、ドラマが原因と明確に判断できないケースなどとしている。
 
 協議会は15件のうちの1件として、第2話の放送後に自傷行為をし、病院で治療を受けた子どもがいることも明かした。同協議会の武藤素明副会長は「子どもは最近、落ち着いていた。職員が視聴を止めなかったのは、大勢の子どもがテレビを見ている中、1人だけ制限するのが難しかったためだ」と話している。
 
 日テレに抗議している熊本市の慈恵病院は29日、170件の賛同や非難の声が病院に寄せられ、誤解にもとづく批判もあったとして、「改めて考えを知っていただきたい」と見解をホームページで公表した。
 
この記事を漫然と読むと、全国児童養護施設協議会が広範囲にアンケート調査を実施したと思うかもしれません。しかし、実際は、役員67人に子どもたちの感想を報告させたものです。つまり、子どもたちの感想そのものが客観的に提示されているわけではありません。こういうところに「子どもの意見表明権」をないがしろにしていることが表れています。
また、児童養護施設は全国に600近くあるということで、67人の役員がカバーできるのはその一部ですし、しかも役員という立場から組織防衛というバイアスがかかっていることは十分に考えられます。
このようないい加減な調査をもとにテレビ局に要望を突きつけるのはまともなこととは思えません。
 
また、協議会はこのようなこともいっています。
 
 協議会は20日に抗議書を送付したが、22日の第2回放送でも子どもをペットと同列に扱い、恐怖心で子どもを支配するなどの表現が多く見られたと指摘。抗議書では「子どもたちを苦しめる事例が報告されている。人権に配慮した番組内容に改善するよう要請する」とし、2月4日までに文書で回答するよう求める。
 
これは「魔王」というあだ名の施設長の言動を指しているものと思われます。
たとえば第2話では、「魔王」が「パチ」という小さな男の子に「お前はかわいいトイプードルだ。ほれ、お手でもしてみろ」といいます。
その「魔王」を「ポスト」(芦田愛菜ちゃん)がにらみつけると、「魔王」は「ポスト」に対して、「なんだ、その目つきは。母犬にでもなったつもりか」といいます。
「魔王」はそうした会話の途中で、持っている杖で床を突いて音を立て、子どもたちを脅したりもします。
 
こうした場面は確かに、「子どもをペットと同列に扱い、恐怖心で子どもを支配するなどの表現」と指摘できるところです。ところが子どもたちは、それに屈することなく、互いに助け合って生きていくわけで、そういう子どもたちの姿を描くのがこのドラマの主眼です。
施設の子どもたちはきびしい現実を生きています。「魔王」という施設長はそのきびしい現実の象徴でもあります。主人公はそうしたきびしさを乗り越えていくからこそドラマになるのです。
 
それに、「魔王」は単純に悪い男ではありません。「パチ」はシャンプーボトルをつねに肌身離さず持っています。それは実の母の匂いがする唯一の思い出の品なのです。しかし、「パチ」は里親候補の家に行ったとき、そこの母親にシャンプーボトルをむりやり捨てられてしまい、傷ついて施設に戻ってきます。しかし、「魔王」はこっそりとゴミ置き場からシャンプーボトルを拾ってきていたのです。
「魔王」はいったいどのような人間なのかということも、連続ドラマのおもしろさになっています。
 
協議会の人たちは「魔王」をただの「恐怖心で子どもを支配する」人間にしか見えないのでしょうか。ドラマを理解する能力もなしにテレビ局に抗議するとは笑止千万です。
 
協議会の人たちは、施設長や職員はみな子どもをたいせつにし、子どもたちはその愛情をいっぱいに受けて、毎日笑顔ですくすくと育っていますというような、社会主義国のプロパガンダみたいなドラマを望んでいるのでしょうか。
 
ともかく、こんないい加減な抗議を受け入れていたらそのうち、トウシューズに画鋲が入っていたという場面は子どもが傷つくのでやめてほしいと、子どもバレエ教室から抗議されて受け入れるハメになるかもしれません。
 
今回、「明日、ママがいない」というドラマを巡って、なぜこんなバカバカしい展開になっているかというと、全国児童養護施設協議会もマスコミも一般の人も、子どもの権利条約でも認められた「権利の主体としての子ども」ということを理解していないからです。
とりわけマスコミは、子どもの人権を尊重するのか、全国児童養護施設協議会の言い分を尊重するのか、判断する力を持たねばなりません。