2月19日に「明日、ママがいない」の第6話の放送がありました。今回は夫婦間のDVと、それによって子どもが受けるトラウマが主に描かれます。こういう題材を扱うことだけでも、このドラマの価値があるというものです。
 
これまでは、全国児童養護施設協議会などが抗議したことを受けて、どうドラマが変わったのかよくわかりませんでした(第1回は「グループホームコガモの家」という看板だったのが、2回目以降は単に「コガモの家」に変わっていましたが)
しかし、今回のシナリオは、抗議を受けて書かれたものだと思います。つまり、抗議に対する返答と思われるセリフがあるのです。
 
「ロッカー」がトラウマが起因することで暴力事件を起こして警察に逮捕され、ほかの子どもたちは「ロッカー」を追い出そうとします。それに対して「魔王」というあだ名の施設長(三上博史)が子どもたちに異例の長ゼリフをしゃべります。全部は書けませんので、印象的な部分だけ抜き出してみます。
 
「お前たちは世間から白い目で見られたくない、そういうふうにおびえているのか。だから、そうなるかもしれない原因になるあいつを排除しよう、そういうことなんだな。だが、それは表面的な考え方じゃないのか。もう一度この状況を胸に入れて、考えることをしなさい」
「世の中がそういう目で見るならば、世の中に向けてあいつはそんな人間じゃないって、なぜ戦おうとしない。あなたたちはあの人のことを知らないんだって、一人一人目を見て伝えようと、そう戦おうとなぜ思わない」
「くさいものに蓋をして、自分とは関係ない、それで終わらせるつもりか。おとなならわかる。おとなの中には価値観が固定され、自分が受け入れられないものすべてを否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくる者もいる」
「そんなおとなになったらおしまいだぞ。話し合いすらできないモンスターになる。だが、お前たちは子どもだ。まだ間に合うんだ」
「つまらん偽善者になるな。つまらんおとなになるな。つまらん人間になるな」
「お前たちは傷つけられたんじゃない。磨かれたんだ」
 
このセリフは、全国児童養護施設協議会など抗議してくる勢力に対して半ば向けられたものだと私は思うのですが、どうでしょうか(「魔王」が急にいい人になってしまって違和感はあるのですが)
 
 
ところで、私はこのブログで、慈恵病院・全国児童養護施設協議会・全国里親会が日テレに対して「明日、ママがいない」の放送中止、内容変更、謝罪を要求するのは不当であるということを一貫して主張してきました。こんな要求が通ったら、ドラマだけでなく映画も小説も自由に発表できなくなるので、当たり前のことです。
しかし、一般の人々はこうした不当な要求にほとんど反論しません。
これは一般の人々のほうにも問題があるということです。
どういう問題があるのか、私なりに考えてみました。
 
まず、「明日、ママがいない」は子どもが主人公のドラマです。そのため多くのおとなは自分とは関係ないので、どうでもいいと思っているのでしょう。
 
これは、安倍政権が進める道徳の教科化などの“教育改革”についても同じです。教育がどう変えられてもおとなには関係ないので、安倍政権の“教育改革”についての反対の声はあまり大きくなりません。
 
「おとなさえよければ、子どもはどうなってもいい」というのが、多くのおとなたちの基本的な認識です。
 
それに加えて、「明日、ママがいない」の主人公である子どもは児童養護施設にいる子ども、つまり親から虐待されたり捨てられたりした子どもです。
おとなたちは“普通の子ども”ならある程度共感することができますが、施設にいる“特別な子ども”についてはあまり共感することができません(もちろんこれは表面的な認識だからで、このドラマを見るとか実際に触れ合うとかすれば変わってくるはずです)
 
私は今の社会を、おとなが子どもを差別する社会だと思っているのですが、施設にいる子どもは一般の子どもよりもさらに差別される存在です。
 
たとえば、親が子どもを虐待して、子どもが大ケガをしたという事件が新聞に載ることがあります。その後、親が裁判にかけられ、懲役何年の判決を受けたという記事が載ることはありますが、ケガをした子どもがどうなったかということは決して新聞に載りません。
つまり、実質的に親のいない子は、多くの人にとって“厄介者”で、関心もないし、関わりたくもないのです。
 
昔、福祉制度がろくになかったころ、親が亡くなって孤児になった子どもがいると、親戚の誰かが面倒を見なければなりませんでした。誰も面倒を見たくない場合、親戚同士が互いに“厄介者”を押し付け合って、子どもは親戚の間で“たらい回し”にされるということがありました(連続射殺事件で死刑になった永山則夫の子ども時代もそうです)
この場合、子どもを引き受けている親戚に対して、ほかの親戚は引け目を感じることになります。
 
今、親のいない子どもを“厄介者”と思っている人たちは、その子どもを引き受けてくれている児童養護施設に対して引け目を感じているはずです。
 
野島ドラマは今回、「家なき子」から“親なき子”へと進化しました。「家なき子」も一般の人々から相当な反発を受けましたから、“親なき子”がそれ以上の反発を受けるのは覚悟の上だったでしょう。一方で共感してくれる人もいるので、確実に話題作になります。しかし、慈恵病院・全国児童養護施設協議会・全国里親会が厚生労働省のバックを得て抗議してくるのは誤算でした。
 
慈恵病院・全国児童養護施設協議会・全国里親会の行動に対する批判の声がほとんど出ないのは、多くの人たちが施設の子どもを厄介者と思っているからではないかと思います。
そういう人は、「くさいものに蓋をして、自分とは関係ない、それで終わらせるつもりか」という「魔王」のセリフをかみしめてもらいたいものです。