全国児童養護施設協議会などがドラマ「明日、ママがいない」の放送中止・内容変更を要求したことに対して、そうした要求は不当であるという世論が高まらないのはなぜなのかということを考えています。
前回の「“親なき子”への差別」という記事では、おとなたちは子どものことを差別していて、施設の子どものことはもっと差別しているのだというふうに書きましたが、それは理由の一部です。今回はほかの理由について書いてみます。
 
児童養護施設は社会のセフティネットのいちばん下のネットです。どうしてもなくては困るものですし、むしろ改善・向上させていかなければなりません。
したがって、いくら全国児童養護施設協議会がけしからんといって、かつての小泉首相みたいに「児童養護施設をぶっこわせ!」と叫ぶわけにはいきません。
つまり、親が子どもを虐待する事件があった場合、そんな親は刑務所に入れてしまえと叫ぶことはできますが、その子どもが児童養護施設で虐待された場合、もう打つ手がないのです。
いや、子どもを“悪い施設”から“よい施設”に移すことはできますが、全国児童養護施設協議会として束になってかかってこられると、どうしようもありません。
もちろん、放送中止の要求は不当だと全国児童養護施設協議会を批判して、一方で養護施設の改善・向上をはかっていけばいいわけですが、このふたつはベクトルがまったく逆ですから、両立させることはむずかしく、世論としては盛り上がらないのかと思われます。
 
それから、慈恵病院、全国児童養護施設協議会、全国里親会というフォーメーションがうまくできていたということが挙げられます。
慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」を運営していて、子どもの命をたいせつにするところというイメージができています。慈恵病院が先頭に立ったことで世の中の人の印象がまったく違ったと思います。
 
それにしても、芦田愛菜ちゃんのあだ名が「ポスト」だということだけで、物語は「こうのとりのゆりかご」とも慈恵病院ともまったく関係ありません。慈恵病院が先頭に立ったのは不思議です。
 
また、日本子ども虐待防止学会も日テレに要望書を送って、ドラマを批判しました。
私は背後で厚生労働省が糸を引いていると思うのですが、これでフォーメーションがさらに強化され、マスコミが批判しにくい状況がつくられたといえるでしょう。
 
 
それから、これがいちばん大きな理由だと思うのですが、この問題は「トラウマ」と関わっています。
 
全国児童養護施設協議会は「放送を見た女子児童が自傷行為をして病院で手当てを受けた」という事例を公表し、全国児童養護施設協議会の藤野興一会長は記者会見で「自殺するものが出たらどうしてくれるんだ!」と語りました。全国児童養護施設協議会の応援団長役を務める水島宏明教授は繰り返し「フラッシュバック」という言葉を使って、ドラマを見たことがきっかけになってリストカットが起きたし、今後も繰り返されるかもしれないと主張しました。
 
「フラッシュバック」「自傷行為」「リストカット」「自殺」という刺激的な言葉の前で、たいていの人は思考停止してしまいます。
なぜ思考停止するかというと、これらの言葉の根底には「トラウマ」があるからです。
とりわけ虐待された子どものトラウマは深刻ですから、多くの人が目をそむけたいという気持ちになるのは当然です。
そのためマスコミも一般の人も反対の論理を組み立てることができず、全国児童養護施設協議会などの主張に流されてしまっているのだと思います。
 
ですから、こういうことについては心理学の専門家などがコメントするといいのですが、日本子ども虐待防止学会が全国児童養護施設協議会側につくように、学会とか業界になにかの力学が働いているのか、専門家のコメントはまったくありません。
トラウマというようなむずかしい問題に、専門家の助けなしに世論が対応できないというのは、ある程度しかたがないかもしれません。
 
しかし、トラウマに対応できていないのは、世論だけでなく全国児童養護施設協議会のほうも同じです。
全国児童養護施設協議会の基本的な言い分は、「ドラマの視聴をきっかけにフラッシュバックが起こり、自傷行為などが生じるので、ドラマの放送はやめてほしい」ということです。
つまりフラッシュバックということを強調しています。
 
ウィキペディアによると、フラッシュバックはこう説明されています。
 
フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害に顕著である。
 
フラッシュバックが起こる根本原因はトラウマの存在です。なにがきっかけで起こるかは人それぞれです。
 
「明日、ママがいない」の第6話では、「ロッカー」がたまたま暴力場面に遭遇したことでフラッシュバックが起こり、自分も暴力をふるってしまいます。
第4話では、「ボンビ」が里親候補の家で食事中に原因不明の失神をします。「ポスト」はその里親候補の家に行き、さらに「ボンビ」の郷里にも行って、その原因を突き止めます。その原因というのは、電気炊飯器からご飯をよそう父親の姿でした。「ボンビ」の亡くなった父親は肉体労働者で、いつもご飯をいっぱいよそっていて、たまたま里親候補の家で同じ場面を見て、フラッシュバックが起こったのです(あとで知ったのですが、意識が飛ぶことはフラッシュバックでなく解離症状というようです)。
 
フラッシュバックを起こすきっかけをすべてなくすということは事実上不可能です。
フラッシュバックのきっかけをなくすことに努めるよりは、トラウマそのものの解消に努めるほうが本筋であることはいうまでもありません。
フラッシュバックが起こっても、それをきっかけにトラウマと向き合えるということもあります。
「明日、ママがいない」にはトラウマをかかえた子どもが出てきますから、それを見て共感し、それが自身のトラウマの解消に役立つこともあります。
 
フラッシュバックばかりを強調する全国児童養護施設協議会は、施設にいる子どものトラウマに向き合っているのかと疑問に思わざるをえません。
 
「明日、ママがいない」は虐待された子どものトラウマを描くドラマです。
全国児童養護施設協議会も一般社会も、虐待された子どものトラウマに向き合うことから逃げていて、そのために「明日、ママがいない」を排除しようとしていると考えると、腑に落ちます。