ソチ冬季オリンピックが終わりました。私は夜型の生活をしているので、テレビ中継を見るには好都合でしたが、ほとんど見ませんでした。冬季オリンピックの種目にあまり関心がなかったのです。
 
そういう冷めた目で見ていると、マスコミの報道が自国中心、メダル中心であることを改めて感じてしまいます。これは関西のスポーツ新聞がタイガース中心であるのと同じで、ある程度しようがないことです。
 
開会式と閉会式の中継を見ましたが、このアトラクションがたいへんに見ごたえのあるものでした。視覚的にもすばらしく、間延びすることなく次々と出し物が出てくるのに感心します。
 
アトラクションの内容は、ロシアがいかに素晴らしい国であるかを訴えるもので、要するにお国自慢です。
ロシアはヨーロッパでも遅れた国とされていましたが、近代以降は世界史でも重要な位置を占めてきましたし、世界的な有名人もいっぱい輩出しています。ロシアの有名人の名前を並べていくだけでも圧巻です(もっとも、ナボコフ、カンディンスキーなどはロシア人に数えていいのか疑問ですが)
 
思い返せば、北京オリンピックのときもロンドンオリンピックのときも、開会式と閉会式のアトラクションはひたすらお国自慢でした。そして、そのお国自慢がちゃんとさまになっていました。中国もイギリスも一時は世界をリードした国ですし、今も大きな存在感を持っています。
 
ここで考えてしまうのは、6年後の東京オリンピックのとき、どんな開会式をやればいいかということです。
日本には世界に誇るほどの文化や伝統があるのでしょうか。
 
世界中の人が知っている日本人といえば、トージョー、ヒロヒトぐらいではないでしょうか。
日本の文化にしても、サムライ、ゲイシャ、ニンジャ、ハラキリ、カミカゼなどは知られているかもしれませんが、世界に対してそれほど誇れるものとは思えません。
 
日本には世界に誇れるような文化や歴史がないということは、長野冬季オリンピックの開会式のアトラクションを思い出せばわかります。
 
ウィキペディアの「長野オリンピック」によると、開会式はこのようなものでした。
 
長野オリンピックの開会式は、今上天皇・皇后臨席の下、27日午前11時から長野オリンピックスタジアムで行われた。総合演出は劇団四季の浅利慶太が担当。善光寺の鐘の音を合図にスタートした。御柱の建御柱、大相撲幕内力士の土俵入り、横綱曙の土俵入りが行われ、森山良子と子供達によりテーマソング「明日こそ、子供たちが…When Children Rule the World」が披露された。
 
開会式のとき、私も一応テレビをつけていましたが、これがうんざりするほど退屈なものでした。
御柱の建御柱や土俵入りなどは、日本人にとっては価値あるものですが、外国人にとって価値があるとはいえません。しかも、視覚的にそんなにおもしろいものではありません。外国人は日本人以上にうんざりしたでしょう。
また、森山良子さんはすばらしい歌手ですが、世界的な歌手というわけではありません。ポール・マッカートニーを登場させたロンドンオリンピックと比べものになりません。
 
中国やイギリスやロシアはお国自慢をしてもさまになるが、日本はお国自慢をしてもさまにならない――これが現実です。
 
東京オリンピックの開会式をどうするかということをこれから考えなければなりませんが、幸い東京オリンピックの前に平昌冬季オリンピックがあります。
 
ソチオリンピックの閉会式のとき、平昌オリンピックを紹介するための韓国のアトラクションもありましたが、このとき流れた曲が「アリラン」です。
日本人は「アリラン」を知っていますが、おそらく世界のほとんどの国で「アリラン」は知られていないでしょう。
韓国もまた世界に誇るほどの文化を持たない国です。
 
内田樹氏は日本を「辺境国家」と規定しました。中国文明の辺境にあって、その文化をたくみに取り入れ、近代以降は西洋文明の辺境にあって、その文化をたくみに取り入れてきた国家だというわけです。
そういう意味では韓国もまったく同じです。日本も韓国も辺境国家です。
 
おそらく韓国は平昌オリンピックの開会式で、日本が長野オリンピックでやったのと同じ失敗をしそうな気がします。
日本はその失敗を見て、同じ失敗を繰り返さないようにしたいものです。
 
ヒントとしては、長野パラリンピックの開会式のアトラクションが挙げられます。これは作曲家の久石譲氏が演出したもので、お国自慢の要素はいっさいなく、自然と文明の共存がテーマだったそうですが、たいへん感動的なものでした。
 
このところ、週刊誌には嫌韓記事があふれています。
しかし、日本と韓国は、「ドングリの背比べ」といったところです。相手の悪口をいうのは、「目くそ鼻くそを笑う」の類です。
 
嫌韓記事を喜んで読んでいる日本人は、自己中心的で、自分を客観的に見ることができない人です。
韓国ばかり見るのではなく、ちょっと視点を高くして、日本と韓国を同時に見ると、認識はガラリと変わるはずです。
ソチオリンピックはそのいい機会だったと思いますが、相変わらず嫌韓記事があふれているところを見ると、進歩のない日本人が多いようです。