映画「永遠の0」が観客動員ランキングで8週連続1位となり、「風立ちぬ」の記録に並んだということです(9週目は2位)
私はそれほどおもしろい映画とは思わなかったのですが、ヒットするにはそれなりの理由があるはずで、それについて考えてみました。
 
たまたま2月から3月にかけてCSの「日本映画専門チャンネル」で戦争映画をまとめてやっていたのですが、番組表の五十音順のインデックスを見ると、冒頭にこんなタイトルが並んでいます。
 
「あゝ海軍」
「あゝ零戦」
「あゝ特別攻撃隊」
「あゝ陸軍 隼戦闘隊」
 
そのほかに「海軍兵学校物語 あゝ江田島」というのもあります。
 
これはみんな大映作品ですが、「あゝ」シリーズという呼び方はないはずです。要するに当時の気分として、戦争を描くときには「あゝ」という詠嘆が似合っていたのでしょう。
ほかに「連合艦隊」(東宝)や「聯合艦隊司令長官 山本五十六」(東映)というのもあります。
これらはすべて割と戦史に忠実につくってあり、太平洋戦争を描いているというのも共通しています。
当然映画の結末は重苦しいものとなり、「あゝ」といいたくなるのもわかります。
 
私は「永遠の0」を観たとき、これらの映画と比較して、リアリティがないなと思いました。
しかし、考えてみると、日本の戦争映画には別の系統もありました。
 
それは、岡本喜八監督の「独立愚連隊」シリーズと、勝新太郎主演の「兵隊やくざ」シリーズです。
どちらも戦争エンターテインメント映画で、軍隊では本来存在を許されないような型破りな主人公が活躍します。そういう意味でリアリティはありません。
戦史とはほとんど関係なく、どちらも中国戦線を舞台にしています。
なぜ中国戦線かというと、太平洋方面では悲惨な敗北をするので、エンターテインメント映画はつくりにくいからでしょう。
 
「永遠の0」は、太平洋戦争を舞台に、戦史に忠実につくられていますが、軍隊では本来存在を許されない型破りの主人公が活躍する戦争エンターテインメント映画です。
主人公は天才的なパイロットで、軍隊の論理ではなく家族のためという自分の論理で行動しますが、最後は軍隊の論理でもヒーローとなり、家族のためという論理でもヒーローになるというスーパーヒーローです。
つまり、ふたつの系統のいいとこ取りの物語となっています。
 
ですから、シリアスな戦争映画が好きな観客にも受けるし、家族もの、恋愛もののエンターテインメント映画が好きな観客にも受けるというわけです。
それが異例のヒットの理由ではないでしょうか。
 
 
ところで、「永遠の0」は戦争肯定ではありませんし、特攻作戦にも否定的ですが、にもかかわらず、最終的には特攻による死を美化した映画となっています。
これは原作者の百田氏の心の中にある矛盾からきているのでしょう。
矛盾というのは、表面的には平和を望んでいるといいながら、半ば無意識に戦争を望む気持ちがあるということです。
 
「永遠の0」では、ミッドウェー海戦において、敵空母発見の知らせがきたとき、艦載機には陸用爆弾が搭載されていたので、陸用爆弾を艦船用爆弾と魚雷に取り替えようとし、そうするうちに敵の爆撃機に攻撃され、1発被弾しただけで誘爆が起きて、たちまち4隻の空母が撃沈されるというシーンがあります。山本五十六長官は魚雷を搭載した艦載機をつねに用意しておけと命令していたのに現場は従わなかったこと、陸用爆弾でもいいからすぐに出撃するべきだという意見が無視されたことも描かれます。
これとまったく同じシーンが「連合艦隊」や「聯合艦隊司令長官山本五十六」や「あゝ海軍」にもあります。
つまりこれは太平洋戦争のターニングポイントなので、どうしても無視できないところです。
敵空母はいないだろうという油断、陸用爆弾で艦船を攻撃するものではないという杓子定規な考え方が敗北を招いたのです。
 
この場面にこだわるのは、敗戦の悔しさがあるからです。
世の中には、どうせ負ける戦争だから、そんなことは関係ないと考える人もたくさんいるはずですが、勝ち負けにこだわる人、負けたことに納得いかない人もいます。そういう人は心の奥底で、リベンジしたいと思っています。
 
私は前にこのブログで、戦争を望む心理についての記事を書いたことがあります。
 
「老人たちの望む戦争」
 
「永遠の0」の原作者である百田尚樹氏はもちろん戦後生まれですが、あの戦争に負けたことが悔しくて、リベンジしたい心理があるのでしょう。
 
百田氏は東京都知事選のときの田母神候補の応援演説の中で、「東京大空襲や原爆投下は米軍による大虐殺だ。東京裁判はそれをごまかすための裁判だった」といいました。
 
また、百田氏は2月にイランを訪問し、記者団の前でアメリカの原爆投下を非難し、「私はあるときアメリカのやったことを強く非難したが、彼ら(アメリカ人)は私のこの言葉に不快感を示し、私を普通ではないといったが、私は普通ではないのはアメリカ人のほうだと思う」と語り、これはイラン国営放送で大きく報道されたそうです。
 
百田氏は安倍首相のお友だちで、昨年12月には2人で対談集も出しています(これが「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」という恥ずかしいタイトルです)
 
安倍首相の心中にも百田氏と同じような反米の思いがあるに違いありません。国会答弁で、「教育基本法は占領時代につくられたが、衆参両院で自民党単独で過半数をとっていた時代も手を触れなかった。そうしたマインドコントロールから抜け出す必要がある」とか「憲法や教育制度を私たちの手で変えていくことこそが、戦後体制からの脱却になる」と語っています。
 
百田氏は明白に反米の姿勢を出していますが、安倍首相はうわべは親米、心中は反米という状態です。この矛盾が今後どういう形で表面化するのか、今いちばん気になることです。