文部科学省は2月17日、新しい道徳教育用教材「私たちの道徳」を発表しました。これは「心のノート」の改訂版で、ページ数は「心のノート」の1.5倍になります。3月末までに全国の小中学生に無償配布されるということです。
これはウエブ上で公開されていて、すべて読むことができます。
 
道徳教育用教材「私たちの道徳」について
 
道徳教育ほどバカバカしいものはありません。道徳教育でよい人間をつくることができたら、世の中はとっくによくなっています。
 
安倍政権の目指す道徳教育の強化に反対する人は多くいますが、道徳教育のなにがだめかを説明できる人はほとんどいないでしょう。
もちろん私は説明できます。このブログに「人間は道徳という棍棒を持ったサルである」という言葉を掲げているように、私は世の中の人と道徳の捉え方が根本から違います。
 
 
「私たちの道徳」がまったくくだらない代物であることはわかりきっていますが、読まないで批判するわけにもいかないので、中学生用を少し読んでみました。
たとえばこんな具合になっています。
 
自律って何だろう
 
他人を見習うことは大事だが
なぜ、どこを見習うのか
自分で考え、判断することが大切だ。
 
自己中心的でもいけない。
付和雷同してもいけない。
自律的に生きるとはどういうことか、自分なりに考えてみよう。
 
内容がカラッポです。
よく解釈すれば、ひとつの考え方を押し付けていないということはいえますが、これではなにをどう考えていいかわかりません。
おそらくこれを読んだ中学生は、「自分なりに考えてみよう」と書いてあるのに自分はなにも考えられないということで、自信を失ってしまうに違いありません。
 
「読物『ネット将棋』」というのもあります。インターネットを利用する上での注意点とか、ネット将棋のやり方とかが書いてあるのかと思って読んでみたら、「負けて悔しいからといっていきなりログアウトせずに、きちんとあいさつをしましょう」みたいな内容でした。
要するに教訓とかお説教です。読んでもなにも得るものがありません。
 
「私たちの道徳」には歴史上の偉人だけでなく、澤穂希選手、松井秀喜氏、山中伸弥教授など“今の人”も登場するのが特徴です。また、いろいろな格言も紹介されています。そうしたことを考える手がかりにさせようという狙いでしょう。
しかし、格言がつまらないものばかりです。最初の三つを挙げてみます。
 
人は繰り返し行うことの集大成である。
だから優秀さとは、行為でなく、習慣なのだ。
(アリストテレス)
 
何事にも節度を守れ。
何事にも中央があり、
その線が適切のしるしなのだから。
(ホラティウス)
 
早寝早起きは、人を健康で豊かで賢明にする。
(フランクリン)
 
常識的な見方をくつがえしたり、新しい角度からものを見せてくれたりする格言は読む価値がありますが、ここにある格言は「ああ、そうですか」という感想しか出てきません。
 
道徳について学ぼうとすれば、芥川龍之介の格言にまさるものはありません。これを読めば、道徳教育でよい人間がつくれないわけがわかります。「侏儒の言葉」から道徳に関する部分を引用してみます。
 
道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
          ×
 道徳の与へたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与へる損害は完全なる良心の麻痺である。
          ×
 妄(みだり)に道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。妄に道徳に屈するものは臆病ものか怠けものである。
          ×
 我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は殆ど損害の外に、何の恩恵にも浴してゐない。
          ×
 強者は道徳を蹂躙するであらう。弱者は又道徳に愛撫されるであらう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
          ×
 道徳は常に古着である。
        ×
 良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だ嘗て、良心の良の字も造つたことはない。
 
「私たちの道徳」を書いた人間と芥川龍之介では、道徳の捉え方が180度違います。
芥川は自分自身や世の中を批判的に見ていますが、「私たちの道徳」を書いた人にそうした視点は皆無です。
 
そもそも人が人に道徳を説くというのはおかしなことです。
人に道徳を説くことができるのは神だけです。
ですから、もともと道徳は宗教に結びついていました。
 
西洋のキリスト教圏では、学校で知識を学び、日曜学校で道徳を学ぶというように役割分担があります。
戦前の日本では、学校において「修身」の科目がありましたが、これは神である天皇が下された「教育勅語」を根拠にしていました。
 
「私たちの道徳」を書いた人は、なにを根拠にして人に道徳を説くのでしょうか。
 
「私たちの道徳」の奥付には、デザイン、イラスト、写真については提供者の個人名や会社名が書いてあります。しかし、執筆者名は書いてありません。「発行文部科学省」とあるだけです。
 
「心のノート」の場合は、当時の文化庁長官であった河合隼雄氏が責任者のような立場にあり、河合隼雄氏は心理学や文化論において実績のある人でしたから、河合隼雄氏の個人的な権威によって、みんななんとなく納得させられていたところがあります。
 
「私たちの道徳」を書いたのは文部科学省の役人であり、自民党文教族の意向を取り入れて書いたのでしょう。
 
そんなものを読まされる子どもが気の毒です。