道徳教育でよい人間がつくれるということはありません。
では、なんのために道徳教育をするかというと、おとなのためです。
 
文部科学省が配布する「わたしたちの道徳」小学生1・2年用はなんと160ページもあります。道徳の詰め込み教育です。おとなの自己満足のためとしか思えません。
将来、道徳が教科化されたらその分、国語や算数の授業が削られるわけで、学力低下は必至です。
 
「わたしたちの道徳」小学生1・2年
 
「わたしたちの道徳」小学生1・2年生用の第1章は「自分をみつめて」と題されています。
小学校1年生に自分を見つめさせることに意味があるのでしょうか。
この年齢は世界を探求することに全力をあげるときではないかと思います。
自分を見つめるのは、人生に行き詰まりを感じたときでいいのではないでしょうか。
 
第1章「自分をみつめて」の「1」は、「きそく正しく気もちのよい毎日を」と題されていて、その最初は、「気もちのよい1日をすごすために、どのようなことに気をつければよいのかを考えてみましょう」となっています。
そして、それに続いて、
「つくえやロッカーの中など、みの回りのかたづけができていますか。学校での様子を思い出してみましょう」
「自分の本やふくなど、みの回りのかたづけができていますか。家での様子を思い出してみましょう」
とあります。
つまり、かたづけの勧めです。
道徳教育の第一歩は子どもにかたづけをさせることなのです。
 
かたづけをすることが子どもの発達の過程で重要なことかというと、かなり疑問です。
しかし、親にとっては重要なことです。おそらく多くの家庭で、親は子どもがオモチャなどを散らかすと、「ちゃんとかたづけをしなさい」と毎日のように言っているのではないかと思われます。
ですから、この道徳の教科書は、親にとって喜ばれる内容なのです。
 
教科書はこのあと、こう続いています。
「みの回りのものをかたづけることができていますか。学校での様子をたしかめてみましょう。できたら○に色をぬりましょう」
そして、「教科書」「ランドセル」という項目の下に○が五つ並んでいて、日付を書き込むところもあります。
つまり、教科書やランドセルのかたづけができたら、○に色をぬって、日付も書き込みましょうということです。
 
かたづけそのものには意味があるとしても、○に色をぬることに意味があるのでしょうか。しかも、○は五つしかありません。
 
ですから、○に色をぬらせることは、親や教師の自己満足でしょう。子どもに読書感想文を書かせるのと同じです。
 
根本的なことをいえば、子どもがかたづけをしないのは当たり前のことです。
子どもはオモチャを持ち出して遊びたいという動機はあります。しかし、遊んだあとオモチャをかたづけたいという動機があるわけありません。
 
かたづけたいという動機が出てくるのは、物が散らかっているとなにかするときのじゃまになるし、踏みつけて壊れるかもしれないし、物が所定の場所にないと次使うときにすぐ取り出せないしというように、「将来の予測」ができるようになってからです。オモチャで遊びたいという動機は「今」のことですから、かなりのズレがあります。
このズレが理解できない親は、「自分で使ったものは自分でかたづけなさい」などとむりなことを言います。これはトイレトレーニングのできていない子どもに、「自分で食べたものは自分で排泄しなさい」と言うのと同じです。
 
「きそく正しく気もちのよい毎日を」という言葉にも疑問があります。
おとなは物がかたづいていると気持ちいいでしょうが、子どもに同じ気持ちがあるとは思えません。つまりこの「気もちのよい」という言葉は、子どもの気持ちを無視しておとなの気持ちをいった言葉なのです(子どもは散らかし放題にするのが気持ちいいはずです)。
 
かたづけたいという動機がないのにかたづけをさせられた子どもはどうなるのでしょうか。
うわべだけ親や教師の期待に応える子どもになってしまうのではないでしょうか。
 
「かたづけられない女」という言葉があります。女に限らないので「かたづけられない人」といったほうがいいでしょう。家の中がゴミ屋敷になっているような人のことです。
 
なぜ「かたづけられない人」になるのかというと、ADHDなどの障害が原因になるケースもあるようですが、子どものころにかたづけたくもないのにむりやりかたづけさせられて、そのためかたづけが嫌いになるケースもあるのではないでしょうか。
 
さらには、かたづけないほうが創造性が発揮されるという説まであります。
ハフィントンポストで見かけた記事から引用します(もとの記事にはザッカーバーグの机の写真などもあります)。
 
天才の机は散らかっていた!混沌とした環境でこそ創造性は発揮される
スティーブ・ジョブズ、アルベルト・アインシュタイン、マーク・トウェイン。この3人の偉大な人物に共通する点は「机がいつも散らかっていたこと」です。
(中略)
計算機科学者、暗号解読者のアラン・チューリングやペニシリンの発見者として知られるアレクサンダー・フレミング、画家のフランシス・ベーコンといった、仕事に創造性が求められていたであろう著名な人々もまた、驚くほど机が散らかっていたそうです。
(中略)
最近、ミネソタ大学が実施した研究結果によって、より散らかった机を使う人の方が創造性が高く、積極的にリスクをとる傾向にあることが示されました。一方で、整頓された机を使う人は、ルールに従い、新しいことに挑戦したり、リスクをとることを避ける傾向にあることが研究で分かりました。研究チームは次のようにコメントしています。「人は混沌とした環境に置かれるほど、慣習を破ろうという気持ちが高まるようです。それは、新しい考え方を生み出すチャンスになるでしょう」
(中略)
子どもの頃を思い出せば、常におもちゃを片付けなさい、ベッドを整えなさいと言われてきました。ですが、もしかしたらお母さんは間違っていたのかもしれません。上記でさまざまな例を紹介した通り、雑然とした環境は人の創造性を高めるのです。
 
かたづけのたいせつさを説く「わたしたちの道徳」は、子どもの発達を無視したものであるばかりではなく、子どもの創造力までも奪ってしまうものかもしれません。