あるものをあると気づくのは簡単ですが、ないものをないと気づくのはけっこうたいへんです。
なんか禅問答のような文章になってしまいましたが、3月3日に千葉県柏市で起きた連続通り魔事件で逮捕された竹井聖寿容疑者についての朝日新聞の記事を読んで感じたことです。
 
柏市通り魔事件は、ナイフで4人を殺傷するという凶悪なものですが、竹井聖寿容疑者は逮捕前に目撃者のふりをしてマスコミに事件の様子を語ったり、警察に任意同行を求められたときに「チェックメイト」とつぶやいたり、逮捕されたときに「ヤフーチャット万歳!」と叫んだりという奇行が報道されていました。そうしたところ、朝日新聞に竹井容疑者の人物像についての記事が載ったわけです。
 
そして、読んでみたところ、肝心のことが書かれていないと思いました。肝心のことが書かれていない記事にはほとんど意味がありません。
しかし、こうした記事が掲載されて、別段クレームもないようですから、肝心のことが書かれていないことに気づかない人が多いのでしょう。
ということで、冒頭に書いたことを感じたわけです。
 
この記事を読んで、書かれていない「肝心のこと」がなにかわかるでしょうか。
 
柏連続殺傷「直前に決意」 容疑者再逮捕
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 千葉県柏市で起きた連続殺傷事件で、会社員池間博也さん(31)への強盗殺人容疑で逮捕された無職竹井聖寿(せいじゅ)容疑者(24)=同市あけぼの4丁目=が「犯行は直前に自宅で決意した」と供述していることが、県警への取材でわかった。県警は25日、竹井容疑者を強盗致傷など五つの容疑で再逮捕し、発表した。容疑を全て認めているという。
 
 再逮捕容疑は、3日深夜に自宅近くの路上で男子大学生(25)から金品を奪おうとして、ナイフで左手に軽傷を負わせた強盗致傷、別の男性2人から財布や車を奪った2件の強盗、自宅に乾燥大麻を隠し持っていた大麻取締法違反、凶器のナイフを所持した銃刀法違反の計5件。
 
 ■知人「自分を大きく見せたがる」
 
 竹井容疑者の人物像が、知人らへの取材で明らかになってきた。
 
 「チャット、ばんざーい!」。5日、竹井容疑者は逮捕前に自宅を出た際、こう叫んだ。チャットとは、インターネット上で他人との会話が楽しめるサービス。捜査関係者によると、竹井容疑者は中学生のころからチャットを始め、最近は生活時間のほとんどを割いていた。ネット上では「除悪」と名乗り、自己紹介に「過去に類を見ない史上初の存在者」「今のすさんだ時代を変えられるのは私だけ」などと書いていた。
 
 7年ほど前からチャット仲間だったという男性は、竹井容疑者について「自分を大きく見せたがる。アウトローにあこがれ、異常な行動や言動が格好いいと思い込み、虚勢を張っているように感じた」と話した。手の甲にたばこの火を押しつける姿をテレビ電話で見せたり、自らの写真を送るときはナイフを持っていたりしたという。
 
 竹井容疑者からは、風呂や食事、寝るとき以外はパソコンの前にいると聞いた。だが、実際の友達の話を聞いたことはなかった。
 
 竹井容疑者は柏市の小中学校に通い、中学1年の1月に隣の我孫子市の中学校に転校。県立高校に進んだが、ほどなく退学したという。チャット仲間の男性は「高校中退後、引きこもり状態だと言っていた。チャットが外の世界との唯一のつながりだったのだろう」と語った。
 
 小学校の同級生だった柏市の会社員男性(24)は「人を笑わせるのが好きな目立ちたがり屋。ただ、程度をわきまえないところがあって、親友はいなかったんじゃないか」と振り返る。悪ふざけで先生をめがけてサッカーボールを蹴り、周りが緊張したことがあったという。
 
 精神科医の斎藤環・筑波大教授は「今の若い世代は自分を認めて欲しいという『承認欲求』が強い。竹井容疑者にとって、それを満たす場所がチャットだったのではないか。限られた人間関係の中で常に注目されたいと、異常な行動や発言がエスカレートしたのだろう」と指摘した。
 
チャットのこと、虚勢を張る行動のこと、学校のこと、友だちのいないことなどが書かれています。
しかし、親のこと、家族のこと、家庭環境のことが書かれていません。
これが「肝心のこと」です。
育った家庭環境のことを書かずに人物像が描けるはずありません。
 
竹井容疑者本人は、自分の家族のことをネットでいろいろ語っています。
 
私は現在、24才のセレブニートであります。父親が不動産・一級建築士です。祖父の土地も豊富にある為、働かずに生きていける環境は常に整ってはいます。
 
私の生い立ちは学生時代はいじめられたりいじめをしたり、家族の暴力、学校の先生の体罰など理不尽な環境の中で生きていきました。
 
家族の不仲による家庭環境の異常性と学校を3回も転校するという環境で育ち、いじめられた過去もあり、いじめた過去もある者でございます。そういった環境とDNAが私をこの地球に生んだのでしょう。
 
もちろん本人が書いていることが事実であるかどうかわかりません。取材すると別の事実が出てくるかもしれませんが、いずれにせよ家族との関係を書かないことには話になりません。
本人ですら「家族の暴力」「家族の不仲による家庭環境の異常性」と今の自分の関係を認識しているのですから、朝日新聞の記事に家族のことがまったく触れられていないのは不可解です。実際に父親の金で生きている「セレブニート」なのかどうかぐらいは書いてもいいはずです。
 
 
話は変わりますが、「黒子のバスケ」脅迫事件というのがありました。マンガ「黒子のバスケ」に関連したものについての脅迫が連続し、書店から本が撤去されたりしましたが、201312月に渡辺博史容疑者が逮捕されました。
3月13日に東京地裁で初公判があり、渡辺博史被告は長々と冒頭意見陳述を読み上げました。その全文が月刊「創」の篠田博之編集長によってウェブ上にアップされました。
 
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1
 
読んでみると、これが驚くほど明晰な文章です。自分を客観視することもできています。
その文章の中から、家族関係についての記述を抜き出してみます。
 
バスケマンガと二次創作につきましては、色々な出来事が複雑にリンクしています。31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。
 
自分が初めて自殺を考え始めてから今年がちょうど30年目に当たります。小学校に入学して間もなく自殺することを考えました。原因は学校でのいじめです。自分はピカピカの1年生ではなくボロボロの1年生でした。この経緯についてここで申し上げても詮ないので、詳細については省略します。自分を罰し続けた何かとは、この時にいじめっ子とまともに対応してくれなかった両親や担任教師によって自分の心にはめられた枷のようなものではないかと、今さらながら分析しています。
自分は昨年の1215日に逮捕されて、生まれて初めて手錠をされました。しかし全くショックはありませんでした。自分と致しましては、「いじめっ子と両親によってはめられていた見えない手錠が具現化しただけだ」という印象でした。
 
また、刑務所での服役も全く恐くありません。少なくとも娑婆よりは、人生の格差を自分に突きつけて来る存在に出会うことはないでしょう。いじめがあっても刑務官さんたちは、自分の両親や小学校の担任教師よりはきちんと対応して下さるでしょう。刑務所の生活には自由や尊厳がないと言いますが、自分には、それは娑婆でも同じことですから、何も恐くありません。また今回の逮捕を巡る報道により、自分は全ての日本人から見下される存在になり果てましたが、自分の主観では、それは逮捕前も同じで、それが単に顕在化したに過ぎませんから、特に改めて苦痛を感じません。
 
そもそもまともに就職したことがなく、逮捕前の仕事も日雇い派遣でした。自分には失くして惜しい社会的地位がありません。
また、家族もいません。父親は既に他界しています。母親は自営業をしていましたが、自分の事件のせいで店を畳まざるを得なくなりました。それについて申し訳ないという気持ちは全くありません。むしろ素晴らしい復讐を果たせたと思い満足しています。自分と母親との関係はこのようなものです。他の親族とも疎遠で全くつき合いはありません。もちろん友人は全くいません。
 
自分のデタラメな声明文を真に受けた前述の臨床心理士がtwitterで「愛する人を失って云々」などとツイートしていましたが、自分は愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件や交通事故の被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人が存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。つまり自分には失って惜しい人間関係もありません。自分は留置所から借りたスウェットを着てこの場に立っていますが、それはつまり自分には公判用のおめかし用の衣類を差し入れてくれる人など誰もいないという意味です。
 
愛のない家庭で育った人間の心情がきわめて明快に表現されています。
 
渡辺被告は最後のほうで、「両親の自分に対する振る舞いも躾の範囲に収まることで虐待ではありません」と述べる一方で、「自分は両親や生育環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法をやめる気はありませんし、やめられません」とも述べています。自分を客観視しているようでも、ここには矛盾が見られます。このあたりに渡辺被告が犯行に走った理由があるのかと思います。
 
ともかく、渡辺被告にしても竹井容疑者にしても、家族関係が自分の人間形成に重要であったことを認識しています。
一方、朝日新聞の記事には家族関係のことがいっさい触れられていません。
昔、凶悪犯罪者の犯行動機について「心の闇」という言葉がよく使われましたが、今もそういうごまかしを続けるつもりでしょうか。
 
朝日新聞に限りませんが、新聞の購読層は高齢化しています。つまり24歳の竹井容疑者の親の年代が主に読んでいるわけです。
親の世代にとって不都合なことは書かないということでしょうか。だとすれば、若い世代の新聞離れを加速させるようなものです。