ドラマ「明日、ママがいない」をきっかけに児童養護施設への関心が高まったと思われますが、反面、全国児童養護施設協議会などが放送中止を求めて抗議したことでマスコミは児童養護施設を扱いにくくなったとも思われます。
 
そうした中、朝日新聞が児童養護施設についての記事を2日続けて掲載しました。
 
(養護施設の子ども、自立への壁:上)ほしいのは、自分でおれる場所
 
これは児童養護施設全般についての記事ではなく、施設からの自立がどうなっているかということに焦点を絞った記事です。このあたりに腰の引けた感じがあります。
高校を卒業した者が上の学校に行く進学率は全国で77%ですが、施設を出た者が高校より上の学校に行く進学率は約2割で、大きな差があります。こういうデータで示された部分についてしか書けないのでしょうか。
 
この記事で私が注目したのは、この部分です。
 
名古屋市の男性(20)は高校を中退した3日後、15歳で施設を出された。その施設では、高校へ進学しなければ退所するのが「慣例」だった。
 
 小学校で授業についていけなくなっていたが、生きる場所を失うのが怖くて高校へ。なじめずに喫煙や無断欠席を繰り返し、1年生で中退した。
 
 職員の一人(57)は「定員も、職員の数にも限りがある。高校に行かなくても喫煙しても、同じように施設にいられるのか。他の子への影響も考えざるを得ない」。そう言いながら、「学歴も、家族の支えも、お金も持たない子どもが一人で生きていくのはどれほど過酷か」と悩む。
 
高校を中退すると施設を出なければならないとする「慣例」が存在するということ自体、間違っています。
親に代わって子どもを育てるのが施設の役割です。子どもが高校を中退したとか喫煙したとかで親が子どもを家から追い出すということはありません。
高校中退や喫煙という“悪いこと”を裁くのは「司法の論理」です。施設は子どもがどんな“悪いこと”をしても受け入れるという「愛と寛容の論理」で運営されなければなりません。そうしてこそ子どもは安心感を持つことができ、人との信頼関係を築くこともできるのです(もっとも、最近は「司法の論理」が持ち込まれている家庭も多いようです)
 
 
朝日新聞の記事は中途半端でしたが、月刊「選択」4月号に載っていた記事はかなり強烈でした。
 
日本のサンクチュアリシリーズ 475
児童養護施設
ドラマの比ではない「犯罪行為」の巣窟
 
全文の紹介は具合が悪いと思うので、適当に選び出して紹介します。
 
 
「地獄から抜けたと思ったら、ついた場所は別の地獄だった」
 
  埼玉県内の児童養護施設で八歳から十八歳までを過ごした二十代前半の男性は、絞り出すように語った。
 
  現在は、工事現場の警備員をして糊口を凌ぐこの男性は、幼い頃に実の親からの虐待を受け、児童相談所に保護された。その後高校卒業まで私立の施設で育ったが、職員や他の入所児童からの壮絶ないじめを受けたという。
 
  児童養護施設を舞台とした日本テレビのドラマに対する批判が出てCM放映が見合わされたことは記憶に新しい。抗議をしたのは、いわゆる「赤ちゃんポスト」を設置する熊本市の慈恵病院と全国児童養護施設協議会。
 
  しかし、北関東の児童養護施設で働いていた元職員は「協議会はどの面を下げて抗議できるのか」と憤る。恵まれない境遇にいる子どもを社会で育てる―。極めてシンプルな役割を担う児童養護施設の現場は、ドラマ以上の壮絶な状況にある。
 
 
 
施設によってその環境は千差万別だと断ったうえで、前出元職員が語る。
 
 「一部の恵まれた施設を除いて、ほとんどの施設でなんらかの暴力が恒常的に行われている」
 
  児童養護施設での暴力は、職員から子どもへのものだけではない。冒頭の施設出身男性は、「ありとあらゆる暴力を受け、目撃してきた」と重い口を開く。
 
  小学校低学年の頃から、とかく職員の「せんせい」は恐怖の対象でしかなく、約束事を破ったなどとして暴力を受けた。約束というのも就寝前に歯を磨くのを忘れたといった些細なことで、廊下に正座させられ、時には殴られた。
 
  仲間であるはずの入所児童も敵だった。年長者からは恒常的にいじめ抜かれ、成長するとともに暴力はより過激に、陰湿になった。この男性は、通学していた学校ではいじめの対象になることはなかったため、とにかく学校に長時間居残り、毎日施設に帰るのがいやだったという。
 
  また、中学生、高校生になると、児童が職員に対して暴力を振るうこともあった。特に若い女性職員がターゲットになりやすい。すぐに辞めることも多く職員の入れ替わりは激しかった。
 
  この男性の経験したことは珍しいことではなく、時折事件化してこれまでも問題になってきた。深刻だったのは、一九九五年に発覚した千葉県の恩寵園事件や、九八年に愛知県東海市の私立施設で入所中の児童が集団暴行を受けた揚げ句に障害が残った事件だ。
 
  こうした例では施設運営者側に問題のあるケースが多い。〇六年に発覚した長崎県島原市の太陽寮の事件では、施設長が二千八百万円を横領していたほか、入所女児への性的暴行で告発された。〇九年には神奈川県の幸保愛児園でも、施設長による使い込みや、児童への虐待が行われていたことがわかっている。
 
  これらは氷山の一角だ。たとえば、福岡市内のある施設では最低限の職員しか置かずに人件費を切り詰めている一方、園長が暴力団と見まごう黒塗りの外車を乗り回しているという。
 
  愛知県内の私立の施設では、運営する社会福祉法人理事が関係する食料品店からのみ随意契約で物品を購入している。「より安いルートがあると訴えた職員があっという間にクビになった」(施設関係者)という。児童養護施設に補助金を払っている自治体の監査は形だけで、なぜか市の福祉課OBが事務長に天下っている。
 
  施設協議会の会長を務める鳥取こども学園施設長の藤野興一氏は〇七年の厚生労働省の委員会で、施設内での虐待の存在を認めたうえで「暴力事件を起こした施設職員を排除しても起きてしまうのは、やはり構造的な問題にほかならないわけです」と発言している。
 
  また、厚労省からの改善通知が出ても「全然守られていない」とうちあけ、こう語っている。
 
 「皆さんがどの程度と思っておられるかわかりませんが、本当に壮絶に近い状態だと私は思っています」
 
  これは正直な現場の声なのだろう。一般に虐待を受けて育った子どもは、将来、自らの子どもに虐待を行う傾向が強い。「虐待の連鎖」が施設でも拡大再生産されているのだ。
 
 
 
施設、職員による隠蔽は、染みついた体質だ。児童養護施設を取材したことのあるフリーライターは、「施設内で子どもの話を聞いても、どこかオブラートに包まれたような、杓子定規な答えしか返ってこない。職員から余計なことを話すなと直接言い含められているか、目を気にして自主規制しているという印象だ」と語る。
 
  施設内での虐待を防止するために、〇八年に児童福祉法が改正されて、虐待事案の通告制度が設けられたが機能していない。養護対象児童への虐待を「被措置児童等虐待」と定義し、これを発見した場合に速やかな通告を義務付けた。虐待を発見するのは職員か児童だが、実際に子どもが県や市などの自治体へ通告することは難しい。窓口だけではなく、手紙などでの通報も可能だというが、「犯人探し」を恐れて動けない。
 
 
 真に子どものことを思う熱心な職員が少なからずいることは動かしがたい事実だが、一方で人手不足は恒常的で保育士の資格を持った専門職員の定着率も悪い。
 
 
もちろんこの記事はネガティブな面を強調した記事ですから、これだけで全体像を判断するのもどうかと思いますが、大手メディアの腰の引けた記事とは大違いです。
 
全国児童養護施設協議会が「施設長や職員が、暴力や暴言で子どもたちの恐怖心を煽り、支配・従属させることはありません」という嘘をついてまで「明日、ママがいない」の放送を止めようとしたのは、やはり施設の内実が明らかになることを恐れたためではないかと思われます。
 
とはいえ、施設側を批判すればいいというわけではありません。むしろ施設側には予算と人員をふやさないといけないわけです。
 
心に傷を負った子どもの世話をするのはたいへんです。職員は規律を保つためについつい力によって押さえ込もうとします。そうすると、子ども同士のイジメを生んだり、場合によっては職員に暴力が向かってきます。
全国児童養護施設協議会が「このドラマは甘すぎる。現実はこんなものではない。われわれの仕事はもっとたいへんだ」といって抗議していたら、世の中の共感が得られ、施設の改善にもつながったのではないでしょうか。