前回の記事で、長谷川三千子氏の平和主義についての考え方がいかにくだらないものであるかを書きました。
 
長谷川三千子氏の“哲学”は国語辞典レベルだった
 
しかし、人の批判ばかりしていても仕方がないので、今回は自分の考えを述べます。
 
長谷川氏は会見の冒頭で、会場の人たちに「世界平和は重要か」「世界平和の達成はむずかしいか」という質問を投げかけ、会場の人たちの意見をこのように集約します。
 
「誰もが平和は重要だと思っているが、同時に平和の達成は困難だと思っている」
 
ここには明らかに矛盾があります。私は一瞬、長谷川氏はこの矛盾を解き明かしていくのかと思ったのですが、長谷川氏の議論はあらぬ方向に行ってしまいました。
そこで、私が代わりに考えてみます。
 
まず、みんなは平和の重要性を口にしますが、それはほんとうかという問題があります。つまり、ほんとうは戦争が好きなのだが、本音を口にすると批判されるので、口先だけ平和主義を唱えているのではないかということです。
 
たとえば石破茂自民党幹事長は軍事プラモオタクとして有名です。軍事プラモが好きであることと、戦争が好きであることは、きわめて近似性があります。
 
安倍首相や長谷川三千子氏は「積極的平和主義」を唱えていますが、これは要するに「戦争主義」を言い換えているだけかもしれません(「戦争主義」という言葉はあまり一般的ではありませんが、「平和主義」の反対語として使っています)
 
人間には(とくに男には)戦争好きの要素があることは否定できません。長谷川三千子氏がそのことについて考察しないのは不思議です。
 
では、なぜ人間に戦争好きの要素があるのでしょう。
これはギャンブルにたとえるとわかりやすいでしょう。
 
ギャンブルは長く続ければ確実に損をしますし、やりすぎたために身の破滅を招く人も少なくありません。それでもギャンブルにはまる人があとを絶たないのはなぜでしょうか。
 
それは、「自分は勝つ」と思っているからです。
「自分は幸運だ」とか「自分には実力がある」とか、なんの根拠もなく「今度こそ勝つ」とか、その思考形態はさまざまですが、とにかく負けると思ってやっているわけではなく、勝つと思ってやっているのです。
 
冷静に確率などを計算すれば勝てないことがわかりますが、そういう合理的な思考ではありません。つまり「希望的観測」という認知バイアスの一種です。
 
人間はたいてい「自分はやればできる」とか「そのうちうまくいく」とか、根拠なく楽観的な思考をします。だからこそ絶望的な状況になってもめったに自殺をすることもなく、前向きに生きていくことができるのです。
 
戦争についても同じようなことがあります。
「戦争」と一口に言いますが、実際は「勝ち戦」と「負け戦」があります。
そして、戦争で勝つと負けるとでは天国と地獄ほども違います。
勝てば戦利品、領土、奴隷などが手に入ります(昔の話ですが)
人類がこれまで戦争を繰り返してきたのは、双方が「自分は勝つ」という希望的観測を持っていたからです。
 
この希望的観測は具体的には、「相手を見くびる」と「自分を過大評価する」というふたつから成り立っています。
したがって、孫子の兵法は「敵を知り己を知れば百戦危うからず」といったわけです。
 
ギャンブルに勝つと脳内にドーパミンが放出され、幸福感が生じるとされます。労働の対価としてお金(給料)を得ても、こうしたことにはならないそうです。そのためギャンブルには特別な魅力があり、はまるとなかなか抜け出せません。
戦争も同じようなものではないでしょうか(少なくともアドレナリンが放出され、興奮します)
 
日本がアメリカと戦争をしたのも、今考えると愚かなこととしか思えませんが、当時の日本人は興奮状態にあって(中国戦線では連戦連勝、ヨーロッパではナチスドイツが連戦連勝)、認知バイアスの一種である「バンドワゴン効果」で浮かれていたわけです。そして、戦局が悪化しても冷静さを取り戻せず、「神風が吹く」というような希望的観測にすがり続けました。
 
現在、集団的自衛権を巡って議論が行われていますが、この議論の前提にあるのは「自分は勝つ」という希望的観測です。負ける可能性を誰も言いません。
もちろんアメリカにくっついていけば負けることはないはずですが、局地的には負けることもありますし、勝つにしてもそれなりの損害も出るはずです。
また、勝つということは敵をかなり殺すことですし、負けたほうはおとなしく引き下がるとは限らず、テロによる報復をしてくる可能性があります。
それに、アメリカはアフガン戦争とイラク戦争で勝ちましたが、今は勝ったからといってたいした利益はなく、むしろ損失のほうが大きいくらいで、アメリカ国民も戦争にうんざりしています。
 
ともかく、人類がこれまで戦争を繰り返してきたのは、「敵を知らず、己を知らず」という愚かさのゆえです。この愚かさから脱することが平和への道です。