安倍首相が憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に向けて突っ走っています。
 
安倍首相はもともと改憲によって「美しい国」だか「新しい国」だかを目指していたはずです。
日本国憲法は戦力の不保持をうたっていますし、自衛権についての規定もないので、これまで「解釈改憲」によって自衛隊の存在を正当化してきましたが、どうしてもむりがあります。ですから、きちんと改憲して「国の形」をすっきりさせたいという考えにはそれなりの正当性があります。
しかし、安倍首相は正面から9条改正を打ち出すのではなく、改憲のハードルを下げる96条改正を先行させようとしました。これが姑息なやり方だということで評判が悪く、9条改正についての世論も反対のほうが多くなりました。そこで改憲を諦めて「解釈改憲」に舵を切ったのだと思われます。
 
しかし、これではますます「国の形」がねじれてしまいます。安倍首相は「美しい国」を目指していたのではなく、やはり「戦争のできる国」を目指していたということでしょうか。
 
安倍首相は5月15日の記者会見で、集団的自衛権の行使が必要な例を挙げましたが、これがまったくピンときません。
 
具体的な例でご説明をしたいと思います。
 
いまや海外に住む日本人は150万人。さらに年間1,800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり能力を有する米国が救助・輸送している時に、日本近海で攻撃があるかもしれない。
 
このような場合でも、日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を、日本の自衛隊は守ることができない。これが憲法の現在の解釈です。
 
これを聞いた私は最初、民間の船に日本人が乗っていて、それを米国の軍艦が護衛している状況を想像しました。そして、自衛艦が米国の軍艦を助けられる位置にいるというわけです。そうなら、その自衛艦が直接日本人の乗っている船を護衛すればいいわけで、安倍首相の言っていることは不可解だと思いました。
 
しかし、これは私の誤解でした。朝日新聞には日本人を乗せているのは米軍艦だと書いてあります。安倍首相が会見で示したパネルにも「邦人輸送中の米輸送艦」という言葉がありました。
つまり、日本人は米軍艦に乗って戦地から避難してきたというわけです。
紛争の一方の当事国の軍艦に乗るというのは、攻撃される恐れがあるので危険な判断です。
それに、米輸送艦なら米軍が自力で守るのは当然で、日本に防護の要請をしてくるというのは考えにくいことです。
 
これまで「日本の頭上を通過してアメリカを攻撃するミサイルを日本は撃ち落とさなくていいのか」とか「米国のイージス艦を狙ってくるミサイルを日本のイージス艦は落とさなくていいのか」というように、日本がアメリカを守るという事例が挙げられていましたが、今回は「紛争国から逃れようとしている、お父さんやお母さんやお爺さんやお婆さん、子どもたち」を守るのだということを主張しようとして、わかりにくい事例になってしまったようです。
 
こんなむりな説明をして、「解釈改憲」を拡大してまで集団的自衛権行使に向かおうとしている理由はなんでしょうか。
 
私は安倍首相の中にある「戦争好き」についていろいろ考えています。
今回は、日本の終戦のあり方も原因ではないかということを書いてみます。
 
 
「日本のいちばん長い日」(原作は大宅壮一のノンフィクションとされていましたが、実際は半藤一利のノンフィクション)という映画があります。これは御前会議において降伏を決定した1945814日の正午から玉音放送によって国民にポツダム宣言の受諾を知らせる815日正午までの24時間を描いた映画で、降伏に反対する将校たちが玉音放送のレコードを奪おうとするなど、降伏か戦争継続かのぎりぎりの攻防が描かれます。
つまり御前会議で降伏を決定しても、それに従わない勢力がかなりあったのです。
 
一般国民も、玉音放送の音声が聞き取りにくかった場合、いっそう奮戦するよう呼びかける内容だと誤解する人が多かったようです。つまり当時の気分としては、ここで降伏するとは思えなかったのです。
 
8月15日の降伏については、もっと早く降伏しておけば犠牲が少なかったのにと思う人が多いかもしれませんが、第二次世界大戦の常識からするとむしろ早すぎます。
ドイツはベルリンで市街戦が行われるまで戦い続けましたし、ソ連はスターリングラード、レニングラードが包囲され、モスクワの40キロ手前までドイツ軍に進撃されても、そこから反撃しましたし、中国の国民党政府も首都南京が陥落しても首都を重慶に移して戦い続けました。それらと比べると、硫黄島と沖縄が占領されただけで降伏した日本は早すぎるということになります。
 
故小松左京氏のデビュー作は「地には平和を」という短編小説です。8月15日に予告されていた玉音放送が中止になり、大本営と皇室は長野県松代に移転して、日本は本土決戦を戦っているというもうひとつの世界で、少年兵が米軍と戦う物語です。この少年兵は、戦時中の小松左京氏が思い描いた自分自身の姿だったでしょうし、小松左京氏はこの物語をどうしても書かないではいられなかったのでしょう。
 
つまり多くの日本人はまだ戦争が続くと思っていましたし、とくに軍部の多数はまだ戦い続けるつもりでした。
そのため日本人には“まだ戦争し足りない感”があるのです。
 
ドイツは第一次世界大戦での負け方が中途半端だったために“まだ戦争し足りない感”があり、そのために第二次世界大戦をやって、ようやく“まだ戦争し足りない感”を解消しました。
今の日本は、第一次世界大戦で負けたドイツの段階に近いといえるでしょう。
 
もっとも、「戦争はもうこりごりだ」と思う人もたくさんいます。
今の集団的自衛権行使を巡る対立は、「戦争はもうこりごりだ」と思う人たちと、「まだ戦争し足りない」と思う人たちの対立ということになります。