よく通り魔事件の犯人が「人を殺したかった。誰でもよかった」と言うことがありますが、安倍首相の心境は「戦争がしたかった。改憲でも解釈改憲でもなんでもよかった」というところでしょうか。
 
安倍首相は5月15日の記者会見で、今の憲法解釈では不都合な例として、日本人の乗った米国の軍艦を日本の自衛艦が守ることができないということを挙げましたが、そのあとこのように語っています。
 
 
昨年11月、カンボジアの平和のために活動中に命を落とした中田厚仁さん、高田晴行警視の慰霊碑に手を合わせました。あの悲しい出来事から20年あまりが経ち、現在、アジアで、アフリカで、たくさんの若者たちがボランティアなどの形で地域の平和や発展のために活動をしています。
この若者のように、医療活動に従事をしているひとたちも居ますし、近くで協力してPKO活動をしている国連のPKO要員もいると思います。
 
しかし彼らが突然、武装集団に襲われたとしても、この地域やこの国において活動している日本の自衛隊は、彼らを救うことができません。
 一緒に平和構築のために自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から"救助してもらいたい"と連絡を受けても、日本の自衛隊は彼を見捨てるしかないんです。
これが現実なんです。
 
これは一般国民にいちばんアピールするような表現にしたものでしょう。
そのためこの表現は、「勧善懲悪」になっています。
カンボジアの平和のために命を落とした中田さんと高田警視、医療活動をしている人、PKO活動をしている人、自衛隊とともに汗を流している他国の部隊が「善」で、それらを襲撃する武装集団が「悪」というわけです。
 
もちろん人間を「善」と「悪」に分けることはできません。
たとえば現地の武装集団は、それなりに地元民の支持があるから武装集団たりえているのです。
 
ところで、軍事ジャーナリストの神浦元彰氏は前から、集団的自衛権行使を推進しているのは自衛隊ではなく軍事を知らない外務官僚だと主張しておられますが、5月15日の安倍首相の記者会見についてコメントを書いておられます。神浦氏は中田さん、高田警視の死亡事件について取材したことがあるということで、その部分も興味深いので、全文引用します。
 
 
仮に朝鮮半島で戦争が起きて、在留邦人が米軍の艦艇や航空機(民間機を含む)に乗って日本に避難する時、その艦艇や航空機を自衛隊が護衛することは個別自衛権で可能だと思う。
 
これが、わざわざ集団的自衛権の解釈を変更して、自衛隊の海外での戦闘参加を認める理由にはならない。
 
この事例を安倍首相が説明した時に、カンボジアで中田さん(国連ボランティア)と高田警部補(岡山県警)が殺された事例で集団的自衛権の必要性を説明した。それで私は安保法制懇が隠してきた集団的自衛権の必要性と本質に気が付いた。
 
 私はカンボジアで二人の射殺現場を取材したことがある。中田さんは現地の選挙ボランティアを募集した際、警察署長の息子を英語力に問題があるとして採用しなかった。それを怒った父親(警察署長)が、酒に酔って早朝に銃で待ち構え、車の中の中田さんを撃ち殺したものである。
 
また高田警部補は、巡回するポル・ポト派の村の入り口で、検問の兵士(村民)の停止に応じないで、護衛のオランダ軍の車列とともに無視して通過していた。そこでポルポト派が検問所で待ち伏せして、護衛のオランダ軍と国連PKOの停戦監視団(高田警部補)の車両を銃撃した。
 
 護衛のオランダ軍はすぐに逃げだせたが、高田警部補が乗った車(トヨタの白いランドクルーザー)は側溝に落ちて逃げ出せなかった。
 
そこで高田警部補は車内から出たが、銃弾を浴びたのが死んだ原因である。待ち伏せしたポルポト派兵士は、「なぜ待ち伏せして撃ったのか」という質問に、「我々は国連PKO部隊の派遣に合意した。それは玄関の戸を開いただけで、各部屋のドアを開いた訳ではない。しかしオランダ軍は勝手に部屋を開け、トイレや風呂まで覗き込むような失礼なことをしたので制裁した」と答えた。
 
オランダ軍(海兵隊)の駐屯地にあった白いランドクルーザーを見たが、中には一滴の血が流れていなく、車外で殺されたことを物語っていた。
 
 強く印象に残ったのは、床に日本のお菓子の袋がいくつかあった。だから高田警部補が射殺された原因は、オランダ軍の振る舞いが事件発生の要因を生んだという印象を強く持った。オランダ軍の海兵隊中佐がインタビューに答えてくれた。
 
これに対して、奥参事官と井之上書記官の襲撃事件は、日本の外務省が現地は平和で自衛隊の派遣は問題ないと言い続けたために、現地の日本人外交官は武装警備をつけることができず、そこを反米勢力(フセイン大統領の支持者)に襲われたのである。
 
 二人が乗った車(トヨタのランクル・軽装甲)は事件後に日本に輸送し、警察の鑑識を受けて、銃撃の模様が究明されている。まずピックアップトラックが追い抜いて前を塞ぎ、荷台に乗ったものがランクルの前方から威嚇の銃弾をボンネットと前部窓ガラスに撃った。これで前方を塞がれた。
 
つぎに後方から別のセダン(乗用車)が後部の窓をあけて追い越し、後部座席からAK47の銃弾をランクルの側面に浴びせたのである。銃弾は軽装甲のランクルを貫通し、外交官の2人と運転手が殺された。弾倉20発の薬きょは車内に落ちた。
 
このような襲撃を防ぐには、追い越される前に強力なエンジンで加速して逃げるか、武装した護衛をつけて追い越しを防ぐことである。
 
しかし日本の外務省は、自衛隊をイラクに派遣させたいために、国会などでイラクは安全と説明を繰り返していた。危険を証明するような武装護衛をつけることができなかった。だから私は奥参事官と井之上書記官は日本の外務省が殺したと主張した。
 
 当時、バグダッド現地の各国の大使館は、武装した護衛を雇い、移動中の安全を確保していたが、日本の外交官だけが武装した護衛を雇えなかったのである。
 
イラクでは日本人旅行者が殺されたり、フリージャーナリストが拉致された事件があったが、今回の集団的自衛権の議論とは関係ないようである。
 
そのような政治の失敗を憲法のせいにして、集団的自衛権で外交官の安全を守る様に企んだのが集団的自衛権の解釈変更と容認であった。
 
 私は日本を自衛隊と日米安保で守ることができ、憲法9条を解釈変更で崩さなくとも平和国家でいることができると確信している。
 
 今までの個別自衛権と警察権でほとんどの問題は解決できるのだ。
 
 今までの集団的自衛権の議論は、靴の上から足を掻くような事例がいくつもあったが、その痒(かゆ)みの原因は、奥参事官と井之上書記官の銃撃事件を自衛隊の護衛で防ぎたい外務省の考えであったようだ。
 
 安倍首相の自己陶酔したような表情の記者会見と言葉で、それをはっきりと認識できた。
 
そういう知識で、今日の朝刊各紙を読むと、今は日本が大きな危機を抱えているのではなく、外務省の誤った認識が集団的自衛権の副作用を起こすことがわかるはずだ。
 
 
このように現地には現地の事情があります。オランダ軍のふるまいにも問題があり、誰が善で、誰が悪とかいうのではありません。
また、警察署長に撃たれたのであれば、防ぎようがありません。
 
 
安倍首相は「一緒に平和構築のために自衛隊とともに汗を流している他国の部隊から"救助してもらいたい"と連絡を受けても、日本の自衛隊は彼を見捨てるしかないんです」と語りましたが、この表現の中に問題がいっぱいあります。
 
イラク戦争後、自衛隊がサマワに駐留していたとき、近くにオランダ軍も駐留していました。そして、もしオランダ軍が武装勢力に襲われたときも自衛隊は助けに行けないが、それでもいいのか、という議論が行われていました。
この議論は自衛隊がオランダ軍の味方をするという前提で行われていますが、自衛隊はイラクの民生支援のため、つまりイラク人のために行っているわけですから、もしオランダ軍かイラク人武装勢力かどちらの味方をするかという二者択一であれば、イラク人武装勢力に味方するのが筋です(実際にオランダ軍とサドル師支持派の民兵組織が戦闘したことがあります)
しかし、こんなことを主張した人は誰もいません。自衛隊がイラクの民生支援のために行ったというのはタテマエで、実際にはアメリカ軍の占領支援のために行っていたからです。
 
安倍首相は他国の部隊を助けたいようですが、それは裏を返せば現地の人を殺すことになります。それではなんのために現地に行っているのかということになります。
 
安倍首相の頭には、帝国主義時代の発想があると思われます。
1900年の義和団事件のとき、日本を含む列強8カ国が共同で中国に軍を派遣しましたが、それと同じように思っているのです。
もっとも、同様の発想は今のアメリカやNATOにもあると思われます。だから、アフガンでもNATO軍の治安維持活動はうまくいきません。
国連のPKO隊員も似たようなものです。PKO隊員が現地人に対して性的虐待をする事件が問題になったりしています。
 
要するに途上国の人間を差別しているのです。
 
安倍首相の頭には、帝国主義的発想に加えて、「友軍」という概念もあるものと思われます。
安倍首相が集団的自衛権行使をいうときは、すべて「友軍を助けなければならない」という発想になっています。
しかし、今の日本に「友軍」はいません。
いったん集団的自衛権を行使して、ともに戦ったら、その時点で「友軍」になるのです。
安倍首相の発想はあべこべです。集団的自衛権行使を実現したいために、勝手に頭の中に「友軍」をつくりあげているのです。
 
また、軍服を着ていない現地の武装勢力はいくら殺してもいいとも思っているのでしょう。
人間としてはありえない発想ですが、日本の右翼は南京虐殺事件を論じるときにこれを当たり前のように主張します。
 
安倍首相は「一緒に平和構築のために自衛隊とともに汗を流している他国の部隊」という表現で他国の部隊を持ち上げ、一方、現地の人は「武装集団」の一言で片づけます。
しかし、実際のところは、その他国の部隊は現地の少女をレイプして、そのために現地の人から攻撃されたのかもしれないのです。
「勧善懲悪」の論理で軍事を語るとは、やはり戦争をしたい一心としか思えません。