超党派議連の提出した「過労死防止法」が成立間近だそうです。「日系ビジネスオンライン」に書いてありました。
 
「過労死」が減らないのはなぜか
森岡孝二・関西大学名誉教授に聞く
 
ただ、この法律は国が過労死を防止するという理念をうたったもので、具体的な措置を規定したものではありません。現実の労働法制は、残業代ゼロ法案のような方向に動いていきそうです。
 
それにしても「過労死」というのは不思議な現象です。普通なら、死ぬほど疲れたら体が悲鳴を上げて、休みたくなりそうなものです。おそらく日常的に働きすぎていると、そうした体のセンサーが働かなくなるのでしょう。
 
「過労死」は英語でも「Karoshi」と表記されているように、かなり日本的な現象であるようです。
 
「特攻死」も日本的な現象です。
「過労死」も「特攻死」も似ています。その根底にあるのは、「滅私奉公」といったものです。
 
こうしたものは江戸時代までの日本にはなかったはずです。「葉隠」の「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのは似ていますが、「葉隠」は武士階級においても特殊な思想ですし、庶民にはまったく無縁です。
明治以降、急速に近代化するために「滅私奉公」の思想が国民に植えつけられたのでしょう。そこには学校教育の果たした役割が大きかったに違いありません。
 
今も過労死がへらないということは、学校教育のあり方がそれほど変わっていないということでしょう。
先ほど発表された2014年版「子ども・若者白書」の意識調査の結果からもそのことはうかがえます。
 
2014年版「子ども・若者白書」には、日本、韓国、米国、英国、ドイツ、フランス、スウェーデンの計7カ国で、13~29歳の男女約千人ずつを対象に昨年実施したインターネット調査の結果が掲載されています。
 
特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの 
 
それによると、「自国のために役立つと思うようなことをしたい」という問いに「はい」と答えた人の割合は、日本は54.5%で、7カ国中でトップです。
 
「自国人であることに誇りを持っている」という問いに「はい」と答えた人は、日本は70.4%で、アメリカ、スウェーデン、イギリスに次いで4番目です。
 
「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ」という問いに「はい」と答えた人は、日本は41.7%で、他国平均は約8割なので、日本はかなり少ないことになります。
 
つまり日本の若者は、国家や公に対する意識がかなり高いといえます。
ところが、自分自身に対する意識はかなり低いのです。
 
「私は,自分自身に満足している」という問いに「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した者の合計は、日本は45.8%で、7カ国中で最低です。トップはアメリカの86.0%で、韓国の71.5%と比べても日本の低さは際立っています。
 
「自分には長所がある」
「うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」
「私の参加により,変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」
「自分の将来について明るい希望を持っている」
40歳になったときのイメージ(幸せになっている)」
これらの問いのすべてに、肯定した人の割合は日本の若者が最低でした。
 
つまり、日本の若者は、国家や公に対する意識は高いが、自分自身については否定的なイメージを持っているということです。
こういう意識構造が過労死を生みやすいということはわかるでしょう。
自分に自信がないと、過剰に周囲の評価を気にして、周囲に合わせてしまいます。
 
こうした意識構造は、今の教育によっても強化されています。
たとえば、教育基本法改正によって「愛国心条項」が入り、「自虐史観を否定して、若者に国に対する誇りを持たせる」というのが今の教育です。
「自虐史観」というのはもっぱら国レベルのことですから、「自虐史観」を否定して、国に対する誇りを持てば持つほど、個人は置き去りになってしまいます。
つまり自虐史観を否定するといいながら、実際は自虐教育が行われているのです。
 
そして、このように自分に誇りのない、自虐的な人間は、為政者や経営者にとって利用しやすいので好都合です。
 
また、こうした自虐的な人間は、自分より弱い存在、たとえば在日、生活保護受給者などに対するヘイトスピーチをよくすることになります。
 
ところで、考えてみれば安倍首相の意識構造も、国家に対する誇りばかりあって、自分に対する誇りがないのではないでしょうか。
個人の歪んだ意識構造が国全体に広がっているようです。