原子力規制委員会は7月16日、川内原発について、安全対策は新規制基準を満たしているとする「審査書案」を公表しました。読売新聞などは「合格」といった言葉を使って報じています。
 
原子力規制委員会の判断についてはすでにいろいろな批判がありますから、私は別の角度から意見を述べてみたいと思います。それは、「安全」という言葉の使い方についてです。
 
もともと政府は、「安全が確認された原発から再稼働させる」と繰り返してきました。これは2月28日の衆院施政方針演説で安倍首相が述べたことでもあります。
「安全が確認される」というときの「安全」は、「100%の安全」とか「完璧な安全」という意味ではないはずです。
つまり「安全」というのは程度問題であると思うのです。
ですから、これは本来数値化できるはずです。
 
たとえば、ダムや堤防の建設が計画されるときは、「30年に一度の大雨に備えて」といった表現がされます。「50年に一度の大雨」や「100年に一度の大雨」というのもありますし、八ッ場ダムのときは「200年に一度の大雨」という表現がありました。
 
川内原発についても、「九電は想定する最大の地震の揺れ(基準地震動)を申請時点の540ガルから620ガルに引き上げた」という報道があります。
ですから、これは本来、「○○年に一度の大地震でも大丈夫」という表現ができるはずです。○○年のところに入る数字は、500年か1000年か2000年か1万年かわかりませんが。
 
原発事故の原因は地震だけとは限らず、ほかの自然災害、人為的ミス、テロなどもありますから、最終的に安全性は「○○年に一度の事故発生率」というように表現されるはずです。
 
もっとも、具体的な数字で示すのはむずかしいかもしれません。しかし、その場合は、ほかとの比較で表現することができます。たとえば、「A原発はB原発より1.5倍事故発生率が高い」とか、「もっとも安全性が高いのはA原発で、次はB原発、その次はC原発である」とかです。
 
そのように各原発の安全性(危険性)を把握した上で、避難計画はできているかとか、事故が起きた場合の周辺への影響などを考慮すればいいのです。たとえば浜岡原発は事故が起きた場合東海道を分断するので、順位は低いとか。
 
つまり政府がどうしても原発を稼働させたいなら、原子力規制委員会は原発をひとつひとつ審査して合格・不合格を判定するのではなく、総合的に判断して比較的安全な原発を選び出し、政府が政治的判断によっていくつかの原発を稼働させるというのが正しいやり方です。
 
「安全」というのは「100%の安全」ではないので、そこは政治的判断でなければなりません。
原子力規制委員会の田中俊一委員長も記者会見で「基準への適合は審査したが、安全だとは私は言わない」と語っています。
 
安倍首相や菅官房長官が「安全が確認された原発から再稼働させる」という言い方をするのは、専門家に責任を負わせる卑怯なやり方ですし、新聞記者が誰一人、「それは100%の安全という意味ですか」と聞き返さないのは不思議でなりません。依然日本全体が“原発安全神話”から抜け出せていないということでしょうか。