8月15日、全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、天皇陛下と安倍首相がそれぞれ式辞を述べました。
安倍首相が昨年に続いて加害責任に言及しなかったことが批判されています。しかし、これは「全国戦没者追悼式」なのですから、国外のことについて必ずしも言及する必要はなく、それに前任者と同じことを言ったのでは、それこそ「コピペ」として批判されかねません。
批判するところはもっとほかにあると思います。
 
天皇陛下のお言葉と安倍首相の式辞はこちらで読めます。
 
「全国戦没者追悼式」天皇陛下のお言葉全文
 
「全国戦没者追悼式」安倍首相の式辞全文
 
このふたつを読み比べると、戦没者のとらえ方が違うことがわかります。
 
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々と、その遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。(天皇陛下のお言葉)
 
戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。(安倍首相の式辞)
 
天皇陛下は「かけがえのない命」と言い、安倍首相は「貴い犠牲」と言っています。
天皇陛下は「命」をたいせつにし、安倍首相は「犠牲」すなわち「死」をたいせつにしていて、対照的です。
 
「死」を「犠牲」と言い換えることはよく行われています。「大震災の犠牲者」とか「交通事故の犠牲になった」とか、さらには「犯罪の犠牲者」とも言います。
ですから、安倍首相の「犠牲」という言葉の使い方に疑問を持つ人は少ないかもしれません。
 
しかし、「犠牲」という言葉の本来の意味は、「神、精霊などをまつるときに供える生き物。いけにえ」ということです(goo辞書」より)
神に供えられるなら、死んでもそれなりの価値があります。そういうことから、「死」を美化した表現として「犠牲」という言葉がよく使われるわけです。
もっとも、「大震災の犠牲」というのはまだ理解できますが、「犯罪の犠牲」という言い方はかなりへんだと思います。
 
安倍首相は「死」を「犠牲」と言い換えた上に、さらに「貴い」という言葉もかぶせて、死を美化しています。
いや、それだけでなく、「貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」と死に平和と繁栄を結びつけています。
 
「戦死者の犠牲の上に今の平和がある」というのはよく言われることです。しかし、戦死者と平和の因果関係はそのように簡単に表現できるものではありません。もっと早くに平和がきていれば戦死者の数は少なくてすんだわけですし、そもそも戦死者が生じる事態(戦争)が平和を壊しているわけです。
むしろ戦死と平和は相反するものです。
そう考えると、「戦死者の犠牲の上に今の平和がある」という表現はむりにも戦死を美化するものといわざるをえません。
 
ちなみに「英霊」も、戦死者の霊を一般の霊と区別して美化するものです。
もちろん安倍首相は「英霊」という言葉を好んでいます。
安倍首相は、戦死を美化する気持ちが強いようです。
 
一方、天皇陛下のお言葉は簡明です。「かけがえのない命」という言葉を使い、それが失われたことを「深い悲しみ」と表現しておられます。
死を美化するものはなにもありません。
 
安倍首相の「貴い犠牲」という表現は明らかに間違っています。「貴い命」というのが正しい表現です。
「貴い命が無残にも失われた」というのが先の戦争についての正しい認識です。天皇陛下は明らかにそういう認識でおられます。
 
ふたつの式辞を読み比べると、天皇陛下と安倍首相は戦死について正反対の認識を持っていることがわかります。
「命の貴さ」を理解していない首相をいただいていることこそ最大の問題でしょう。