朝日新聞の木村伊量社長は9月11日、記者会見を開き、吉田調書に関する記事について、「命令違反で撤退」と記述したのは誤りであるとして、記事を取り消しました。慰安婦問題に続いての失態です。
 
私は取り消された記事を、ブログで取り上げようかと思って、掲載された時点で詳しく読んでいました。
読んだところ、多くの社員(と下請け社員)が福島第一から第二に逃げたものの、半日程度でまた戻ってきたので、たいした問題とは思えませんでした。社員が逃げたために原発事故がより深刻化したというのであれば、これは大きな問題ですが、実害はほとんどなかったようなので、ブログで取り上げることではないと判断しました。
 
つまりこの記事の内容は、「当時の現場は混乱のあまり指揮伝達がうまくいかず、多くの社員が第一から第二に退避したものの、すぐに引き返すという一幕もあった」といったことで、そのような記事であれば問題はなかったわけです。
 
しかし、この記事は一面トップに大きく載り、「命令違反」という言葉も使われていたため、現場から逃げていなくなった社員がいてたいへんな事態が起きていたような印象を与えます(詳しく読むとそうでないことがわかりますが、たいていの人は表面的に判断します)
 
なぜそんなことになったかというと、そのときの私の想像では、朝日新聞は吉田調書を入手したということを大スクープにするために、強い印象の記事にしたかったのでしょう。それから、朝日新聞は反原発ということを社の方針にしていますから、事故現場が混乱していたということを強調したかったということもあったでしょう。
 
ともかく、これは典型的な「針小棒大」の記事で、読者を惑わすものですから、朝日新聞が記事を取り消して謝罪したのは当然です(とはいえ、「命令違反」か否かというのは見る角度によっても違ってきますから、朝日新聞に勢いがあるときならこのまま押し通してしまうこともできたかもしれません)
 
 
とはいえ、私は朝日新聞を批判するより、朝日新聞を批判する側を批判することにします。みんなと同じことをやっても意味がありませんし、それに、朝日新聞が日本を悪くするより、朝日新聞を批判する側が日本を悪くすることのほうがより大きいと思えるからです。
 
例によって「日本人をおとしめた」「日本の誇りを傷つけた」といった批判のオンパレードですが、記事そのものは別に日本を悪く書いているわけではないので、批判の仕方が間違っています。
ただ、「フクシマ50は日本の誇りだ」と思っていた人にとっては、朝日新聞の記事は日本の誇りを傷つけたことになるかもしれませんが、そういう思い込みの人に配慮していたら記事など書いていられません。
 
たとえば、イチロー選手を批判する記事を書くと「日本の誇りを傷つけた」といって騒ぐ人がたくさん出てくるとなれば、イチロー選手を批判する記事が書きにくくなります(そういえばイチロー選手を批判する記事はまったく見かけません)
 
STAP細胞捏造騒ぎのときも、小保方晴子さんが若くて権威のない人だからまだ批判できましたが、場合によっては、捏造の可能性を指摘すると「日本の誇りを傷つけるのか」と批判されていたかもしれません。というのは、いわゆる和田心臓移植事件のときにそういうことがあったからです。
世界初の心臓移植手術が行われたのは1967年、南アフリカにおいてでしたが、その1年後に札幌医科大学の和田寿郎教授が心臓移植手術を成功させ、これは日本医学界の偉業であるとして世間は沸き立ちました。そのため、この手術に対する疑義を少しでも表明しようものならものすごいバッシングを受け、事実上不可能な状況でした。患者が死亡してからさまざまな疑惑が一気に吹き出したのです。
 
和田心臓移植事件のときは一時的現象でしたが、最近はやたら「日本の誇り」ということが持ち出されます。
「日本の誇り」を持ち出せば自分の言い分が通せると思っているのでしょう。昔、やたら「お国のため」ということが言われたのと同じです。
 
 
ともかく、今は冷静な議論ができないような状況です。
「命令違反」ということはもともと朝日新聞が言い出したことですが、東電社員は自衛隊員ではないので、命の危険があるような状況では「命令違反」をしてもとがめることはできません。となると、今後また原発事故が起きたとき、電力会社社員の「命令違反」が頻出し、事故対応ができないということもありえるわけで、それにどう対処するかを考えておかなければなりません。朝日新聞の記事は本来、そうしたことを考えさせるきっかけになるものですが、「日本の誇り」どうのこうのとばかり言っていてはなにも考えられません。