朝日新聞を巡る騒動を見ていると、改めて「右翼パワー」の強さを感じます。どう考えても、日本にとって、朝日新聞のことよりもこちらのほうが重大問題です。
 
「右翼パワー」というのは、要するにナショナリズムのことです。戦後の日本は、ナショナリズムは戦争に結びつくとして、ずっと抑圧してきましたが、ここにきてマグマのように噴き出した格好です。
 
なぜそんなことになったかというと、ナショナリズムというものを理論的に解明していないからです。これは政治学の責任でもあります。
 
私のナショナリズムのとらえ方は単純です。ナショナリズムは「国家規模の利己主義」であるというものです。
利己主義と利己主義は当然ぶつかり合います。今の国際政治の世界はそのようなものです。
 
ただ、ナショナリズムがすべてだめかというと、そんなことはありません。たとえば、植民地支配から独立を目指すときのナショナリズム、大国の迫害を受ける小国のナショナリズム、先進国に追いつくときの途上国のナショナリズムなどは“よいナショナリズム”だといえます。
 
個人においては、自分のことしか考えなかった人がナショナリズムに目覚めるというのは進歩です。ただ、いつまでもナショナリズムにとどまっている人は進歩がないということになります。
 
ナショナリズムが「国家規模の利己主義」であるとわかれば、これからはナショナリズムの克服を目指さなければならないのは当然です。国連がそもそもそのためのものですし、EUもそうでしょう。地球環境問題などではナショナリズムは邪魔者以外の何者でもありません。
 
ところが、日本国内では、どうやらナショナリズムがよいこととされているようです。これは朝日新聞のような進歩派がきっちりとナショナリズム批判をしてこなかったためでもあります。
 
もっとも、アメリカのようなスーパーパワーは平気でナショナリズムを押し出してきますし(もっとも、「正義」とか「人道」という名目ですが)、中国も国内に反ナショナリズム勢力がないので、日本と同じようなレベルです。
 
個人においては利己主義を抑えなければならないのは常識ですが、ナショナリズムは「愛国」とか「正義」とか「売国批判」とか「弱腰批判」という形で逆にドライブがかかります。もともと利己主義というのは動物的本能ですから、そこにドライブがかかると暴走する危険性が大です。
 
ヘイトスピーチも、日本の場合ほとんどナショナリズムの産物です。韓国や在日を批判することは「愛国」や「正義」だと思ってやっているからです。
 
ナショナリズムは暴走しないように理性で抑えなければならないというのは、人類が悲惨な戦争の歴史から獲得した知恵ですが、なぜそうなのかという理論が明確でありませんでした。しかし、ナショナリズムは「国家規模の利己主義」であると規定すれば明確になるはずです。
 
日本の右翼は、ナショナリズムが「国家規模の利己主義」であるということを理解するでしょうか。
 
ところで、「国家規模の利己主義」という言い方もまだるっこしいものがあります。
そこで、「利国主義」という言い方のほうがいいのではないかと考えました。
「利国主義」なら「利己主義」と同じものだということがよくわかります。
また、「愛国心」は「利国心」と言い換えたほうがいいでしょう。
「利国心」なら「利己心」と同じであることがよくわかります。
 
自民党は道徳教育で「利国主義」や「利国心」の克服を教えるべきです。