「日本人をおとしため」とか「日本の誇りが傷ついた」とかいう声を聞いていると、「日本の誇り」というのは、朝日新聞の誤報ひとつで傷ついてしまうようなもろいものかと思ってしまいます。
 
私は「日本の誇り」ということはとくに意識せずに生きているので、「日本の誇り」とか「日本人の誇り」とかにこだわる人の心理はよくわからなかったのですが、作家でNHK経営委員の百田尚樹氏の言葉を読んで少しわかった気になりました。
 
 
テリー伊藤対談「百田尚樹」(2)“特攻隊”をテーマにした理由
 
テリー 映画は、合コンをするような現代の若者の姿と、昔の戦争シーンを交互にずっと見せていくわけですが、百田さんは今の若者をどう思いますか。
 
百田 表面的にはすごく変わった感じがします。かつての日本人は、自分の欲望をそんなに出さなかったですよね。ここはグッと我慢とか、個を抑えて周りのことを考える気持ちが強かった。しかし今は自由主義社会で個人主義と言われていますから。でも、僕は本質的には一緒だと思うんですよ。というのは、僕は95年の阪神・淡路大震災を経験しました。その時に日本人はすごいなと思いました。
 
テリー というのは?
 
百田 私の家の近くで、周りの家はみんな焼けてしまって、たまたま建物がガッチリ作ってあったコンビニが残ったんです。みんなお金も何もないんですが、そのコンビニの店長は、来た人に品物を持っていっていい、余裕ができたらお金を持ってきてくださいと。それで品物は全部なくなったんですが、あとでみんなお金を持ってきてくれて、結局は商品代の何倍にもなったというんです。すごい話ですよね。
 
テリー ええ。
 
百田 それから東日本大震災の時。知り合いの方から聞いたんですが、アメリカ軍のパイロットが救援物資を届けるため小学校の校庭に降りる時にすごく怖かったと。というのは、過去にさまざまなところで救援物資を届ける仕事をしてきて、ヘリコプターで降りた瞬間に群衆が殺到する。これが怖い。それでおそるおそる降りたら、代表が1人やって来て「ありがとうございます。今から品物を受け取ります」と言って、みんなで整然と受け取っていく。そして品物を全部降ろさないのに「ここの人数だとこれで足りますから、あとの物資は別のところに持っていってください」と。非常に驚いたと言うんですね。
 
テリー なぜ日本人は違うと思われますか。
 
百田 本質的に優しさを持っている民族だと僕は思っています。若者は好き勝手にやっているようだけど、いざとなったらきちんとした行動ができる国民性だと思います。
 
震災についてのふたつのエピソードが語られていますが、私が気になったのは、ふたつ目のエピソードで「知り合いの方から聞いた」というところです。その知り合いは米軍のパイロットから直接聞いたのでしょうか。米軍パイロットと話のできる立場の日本人はなかなかいません。
もしかして「トモダチ作戦」のホームページあたりにパイロットの体験談が載っているのかもしれませんが。
 
なぜそのことが気になったかというと、1991年の湾岸戦争が始まる前、日本も派兵するべきか否かという議論が行われていたとき、竹村健一氏がテレビで「ペルシャ湾にいる米軍空母の甲板の上で、アメリカ兵が日本のタンカーばかりが通るのを見て、『俺たちは日本のためにここにいるのか』と言っているというんです」と語っていたのを思い出したからです。
なぜ米軍空母の甲板の上で行われているアメリカ兵の会話を竹村氏が知っているのかということが気になりました。アメリカの新聞などに書かれていたのかもしれませんが、だったらそう言うべきです。
のちにアメリカの上院だか下院だかの選挙で、候補者が日本のタダ乗りを批判するために、まったく同じことを選挙民向けの演説として言っていることを知りました。どうやら竹村氏は、アメリカの反日政治家の言っていることをそのまま日本のテレビで言ったようなのです。としたら、竹村氏は反日評論家ということになります。
 
その記憶があったので、百田氏の言っていることのソースが気になったのです。アメリカ兵が言っているというところは具体的なのに、そのソースがあいまいというのは竹村氏と同じパターンです。
 
ソースはともかく、内容にも問題があります。
この米軍パイロットの話によると、日本人はとても礼儀正しく、ほかの地域の人間とは違うということです。しかし、ほかの地域に救援物資を届けたとき、物資の量は十分にあったのでしょうか。量が足りなくて、それが生きるためにどうしても必要な水とか食料とかであれば、群衆が殺到するのは当然です。日本でもオイルショックのときはトイレットペーパーに人が殺到しました。アフリカで何十万人も難民が発生した状況と、あと数日もすれば交通が回復して物資が届くであろう日本の状況と比較するのが間違っています。
 
確かに震災のときの日本人の冷静で礼儀正しい行動は国際的にも高く評価されました。しかし、「災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのか」(レベッカ・ソルニット著)という本によると、災害時に人々が冷静に秩序立って行動し、互いに助け合うのは普遍的に見られる現象だということです。
日本の場合、まだ社会格差もそれほどではなく、移民もほとんどいませんし、地震や台風などの災害に慣れているということもあります。
 
しかし、百田氏においては、「日本人はすごい」「本質的に優しさを持っている民族」「いざとなったらきちんとした行動ができる国民性」というように、“人間の出来が違う”と見ているのです。
これは人種差別そのものです。
ヘリコプターの救援物資に殺到する人たちを差別しているのです。
アーリア人の優越性を主張したナチスと変わりません。
 
百田氏の言葉に「憎悪」は感じられないので、ヘイトスピーチという感じはしないでしょうが、ヘイトスピーチとなんら変わりません。ただ、目の前に傷つく人がいないだけです。
 
「日本人の誇り」ということを言う人は、必然的に他民族をおとしめます。
 
それにしても、百田氏はなぜ“日本民族の優越性”を信じていられるのでしょうか。
それは、自分に都合のよい、ソースのあやしい情報を寄せ集めているからです。
 
つまり「日本人の誇り」というものは、大本営発表のような「虚報」の上に成り立っているのです。
こうした「虚報」を信じている人は、真実の「報道」につねに脅かされます。
それだけに「誤報」を見つけたときは大はしゃぎしてしまうのでしょう。
そう考えると、最近の朝日新聞の「誤報」を巡る騒ぎが理解できます。