作家の田中慎弥氏は芥川賞受賞会見のとき、「断ったりして気の弱い委員の方が倒れたりしたら都政が混乱するので、都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」と石原慎太郎都知事にケンカを売るような発言をし、ずいぶん骨のある人だなと感心した覚えがありますが、どうやら政治的にも石原氏と対極に位置する人のようです。「新潮」10月号に「宰相A」なる小説を発表しています。私は読んでいないのですが、なかなかおもしろい発想の小説だと思ったので、その書評を引用する形で紹介したいと思います。
 
(文芸時評)西洋への卑屈 
  ■片山杜秀(評論家)
田中慎弥の「宰相A」はパラレル・ワールド物。太平洋戦争に負ける。そこまでは現実と同じ。が、あとが違う。日本人は「背が高く太陽の光を濾過(ろか)して作られた」金髪の国民になる。黄色人種が変身したのではない。日本は米国からの白人の入植地に。白人が日本人を名乗る。黄色人種は旧日本人として居住区に囲われる。まるでガザ地区。
 ただし首相だけは旧日本人。満州国の皇帝や首相が満州人だったように。彼はAと呼ばれる。白人の犬。傀儡(かいらい)だ。Aは演説する。「最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う」
 どこぞの国の首相の「積極的平和主義」みたい。そして、この小説の日本は本当に戦争している。兵士にされるのは旧日本人。精神的にも白人の奴隷だ。身長や体格。旧日本人の白人コンプレックスの描写が張り巡らされる。
 クライマックスにもAの演説が響く。「曖昧(あいまい)や陰影、朦朧(もうろう)、余白、枯淡、物の哀れ、それに伴う未成熟な情緒、これら旧日本の病理を完全に克服」すべし。
 その演説のもと、黄色人種が拷問される。それは団鬼六もびっくりのSMショー。田中の筆は高ぶる。「女の体がそれこそ電流を通されているとしか思えない慌しさで波打つ」とか。このSM調教場面が旧日本人の白人への拝跪(はいき)の総仕上げとなる。
 『家畜人ヤプー』を思い出した。日本人が白人のペットとなる沼正三の小説。「宰相A」は黄色人種の劣等感と日本国の対米従属姿勢を重ね、「肌色の憂鬱」を極大化する。
 
SFによくある歴史改変小説です。
宰相「A」は「安倍」と理解してもいいでしょう。
田中慎弥氏の政治的憤りが書かせた小説かと思いました。
 
 
アメリカの作家フィリップ・ロスの「プロット・アゲンスト・アメリカ」という小説が翻訳されました。これも歴史改変小説です。私は未読ですが、高橋源一郎氏の書評の一部を引用します。
 
高橋源一郎が選ぶ「今週のイチ推し」
「プロット・アゲンスト・アメリカ」は直訳すると「アメリカに対する陰謀」ということになるらしい。舞台は1940年のアメリカ。ヨーロッパでは、ナチス・ドイツの進撃が続き、民主主義防衛のためにアメリカの参戦が望まれていた頃のことだ。2期にわたって大統領を勤めたフランクリン・ローズヴェルトが前人未到の3選を決め、ついに日本との戦争に突入したことは、歴史が教える通り。だが、この小説では、そうならない。なんと、ローズヴェルトに対抗し、共和党の候補に選ばれた、あの(飛行機で大西洋を横断した)リンドバーグが、選挙に勝って大統領に選ばれるのである。さよう、これは「歴史改変SF」の一種ということになるだろう……と書くと面白そうなのだが、読み進めると、ジワジワしみ通るように怖さが浮かび上がってくる。というのも、リンドバーグは筋金いりの「反ユダヤ主義者」で、そのリンドバーグが大統領になることによって、アメリカ国内のユダヤ人たちが、いつの間にか「アメリカへの陰謀」の加担者として扱われるようになってゆくからだ。そして、気がつけば、「民主主義の本家」であったはずのアメリカもナチスドイツと同じような国になっていたのである。
実は、この小説、アメリカでは10年前に発表されていて、あらすじも聞いていたのだが、正直にいって「アメリカがナチスドイツみたいな国になる、っていくらなんでも無理だよなあ」と思っていた。けれど、この小説を読んでいくうちに、「いや、こういうことって、あるかも。いや、全然あるよ」と思うようになっていたのだ。
人々の心は移ろいやすい。そこに魅力的なスローガンを持ったカリスマ政治家が現れたら、ふっと、そちらに、みんなの気持ちは流れてゆくだろう。そういう時、必ず、みんなの恨みの的になるような人々がいるのだ。怖い、怖すぎる……と思いながら、ぼくは読み終えた。でも、ほんとうに心の底から恐怖を感じたのは、その後だった。なんだか、この小説、いまの日本に状況が、ものすごくよく似ているからだ。
(「アサヒ芸能」10月2日号)
 
 
こうした歴史改変小説の古典は、フィリップ・K・ディックの「高い城の男」でしょう。
私が読んだのはずいぶん昔ですし、うまく要約することがむずかしいストーリーなので、ウィキペディアの「高い城の男」の項から引用することにします。
 
概要
第二次世界大戦が枢軸国の勝利に終わり、日本とドイツによって分割占領されているアメリカが舞台の人間群像劇。
 
歴史改変SFでは珍しくない設定だが、作品内世界で「もしも連合国が枢軸国に勝利していたら」という歴史改変小説が流行しているという点と、東洋の占術(易経)が同じく流行していて、複数の人物が易経を指針として行動するという部分が独創的である。後半になるにつれてフィリップ・K・ディック特有の形而上学・哲学的な思索やメタフィクションが展開される一方、ディック作品にありがちなプロットの破綻が生じていない。そうした点からアメリカやイギリスなど英語圏ではディック作品の代表作として挙げられる事も多い。
 
作中の枢軸国の描写に関してはそれぞれに違いがある。日本人は勝者として傲慢な部分もあるものの、人種政策でナチスと対立するなど人間的で、ある程度は話が通じる集団として描かれている。逆にドイツ人は反ナチ派が軒並み粛清されており、ナチズムの狂気に満ちた集団として描かれている。イタリア人は表面的には日独と並んで戦勝国として扱われているが、実態としてはドイツの衛星国であり、劣等感からアメリカ人に同情する描写が描かれている。また作品中に登場する歴史改変小説は現実の第二次世界大戦とも異なった形で勝利する内容になっている。
 
あらすじ
枢軸国の勝利に終わった第二次世界大戦終結から15年後、[アメリカ合衆国は大日本帝国とナチス・ドイツという二つの超大国によって分割統治されていた。敗戦国となったアメリカ人の間では謎の人物「高い城の男」によって執筆された『イナゴ身重く横たわる』という、「連合国が第二次世界大戦に勝利していたら」という仮想小説が流行していた。
 
そんな中、日本統治下のサンフランシスコにあるアメリカ美術工芸品商会に、太平洋岸連邦の通商代表部に所属する田上という男が電話を掛けてくる所から物語は始まる。
 
これは政治的な主張を持った小説というより、現実と虚構が錯綜するディック的な世界を描いた小説というべきかもしれませんが、私は若いころにこれを読んだことで、今の時代の価値観をいつも疑うようになりました。枢軸側が勝利してユダヤ人差別が当たり前となった社会も、それはそれでちゃんと成立しています。今の社会の価値観もそれと同じかもしれません。
 
こうした発想はたいせつだと思います。
たとえば、今アメリカといくつかの国が「イスラム国」を空爆しています。テロリストは一方的にやっつけてもかまわないという価値観になっているのです。
しかし、イスラム国家連合が強大になり、アメリカがそれに従属している状態になると、キリスト教徒のテロリストが「キリスト国」をつくり、イスラム国家連合がそれを空爆するということもありうるわけです。
 
日本の右翼の深層心理にあるのは、アメリカに負けないでいまだに大日本帝国であり続ける国の姿です。これもまた一種の歴史改変小説というべきでしょう。