北海道南幌町で10月2日に母と祖母が殺された事件で、高校2年生の娘が逮捕され、「しつけがきびしく、今の状況から逃れたかった」と供述しているということです。
女子高生による殺人事件ということでは、7月に佐世保市で起きた高校1年生の同級生殺人事件が思い出されます。
このふたつの事件の違いと類似性について書こうかと思っていると、佐世保市の事件の加害少女の父親が首を吊ったというニュースが飛び込んできました。
 
佐世保の高1殺害、容疑の少女の父親が自殺か
長崎県佐世保市で7月に起きた高1女子生徒殺害事件で、殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)(鑑定留置中)の父親が5日、同市の自宅で首をつった状態で見つかった。
 
 父親は死亡しており、県警は自殺の可能性があるとみて調べている。
 
 県警によると、発見したのは父親の知人の女性で、午後4時過ぎに119番した。遺書は見つかっていないという。
 
 長崎県教委などによると、少女は今年3月2日、父親を金属バットで殴り、頭などにけがを負わせた。その6日後には教職員に「人を殺してみたかったので、父親でなくてもよかった」などと打ち明けていた。
 
 少女は高校入学後、マンションで一人暮らしを始め、父親とは別居。高校入学後、事件まで3日しか登校していなかった。殺害事件は7月26日、このマンションの部屋で発生した。
 
 父親は事件後の8月3日、代理人弁護士を通じ、「娘が起こした事件で、何の落ち度もないお嬢様が被害者となられたことについては、おわびの言葉さえ見つからない」などと記した謝罪文を公表していた。
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この事件は、なんの恨みもない、むしろ親しかった同級生を殺したということで、不可解な事件とされていました。しかし、父親が母親の死から数カ月後に若い女性と再婚していたことや、娘を祖母と養子縁組させていたことなどが明らかになり、父親への非難の声が高まりました。
この父親は世間体をよくするために生きてきたような人でしたから、こうした状況は人一倍こたえたでしょう。
加害少女は父親を金属バットで父親を殴って傷を負わせたことがあります。もともと父親に対する殺意があったとすれば、同級生を殺すことによって間接的に目的を達したことになるわけです。
 
もっとも、父親を殺すために同級生を殺すというのは非論理的ですから、この事件の動機が不可解とされ、“心の闇”論が語られたのもむりはありません。
 
一方、南幌町の事件は、かなりわかりやすいといえます。
 
北海道祖母と母殺害:高2女子「しつけ厳しく逃れたく…」
北海道南幌町で1日未明、高校2年の女子生徒(17)が祖母(71)と母(47)2人を殺害したとされる事件で、殺人容疑で逮捕された女子生徒が「しつけが厳しく、今の状況から逃れたかった」と供述していることが2日、道警栗山署への取材で分かった。2人には首や頭など複数カ所に刺し傷や切り傷があり、同署はしつけに対する強い恨みが殺害の動機とみて捜査している。
    
 同署によると、司法解剖の結果、2人の死因はいずれも出血性ショックだった。祖母は2階、母は1階の寝室で殺害され、祖母には頭や背中など十数カ所に傷があり、争った形跡があった。母は首に深い切り傷があった。女子生徒は祖母、母、姉(23)の4人暮らしで、寝室は母と同じだった。
 
 近所の住民によると、女子生徒は夕方になると走って帰宅する姿が目撃されており、「門限が厳しく、時間を守らないと怒られる」と漏らしていたという。
 
 岩見沢児童相談所によると、女子生徒が幼稚園児だった2004年2月、家庭内で虐待を受けているとの通報があった。児童福祉司が身体的虐待の痕があることを確認し、児童福祉法に基づく指導措置を決定。同年11月まで自宅の訪問や面談を重ね、「虐待が再発する心配はない」と判断し措置を解除した。その後、虐待の通報はなかったという。
 
 女子生徒が通う高校は2日朝、全校集会で事件の概要を説明した。スクールカウンセラーを配置し生徒の心のケアに努めるという。【三股智子、野原寛史、日下部元美】
 
女子生徒が幼稚園時代に虐待されていたことは、児童相談所によって確認されています。
親から虐待されたので親を殺した――というのはわかりやすい理屈です。
 
しかし、実際のところは、このようにわかりやすい親殺しの例はあまりありません。
有名なのは、「金属バット殺人事件」として知られる、1980年に川崎市で起きた20歳の予備校生が金属バットで両親を殺した事件です。
ちなみに「金属バット殺人事件」で検索すると、「岡山金属バット母親殺害事件」や「山口母親殺害事件」というのも引っかかります。親を殺すときは金属バットを使いたくなるもののようです(佐世保の女子高生も父親を金属バットで殴っています)
 
しかし、親から虐待された子どもが親に復讐するというのは特殊なケースです。ほとんどの場合は、無関係な人に凶行が向けられます。酒鬼薔薇事件がその典型です。池田小事件の宅間守、秋葉原通り魔事件の加藤智大もそうです。
 
なぜそんなことになるかというと、人間は親から虐待されるということを認識できないからです。
虐待されている子どもに、医者や教師が「そのアザはどうしたの?」と聞くと、子どもは転んだとかぶつけたとか言って、必ず親をかばいます。そのように生まれついているとしかいいようがありません。親から捨てられたら生きていけない哺乳類はみなそのように生まれついているのでしょう。
 
人類の歴史において、親が子どもを虐待することがあるということを初めて発見したのはフロイトです(フロイトはその後、自分の発見を捨ててエディプス・コンプレックス理論をつくるのですが)
日本で幼児虐待がマスコミに取り上げられ、社会問題化してきたのは1990年代になってからです。
しかし、それでも異常な犯罪の裏には幼児虐待があるということは、犯罪者本人も含めてまだまだ認識されていません。
 
ですから、南幌町の事件では、虐待する親を“正しく”標的にできたのはなぜかということがむしろ気になります。
おそらく児童相談所が介入したことによって、子どもが虐待ということを認識しやすくなったのでしょう(あと、父親は亡くなったのか離婚したのかよくわかりませんが、少女の心の中に父親の存在があって、それが母親や祖母の虐待を客観的に認識させたのかもしれません)
 
虐待の通報は年々増え続けていますし、最近は「毒親」(子どもを不幸にする親)という言葉も市民権を得てきました。
ですから、南幌町の事件のように、虐待した親が殺される事件がふえてくるかもしれません。
また、佐世保市の事件のように、凶行が直接親に向かわなくても、親が社会的に制裁されるということがふえてくるかもしれません(酒鬼薔薇事件のときは、犯人の両親は共著で「『少年A』この子を生んで」という本を書いて自己正当化をはかり、世間もそれを許していました)
 
南幌町の事件は、高2の娘が虐待を受けていたということが同級生などの証言で次々と明らかになっているので、これからマスコミがどう報道するかが注目されます。
また、裁判所の判断も注目です。父親から性的虐待を受けていた娘が父親を殺して執行猶予判決を受けた例もあります(尊属殺人規定が違憲とされるきっかけとなった事件)。