動物はみな生存競争をしており、人間も例外ではありません。ただ、人間の場合は、牙や爪や角よりも言葉(道徳)を主な武器にして生存競争をしているという違いがあります。
これを私は「人間は道徳という棍棒を持ったサルである」と表現しているのですが、世の人々はなかなか理解できないようで、道徳教育によってよい人間をつくることができると誤解したりしています。
 
そうしたところ、「人間って何ですか?」(夢枕獏著)という本を読んでいたら、夢枕獏氏とビートたけし氏の対談の中に、道徳の本質を示すようなやりとりがあったので、その部分を引用してみます(この本は夢枕獏氏が脳科学、生物学など各分野の一流学者と対談したもの。ビートたけし氏だけ学者ではありません)
 
夢枕 もうだいぶ前ですが、たけしさんがある事件で記者会見をしているとき、女性記者が「道徳的に考えて、ご自身のしたことについてはどう思ってるんですか?」というような質問をしましたよね。そのとき、たけしさんは声を大きくして「おまえはクソしねぇのか。おまえは、結婚してる男を好きになったことはねぇのか。俺もこういう商売をやってるし、そちらも話を聞くのが商売だろうから、こうして会見を開いているんだ。そういう場所で、おまえ、道徳なんて言葉を俺に対して使うのか」というようなことを言ってましたよね。あれは瞬間的に出た言葉だったんですか?
たけし テレビというものはすべてエンターテインメントで、まして芸能バラエティーの記者会見なのに、そこに倫理とか道徳なんてことを持ち込まれたんで、困っちゃって。じゃあ落語はどうするんだ、バカヤローと。我々はそれで生きてるわけですから。
みんなを笑わせて終わらせよう、というつもりで来ていたのに「何だ、頭の悪いその質問は?」と思ったら、突発的に怒っちゃった()
夢枕 女性記者は泣きだしちゃいましたよね。でも、あのときはもう心の中で軍艦マーチのような音楽が鳴り響いて「たけしー、もっと言ったれー!」と思っていました()
 
「ある事件」がなんのことかわかりませんが、芸能人の不祥事を追及するのはテレビのワイドショーなどのお決まりのパターンで、女性記者もそのレールに乗っかって、“道徳という棍棒”で殴ろうとしたところ、たけしさんに逆襲されてしまったというシーンです。
 
おそらく「ある事件」はそれほどたいした事件ではなかったか、もうかなり昔の事件だったのでしょう。それに加えて、女性記者が「道徳」という抽象的な言葉を使ったのも下手でした。「被害者の心情」とか「子どもたちへの悪影響」というように、少しでも具体的に言うのがうまいやり方です。
そして、今ではたけしさんがきわめて権威ある存在になり、一方は一介の女性記者であるという力関係が決定的でした。
たけしさんがお笑いの世界ではいちばん権威のある「落語」という言葉を持ち出したのもうまいやり方です。
 
これは世間的な「道徳」に対して、「芸人的価値観」(これも一種の道徳です)が打ち勝った例ですが、これはあくまで特殊な例で、普通は世間的な「道徳」で世の中は塗りつぶされています。
その傾向はインターネットの普及でさらに強まっています。
今ではバイト店員がちょっと悪ふざけをしただけで、「道徳」という棍棒でたたきのめされてしまいます。
 
つまり人間は、能力において競争するだけでなく、ライバルを無責任、自分勝手、怠慢、不注意などと道徳的に批判することで心理的ダメージを与え、また社会的評価を下げることで自分が優位に立とうとしているわけです。
 
人間も動物ですから、生存競争をするのは当然ですが、問題は、自分が道徳を武器にして生存競争をしているという認識のないことです。
逆に道徳は人をよくしたり社会をよくしたりするものだと思っています(ときにはそういう場合もありますが)
 
人間は生存競争するだけでなく、生存のために互いに協力することもあるわけですが、道徳について勘違いしているために、協力するべきときに生存競争をしてしまうという間違いを犯します。これが人類にとって最大の問題ではないかと私は考えています。
 
たとえば、家庭は互いに協力する場ですが、そこに道徳を持ち込んで、夫婦が互いに相手を自分勝手だとかだらしないとかいって道徳的な批判をすると、夫婦関係はうまくいかなくなります。
 
また、資本主義は互いに競争することを前提としたシステムですが、資源と環境の制約のために、すでに一定の豊かさを実現した先進国においてはそろそろ競争をやめなくてはなりません。
しかし、どうすれば競争をやめられるのか誰もわかりません。
競争モードから協力モードへの切り替えスイッチが「隠れているインジケーター」となっているのです。
 
国家間の競争も同じです。軍拡競争は誰が考えてもバカバカしいことですが、やめるスイッチのありかがわからないのでやめられません。
 
政治家を批判したりするときには道徳は有力な武器になるので、道徳も悪いことばかりではありません。
しかし、道徳が棍棒だということを知らないと、逆に棍棒に振り回されることになってしまいます。
道徳は正しく使いたいものです。