フランスの風刺週刊新聞の編集部がテロリストに襲われ、12人が殺害されるという事件があり、犯人もまた殺害されました。
犯人はアルカイダと関わりがあったという報道もありますが、それまで普通にフランスで生活していたわけですから、基本的には個人の信念に基づく犯行と見るべきでしょう。
 
銃が1丁あれば誰でもこういうことが可能です。
となると、テロ対策も変わらなければなりません。
ロイターのコラムがそのことを指摘しています。
 
今回の事件を含む欧州で最近発生している一連の事件は、新たなタイプのリスクを示唆している。つまり、こうした暴力行為が必ずしも組織的に行われるのではなく、社会から孤立した個人によって引き起こされるということだ。そこでは、伝統的な司法の理念では問題は簡単には解決しない。
(コラム:仏紙銃撃事件の対応めぐるジレンマ)
 
つまりテロ対策は、「組織から個人へ」と転換しなければならないはずです。
 
組織を相手にする場合は、組織の壊滅という目標が立てられます。たとえばオバマ大統領は、昨年9月のNATO首脳会議において、イスラム国との戦いの目標は「壊滅させることだ」と明言しています。
しかし、組織の壊滅はできても、構成員を皆殺しにできるわけはなく、個々の構成員がテロを起こすことに対する対策はないわけです(これは日本の警察の暴力団対策も同じですが)
 
個人テロの対策をやろうとすれば、個人の動機に踏み込み、また個人の置かれている状況を知らねばなりませんが、今そういう目線はほとんどないと思われます。
 
というのは、すべて欧米目線でものを見ているからです。
日本のマスコミも欧米目線です。
 
そうしたマスコミの偏向を現地目線で指摘しているのが次の記事です。
 
ボコ・ハラム:日本メディアが報じない「ナイジェリア政府軍」の蛮行
 
ですから、中立的な見方をしようとすると、あえてイスラム過激派の立場に立って考えないといけません。
そうして考えると、現在のテロの原因として、イスラム国に対する一方的な空爆がひじょうに大きいのではないかという気がします。
 
現在、イスラム国空爆に参加しているのは、アメリカを含むNATOの10カ国、それに中東の5カ国であるようですが、これはまったく一方的な攻撃です。シリアでヨルダン機が撃墜され、パイロットが拘束されたという報道がありましたが、それ以外に空爆する側に被害は出ていません。
 
戦争というのは、勝利した側もある程度損害が出るものですが、イスラム国に対する空爆はそうした戦争の概念とはかけ離れています。
戦争ではなく“一方的殺戮”というべきでしょう。
 
テレビのニュースでは精密誘導弾で建物などを爆破するシーンがよく流されますが、当然その建物の中には人がいるわけです。その残酷さは映像からはわかりません。
また、その建物に非戦闘員がいないという保証もありません。
空爆によって何人が殺害されたかという報道もありません。
つまり、空爆の残虐さというのはまったく目に見えないわけです。
 
一方、風刺新聞の編集部が襲撃されて12人殺害されたことは、残虐な犯行だとして大々的に報道されます。
まったく非対称になっているわけです。
 
イスラム国に対する空爆は、空爆する側の損害は想定されていませんが、そんなうまい話のあるわけがありません。
ことわざにも「タダより高いものはない」といいます。
 
人間、一方的にやられたままでなにもしないということはありません。なんとかしてやり返そうと思いますし、軍事施設を攻撃することが不可能なら、一般人を攻撃するテロという形になるのは当然です。
 
今回のテロは、イスラム国に対する空爆のツケという面が大きいのではないかと思います。
テロ対策のやり方を変えないと、今後同様のことが繰り返されるのではないでしょうか。