東京マラソンの警備の人数は、過去最高の1万人以上になったということです。もちろんテロの脅威が高まったからです。
東京オリンピック招致のとき「世界一安全な都市」というのを売りにしていたのに台無しです。
警備にかかったよけいな費用を安倍首相に請求したいものです。すべては安倍首相が勝手に“宣戦布告”したからです。
 
日本はすでに「テロとの戦争」に巻き込まれています。
いや、巻き込まれているのではなく、安倍首相が自分から突っ込んでいったのです。
 
そもそも「テロとの戦争」とはなんでしょうか。これには浅田彰氏が明快な説明をしておられたので、引用します。
 
 
9.11直後に言ったごく当たり前のことを念のために繰り返しておけば、戦争は国家と国家が行なうものであるのに対し、テロは(国家によるものを除き)あくまで犯罪であって警察が検挙し裁判にかけるべきものである。ところがアメリカが「対ドラッグ戦争」や「対テロ戦争」という言葉を一般化した結果、戦争だから裁判なしに敵を殺しても拘束してもいい、しかも、敵は国家ではないから、敵国に宣戦布告することなくその領土で勝手に敵を攻撃(たとえば空爆)してもいい、というような驚くべき無法状態に陥った。民間の論者が議論をわかりやすくするため「ドラッグ・カルテルやテロ組織が国家を超える力をもつケースが増え、国家がそのような非国家と行う非対称戦争が重要になってきた」などと言っても許されるだろうが、法治国家の政治家や軍人が「戦争」という言葉をそうやってメタフォリカルに濫用し、超法規的な実力行使に走るのは、見過ごすことのできない大問題なのだ。
(パリのテロとウエルベックの『服従』より)
 
 
つまり「テロとの戦争」というのは、「犯罪対策」でありながら「戦争」でもあるというヌエみたいなもので、都合のいいところだけつまみ食いできるわけです。
 
安倍首相がエジプトでのスピーチで「ISILと闘う周辺各国」に人道支援を行うと言い、イスラエルで両国国旗の前でネタニヤフ首相と笑顔で握手したことが実質的な宣戦布告で、そのときから日本は「テロとの戦争」に参戦しました。
 
それまで日本は、あまりイスラエル寄りにならないように、周辺のアラブ諸国に配慮した外交をしてきましたが、安倍首相は明らかに路線変更したのです。
 
「テロとの戦争」への参戦は、日本にとってなんの利益もありませんし、世界への貢献にもなりません。イスラム国をやっつけたところで、テロを拡散させるだけですし、中東情勢もますます不安定になるでしょう。
欧米の人々にはイスラムへの憎悪の感情があるので、利害を超えてやっているのでしょうが、日本人にそんな感情はありません。
 
では、安倍首相がなぜ参戦したかというと、アメリカから要請されたということもありそうですが、「選択」2月号の『自衛隊「対イスラム国」参戦の現実味』という記事にはこう書いてあります。
 
 
総選挙に社会の関心が集まっていた昨年暮れ、首相は側近議員にこう告げた。「これから米国がイスラム国との戦いで支援を求めてくることもあるだろう。我々が助ければ、米軍は尖閣諸島有事の時、我々を支援してくれるはずだ」。首相官邸、外務省、防衛省・自衛隊のなかで、「自衛隊の対イスラム国戦闘への参加」の可能性を検討する極秘の研究が始まった。
 
  首相が語ったように、これは全く可能性がない話ではない。ワシントンでは最近、「アベは自衛隊を普通の軍隊にしたいそうじゃないか。いっそ、自衛隊をイスラム国との戦闘に参加させたらどうか」という、冗談とも本音ともつかないような話が一部関係者の間で流れているからだ。
 
 
アメリカに要請される前に安倍首相のほうが前のめりになっていたということです。
 
では、なぜ安倍首相は無意味な「テロとの戦争」に参戦したかったのかというと、安倍首相はつねに戦争か戦争に準じる状況にいないと精神のバランスが保てないからではないかと私は推測しています。
 
安倍首相は就任当初、靖国参拝や慰安婦問題などで中国、韓国と軋轢を起こし、そこで「戦う自分」を打ち出していましたが、おそらくアメリカから止められたのでしょう。そこで、今度は野党との戦いに切り替えて、解散総選挙をしました。
選挙が終わると、すぐに「テロとの戦争」への参戦を画策したというわけです。

日本人の人質が殺されたことで安保法制の議論も好戦的な方向に持っていけます。
 
軍事ジャーナリストの神浦元彰氏は自身のホームページで現在の安保法制の議論についてこのように書いておられます。
 
 
安倍首相が安全保障で暴走を続け、家の中の「ちゃぶ台」どころか箪笥(たんす)や本箱や食器棚もひっくり返している。
 
 今まで築きあげた日本の安全保障は、安倍政権で否定されるか上書きされそうである。
 
 当事者の自衛隊員には何の発言もないまま、自衛隊は日米安保体制から脱してすべての友好国軍との共同作戦を行う。周辺事態の縛りをなくし地球規模で作戦が可能にする。これからは自衛隊の海外派遣に国連決議の有無を問わないなど・・・言いたい放題である。
 
 与党の公明党さえ黙らせば、軍事政策は安倍政権のやりたい放題のことができるようだ。
 
ところで安倍首相は自衛隊の現状を見たことがあるのだろうか。戦争のリアルな実態と自衛隊の現状を知った上で、今のような安全保障改革案を提議しているのか。
 
 本日(2月21)の全国紙の1面トップ(東京版)の見出しだけでも暴走している異常さを理解できそうだ。
 
シーレーンで後方支援 周辺事態法改正案・・・・・ 読売新聞
 
 安保関連法案 「周辺」の概念削除・・・・毎日新聞
 
 与党協議に政府案 自衛隊活動 大幅に拡大・・・・朝日新聞
 
 自衛隊派遣法制 全容判明 武器使用権限を拡大・・・・産経新聞
 
 今にも日本が戦争を始めるような騒ぎである。今まで、日本が求めて平和国家の理想は木っ端みじんに吹き飛んだ。
 
 
このような安倍首相の暴走をまともに批判できないマスコミもなさけないものです。
 
ところで、この記事のタイトルの「戦争狂時代」という言葉はチャップリンの「殺人狂時代」をもじったものです。安倍首相にはぴったりの言葉だと思います。
チャップリンには「独裁者」という映画もありました。