現在のテロ対策は根本的に間違っています。
たとえていえは、家にゴキブリが出たとき、大騒ぎしてひたすらゴキブリを叩きまくっているようなものです。
「ゴキブリを1匹見つけたら20匹いる」という俗説もあるように、見つけたゴキブリだけ退治してもほとんど意味はありません。家を清潔にして、ゴキブリが住めないような環境にすることがいちばんの対策です。
 
テロリストをゴキブリにたとえるのは、テロリストに対してたいへん失礼でした。そこで、別のたとえをすることにします。
 
奴隷解放以前のアメリカの南部を想像してください。
黒人奴隷が毎日過酷な労働を強いられています。白人の監督官は無慈悲で暴力的です。あるとき、1人の奴隷がたまりかねて、手近にあった棒をつかんで白人の監督官に殴りかかり、監督官を殺しました。
その奴隷が裁判にかけられたとします(実際は裁判によらずに“処理”されてしまうでしょうが)
もちろん白人の監督官を殺した行為は殺人罪に当たります。殴り殺すという手口も残忍です。被告は常日ごろから乱暴なふるまいをすることが多く、奴隷仲間からも嫌われていることも明らかになります。
 
ただ、弁護人は被告が置かれていた過酷な状況を説明し、情状酌量の余地があると主張します。
それに対して検察は、ほかの奴隷は同じ状況に置かれてもおとなしく働いている。これはあくまで被告の人間性の問題だと主張します。
 
ちなみに映画「風と共に去りぬ」には、北軍と戦うために銃の代わりにシャベルやツルハシを持ってみずから前線に向かう黒人奴隷の姿が描かれます。原作には、黒人のメイドや執事と白人の主人との人間的な交流も描かれます。
 
つまりほとんどの奴隷は白人に従順な“よい奴隷”なのだから、被告が“悪い奴隷”になったのは本人のせいだということになるでしょう。
 
確かにこれは殺人事件です。
しかし、奴隷制度をそのままにして被告を裁くのは間違っているといわざるをえません。
 
 
現在、テロリストに関する議論は、殺人を犯した黒人奴隷を裁こうとしているのに似ています。
確かにテロリストは残忍で非道な犯罪者です。
イスラム教徒のほとんどは“よいイスラム教徒”で、テロリストは“悪いイスラム教徒”です。
しかし、欧米キリスト教国が中東イスラム国に対して支配的で、パレスチナ人の人権がイスラエルによって侵されても、イスラエルとアメリカの軍事力の前になにもできない状況は、奴隷制にも似ています。
この状況をそのままにしてテロリストだけ裁こうとしているのが、今のテロ対策です。
 
グローバルかつ歴史的な視野でテロをとらえると、おのずと正しい対策が見えてくるはずです。