川崎市の中学1年生上村遼太君が殺された事件で、週刊新潮が容疑者のリーダー格の18歳の少年の実名と顔写真を掲載しました。
このことの是非についていろいろな議論がありますが、私が思うのは、要するに弱い者イジメだなということです。
犯罪容疑者は世の中で弱い立場に立たされ、マスコミはバッシングし放題ですが、少年の容疑者の場合は制約があります。マスコミはそれが不満なのでしょう。
 
ちょうど少年犯罪について池上彰氏と「謝るならいつでもおいで」の著者川名壮志氏が対談していて、その中にマスコミと少年犯罪について論じている部分がありました。
 
「少年事件は楽に数字を取れる」が招いたこと
川名:先ほど昔の方が少年事件は多かったとおっしゃいましたが、僕も調べてみたんです。
 
 警察庁の資料に「凶悪犯罪の検挙人員の推移」が載っています。統計にある1949年から2013年のうち、殺人で検挙された刑法犯少年(刑法犯の罪を犯した犯罪少年で、犯行時及び処理時の年齢がともに14歳以上20歳未満の少年をいう)の人数が最も多かったのは1951年の443人。池上さんが生まれた翌年です。そのころは1日に少年が1人以上、殺人で捕まっていた計算になります。最新データが2013年ですが、52人。なんと8分の1以下になったんですね。
 
池上:そう、激減したんですよね。
 
川名:1950年から1970年までの20年間が、殺人事件で検挙された少年が3ケタの時代です。少年犯罪が凶悪だったのは、池上さんが20歳になるまでの時代なんですよね。
 
池上:私は1980年からNHKの社会部記者として、警視庁の捜査一課を担当していました。捜査一課は殺人事件を扱うんだけど、殺人事件のニュースを書いても全国ニュースにならないんです。たいていがローカルニュースで終わる。珍しくないからですよ。
 
 ところが、だんだん殺人事件が減ってくると、逆に珍しいからニュース価値が上がる。それに加えて、民放のニュース番組やワイドショーが出てきたことが大きいです。
 
 こういう言い方は語弊があるかもしれないけれど、殺人事件の報道が実は一番ラクなんです。なぜなら、殺人事件が起こると警察が発表してくれるから。現場に行けばパトカーがいて、「絵になる」映像がとれる。リポーターが近所の人にマイクを向けて「怖いですね」と言ってもらえば一丁上がり。安易に数分間の映像ができちゃうわけです。これが捜査二課が扱う汚職事件とかだと、いくら取材しても報道できるか分からないリスクがある。
池上:今、民放ニュースを見ていると、殺人事件ばかりでしょう? 埋めなければいけないから、東京の局であっても、北海道でも福岡でも殺人事件があれば取り上げて、全国ニュースになってしまう。それを見たら「こんなに治安が悪くなっているのか」と思いますよね。
 
 少年事件は大人の事件より衝撃的だから、さらに大きな扱いになります。ある場所でAという少年事件が起こると、別のところでBという全く違う少年事件が起こったとき、またAの事件の話が蒸し返される。だから、少年事件が頻繁に起こっているような印象を受ける。それを警察は「体感治安が悪化している」という言い方をしています。
 
 少年犯罪は厳罰化の方向にあります。「体感治安の悪化」といった実態が伴わない理由で厳罰化に進むのは問題があると私は思っています。
 
自民党の稲田朋美政調会長は上村遼太君が殺された事件を受けて、「少年犯罪がひじょうに凶悪化している」と語り、少年法の見直しを示唆しましたが、これも要するに、事実を曲げてまでも弱い立場の犯罪容疑者をバッシングしているわけです。
 
今の世の中で起こっていることは、ほとんどすべてが「弱い者イジメ」で説明できます。
 
たとえば「テロに屈しない」と言いますが、実際はテロリストの力はうんと弱く、だから「テロに屈しない」と強そうに言っていられるのです。
ちなみに3月3日の米下院公聴会で、アメリカ中央軍のオースティン司令官は空爆でイスラム国の戦闘員8500人以上を殺害したと証言しています。
 
在日に対するヘイトスピーチもそうですし、生活保護バッシングもそうです。
在日も生活保護受給者も弱い立場だからバッシングされます。
 
学校でのイジメももちろんそうです。
上村遼太君が殺されたのも、少年グループ内のイジメだったのではないでしょうか。
 
経済的格差がどんどん拡大していくのも、経済的強者が経済的弱者をイジメているというふうに理解できます。
 
ところで、経済的格差についてはトマ・ピケティの「21世紀の資本」が話題になっています。私は「週刊ダイヤモンド」の「そうだったのか!ピケティ」という特集を読んだだけですが、ピケティは実証的に「資本の収益率は経済成長率を上回る」ということを明らかにしました。ただ、なぜそうなるのかと質問されて、「理由はわからないが、データを調べたらそうなっているんだ」と答えたそうです。
 
私はこれは簡単に説明できると思います。人間はほかの動物と同じく互いに生存闘争をしており、強者は弱者から収奪します。動物の場合はつねに同じことをしていますが、人間の場合は文化を蓄積していくので、その収奪のやり方がより強化されていくのです。

ですから、これは「文明の病」です。経済や文化、科学技術などは文明とともに進歩していくので見えにくくなっていますが、経済格差、権力格差も文明とともに拡大していくのです。
その解決のためにルソーは「自然に帰れ」と言いました。私は同じことを「本能に帰れ」と言っています。 

どんな社会がよいかというと、あまり本能から乖離しない社会だといえるでしょう。
行き過ぎた弱い者イジメや経済格差を是正していくことが今いちばんの政治の課題です。