安倍首相は3月20日の国会答弁で自衛隊のことを「我が軍」と言いました。安倍首相の脳内は戦争モード全開のようです。
 
自民党の改憲草案には「国防軍」という言葉があります。
「国防軍」といえば普通「ドイツ国防軍」のことです。ソ連は赤軍、中国は人民解放軍みたいなものです。アメリカ軍やイギリス軍のことを国防軍ということはありません。
昔の日本の場合は、帝国陸海軍、皇軍、国軍、日本軍などといっていて、国防軍とはいいません。
なぜ自民党は「国防軍」なのか不思議に思っていましたが、要は「軍」と呼べればなんでもよかったのでしょう。
 
25日には自衛隊最大の艦である護衛艦「いずも」が就役しました。これは「ヘリコプター搭載護衛艦」と呼ばれていますが、軍事ジャーナリスト神浦元彰氏によると実際は「ヘリ空母」そのもので、戦闘機を積めるように改造すると「軽空母」になるということです。ただ、専守防衛の自衛隊は空母のような攻撃的兵器は持てないということから、「ヘリコプター搭載護衛艦」という呼び方をしているわけです。
自衛隊がこのように言葉に気をつかっているのに、首相が「我が軍」と言ってはぶち壊しです。
 
安倍首相は22日に行われた防衛大学校の卒業式に出席し訓示を述べましたが、卒業式のあとに行われた幹部候補生への任命・宣誓式にも出席し、恒例の「帽子投げ」も見ました。首相が任命・宣誓式に出席するのは異例だということです。
若き“軍人”たちに囲まれているうちに安倍首相は最高指揮官として舞い上がってしまったのでしょうか。
 
安倍首相の卒業式の訓示は14分という長いものでした。聞かされるほうはうんざりしたでしょう。
 
平成26年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示
 
その内容は、「積極的平和主義」という言葉に象徴されるような矛盾がいっぱいで、支離滅裂です。どこを突っ込めばよいのか迷ってしまいますが、防衛大生や教官の前という観点から気になったところを引用してみます。
 
その日のガダルカナル島には、70年前と同じように、雲一つなく、強い日差しが降り注いでいたそうであります。
  昨年秋、練習艦「かしま」のタラップをのぼる、諸君の先輩たちの胸には、かの地で収容された百三十七柱の御遺骨が、しっかりと捧持されていました。そして、御遺骨に、無事祖国へと御帰還いただく。今回の練習航海では、その任務にあたってくれました。
  遠い異国の地において、祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場で倒れられた多くの尊い命。そのご冥福を、戦後70年という節目の年に幹部自衛官への道を踏み出す、諸君たちと共に、お祈りしたいと思います。
  そして、こうした尊い犠牲の上に、我が国の現在の平和がある。そのことを、私たちは、改めて、深く胸に刻まなければなりません。
  二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。私たちには、その大きな責任があります。
 
「尊い犠牲の上に今の平和がある」というのは常套句ですが、ガダルカナルの戦死者のことを「尊い犠牲」というのは、防衛大生や教官にとっては納得がいかないでしょう。ここは「愚かな作戦の犠牲」というべきところです。
 
「ガダルカナル」というのはある意味、先の戦争を象徴する言葉です。この言葉を使って戦争賛美をする安倍首相は、“戦争音痴”ではないかと疑われます。
 
そういえば、安倍首相は集団的自衛権に関して、米軍の輸送艦に邦人が乗っていて、それを米軍が守れないので自衛艦が守らなければならないというケースを持ち出して、みんなの首をかしげさせましたが、あれも“戦争音痴”ゆえかもしれません。普通の感覚であれば、もっと現実的なケースを持ち出すはずです。
 
安倍首相はやたら自衛隊に掃海活動をやらせたがっていますが、そのことの危険性も認識できていないのかもしれません。

自衛隊員が中東の砂漠やペルシャ湾でアメリカのために死んでも、安倍首相の脳内では「尊い犠牲」となり、「英霊」となるのでしょう。
 
こんな首相に「我が軍」と呼ばれる自衛隊員が気の毒です。