このところ園子温監督の活躍が目立ちます。私は監督のファンで、その作品の8割ぐらいは観ています。
最近、園子温監督の「非道に生きる」と「けもの道を笑って歩け」という本を続けて読んだら、「けもの道を笑って歩け」の中にこんなくだりがありました。
 
1990年代の初め、僕は東京ガガガというパフォーマンス集団をやっていました。学生や社会人が何十人も参加してくれて、渋谷や吉祥寺の街頭でパフォーマンスをやったりしていました。
吉祥寺のアーケードでは、ストレッチャーを何台も連ねて、コスプレ看護師が点滴患者を延々と運び続けるパフォーマンスをやりました。渋谷では、スクランブル交差点を占拠して、鍋を囲んで一家団欒が始まるという、ドリフのようなコントをやりました。車がキーッと停まって、最後には拍手喝采が沸き起こった。
みんな学校や会社でつまらない時間を過ごしているのか、もう大盛り上りでした。
 
渋谷のスクランブル交差点の真ん中で鍋を囲んで一家団欒をやるというのに驚きました。
もし今、同じことをやったら、やった人間は大バッシングを受けるでしょう。
 
今は、バイト店員が冷蔵庫に入ったというような、誰にも迷惑をかけない行為ですら炎上してしまいます。
 
ちなみに「東京ガガガ」は、インターネットもない時代に口コミでどんどん広がって、2000人が参加する規模になり、NHKの朝のニュースで取り上げられたりします(私はテレ朝の「トゥナイト」か「トゥナイト2」で見たことがあります)。「ガガガ」と叫びながら街中を練り歩くというのが一般的なやり方ですが、デモの届けもなしにやっているので、毎回メンバーが警察に捕まります。
 
右翼と左翼の両方から勧誘の電話が園子温監督のところにかかってきたそうですが、監督はそうした政治的な思いはありません。ただ、純粋におもしろがってやっていただけです。
 
もちろんその経験は監督の作品の中に生きています。たとえば、実質的にメジャーデビューの作品となった「自殺サークル」(2002)には、数十人の女子高生が新宿駅などのホームに手をつないで並び、一斉に線路に飛び込んで自殺するというシーンがありますが、これも無許可でゲリラ的に撮影されたものです(線路に飛び込むことまではやっていませんが)
 
これも今、同じような撮影手法を行えば、やはり社会的なバッシングを受けて、その作品を一般公開することができないのではないでしょうか。
 
今は、このように意味のないことをおもしろがってやることは、バッシングされるのでほとんどやれなくなり、一方、ヘイトスピーチのデモや反ヘイトスピーチのデモのような政治的なことは行われるようになっています。
世の中の進む方向が間違っているのではないかと思いました。